「中日・松坂大輔、ファンとの交流で負傷」報道で見落とされている視点

今季の初登板は5月までずれ込むとの見方が有力だ。(写真:ロイター/アフロ)

中日の松坂大輔がファンとの交流中に負傷したが、その根本原因は「過剰サービス」ではなく警備体制の不備だ。また、サインを求める者の中には転売ヤーもいるようだが、それは残念ながら「織り込む」べき現実だろう。

プロ野球キャンプがたけなわだが、ここまでもっとも注目を集めたニュースのひとつが、松坂がファンとの交流中に右肩に故障を負ったとするものだ。スポーツニュースの域を超えて大きく取り上げられて議論の対象になったが、この一件に関する報道の視点にはやや疑問や違和感を感じるものもある。それらに関する私見を述べたい。

松坂大輔を悲劇の負傷に追い込んだ過剰ファンサービスの行方

松坂の男気 犯人明かさず

松坂の悲劇、サイン転売、選手への暴言…いま問われているファン側のモラル

原因は過剰ファンサービスか?

事故の原因は、選手が熱心にファンとの接触機会を作ろうとしたこと、それを球団側が選手に要求する機運であるとの見方も一部にはある。

しかし、そうだろうか。キャンプに限らず選手がファンにサインしたり記念撮影に応じるのは当然のことだ。今回は、このこと自体が事故の原因ではない。問題は球団の警備体制だと思う。もちろん、ファンには節度ある接し方が認められるのだが、基本的に群がるファンには群集心理が働くものであり、危険な事態に至る可能性をはらんでいる。「一線」をどうやって守るか、これは球団側の課題である。問題の本質は選手がファンに擦り寄りすぎたことではなく、その際に選手を守る対策を球団が怠ったことにある。

ファンのモラルが問われるのはもちろんだが、それ以上に球団側の選手の安全確保とファンサービスを両立する導線やルールの確立が必要だ。

アイドルグループではないが、なにかとバーチャルな時代に於いては、以前以上にリアルな体験がショービジネスであれ、スポーツ興行であれ重要になっている。17日朝のテレビ番組で、掛布雅之が「グラウンドで野球を見せるのがファンサービス」とコメントしていたが、これはプロ野球が殿様商売だった昭和の頃から全く進歩していない身もふたもない意見である。

松坂の沈黙は男気?

松坂がいつだれの行為により怪我を負ったかは明らかになっていない。彼自身がそのことに関し発言していないからだ。このことを、ファンを気遣う松坂の「男気」とする報道もあった。そういう見方も完全に否定するものではないが、チト違うと思う。

松坂の沈黙は、「犯人」のファンが必要以上に社会的攻撃を受けないようにとの思いからだと思うが、それ以上に大切なのは今後の再発防止である。もちろん、松坂自身が彼に怪我を負わせた人物の人となりを知っているわけではないと思うが、事件がどのような状況で起きたのかを彼が語ることは、この先球団に適切な体制を組ませるために、ファンに自重を求めるためにとても重要なことだと思う。沈黙を貫くのは最善の対応とは思えない。

サイン転売は悪か?

松坂をサイン攻めにしたファンの中にはそれをネットオークションに出し利益をあげる転売ヤーもいるようだ。それも槍玉に挙がっている。しかし、ケシカランとは思うが否定できるかは議論の余地があると思う。

大好きなプロ野球選手からサインを貰うことはファンにとってかけがえのないもので、それは宝物だ。なのに、自分と一緒にあの時ボールや色紙を差し伸べた手の中に転売目的によるものが含まれていた・・・というのは嘆かわしい。

しかし、「野球」という枠組を離れ現代社会の中の出来事として捉えれば一概に否定もできない。自分の所有物を売買することは違法行為ではないし、そのような個人間売買(実はB2C?)のプラットフォームとなるインフラも充実している。一ファンとしては選手のサインはあくまで個人的なよろこびの中で完結させて欲しいとは思うが、売買は禁止できないしみんなが転売しようとしているわけではない。ネットオークションに早速出品されているものが散見されたとしても、だからと言って選手がサインすることを制限する動きには絶対につながって欲しくない。

そもそも、ホントにその大多数が転売目的で彼らが相当な利益をあげているような状況になれば、アメリカのようにもっといわゆるメモラビリアビジネスが発展してくるはずだ。認定証付きのサインボールがもっと多く流通するようになれば、真贋は定かではないものも含まれている(かも知れない)個人またはいかがわしい業者による出品物はなくなりはしないだろうが、減少の傾向を辿るのではないか。そう、思えばこれも野球周辺ビジネスが変貌・拡大する過程ならではの状況かな、とも思える。

そして、ここに取り上げた事象およびその報道は、その多くがメディアが従来の枠組の中でしか一連の事象を解釈できていないことも示しているように思える。