元イチローのボス、巨人の「ジョン損」、ヤクルト・近鉄の「赤鬼」が米殿堂入り候補に

新人イチローの大活躍もあり、ピネラ監督の2001年マリナーズは116勝を挙げた。(写真:ロイター/アフロ)

先日、2019年の歴史委員会(Eras Committees)選出の米野球殿堂入り候補者が発表された。その中には、日本の野球ファンにもお馴染みの3人が、元監督として含まれている。イチロー渡米時のマリナーズ監督のルー・ピネラ、元巨人のデーブ・ジョンソン、そしてヤクルト・近鉄で大活躍したチャーリー・マニエルだ。

野球殿堂入りのルートにはふたつある。引退後5年を経た元選手を対象とする全米野球記者協会(BBWAA)選出のものと、BBWAA経由での資格を失った選手に加え監督や審判、経営者などもカバーする歴史委員会による選出だ。ともに75%の得票(BBWAAは最大10名連記式で歴史委員会は同4名)が必要だが、BBWAAは投票者が400人以上であるのに対し、歴史家や殿堂入り元選手らで構成される後者は16人だ。したがって、歴史委員会からの選出には12票が必要ということになる。この委員会は歴史を19世紀まで遡り、現在は4つの時代に分け一定のサイクル(頻度は均等ではない)で毎年選出を行なっている。今回は、1988年以降を対象とする「現代」(Today’s Game)だ。

ルー・ピネラ

イチローが首位打者&盗塁王でMVPという鮮烈なデビューを飾った2001年当時のマリナーズの監督として、記憶しているファンは多いだろう。90年にはレッズを率い世界一になっている。通算1835勝は歴代16位で、彼より上で殿堂入りしていない監督は、まだ現役のブルース・ボウチー(ジャイアンツ)、ジーン・モーク(弱小球団専門で一度も優勝がない)、ダスティ・ベイカー(17年まで指揮を執っていた)だけだ。彼の監督時代しか知らない世代には「すぐブチ切れるいかついオジサン」というイメージかも知れない。しかし、現役時代はイケメンとして有名で、Sweet Louの異名を取っていた。「現代」では2016年にも表彰対象だったが、その時は7票を得ている。

デーブ・ジョンソン

第1期長嶋巨人時代に在籍した、あのジョンソンだ。メジャーで球宴選出4回、73年には43本塁打の実績を買われ、1975年シーズン中に大きな期待で迎え入れられた。しかし、代打でのデビュー戦で一球もバットを振らず3球三振に倒れると、そこから先も全くの不振。8打席連続三振を喫するなど、巨人の最下位低迷の象徴として「ジョン損」と揶揄された。ある日など、敗戦後に1人ベンチで呆然とする姿が全国中継に長々と映し出された。翌76年はプチブレイクし、前年最下位からの「下剋上」リーグ優勝に貢献したが、阪急との日本シリーズでは全盛期の山口高志の剛速球にまるでついて行けず、三振を繰り返したことが個人的には思い起こされる。

しかし、メジャーでの監督歴は素晴らしい。通算1372勝利は歴代31位だが、通算勝率は.562と秀逸で、彼より勝利数が多い監督のうち、勝率でも上回るのは5人しかいない。メッツ、レッズ、オリオールズ、ドジャース、ナショナルズを率い、ドジャース以外の4球団で地区優勝を達成し、86年にはメッツを世界一に導いている。16年は5票。今回はどれだけ上乗せできるか。

チャーリー・マニエル

ご存知「赤鬼」だ。個人的にはわずか97試合の出場で37本塁打をかっ飛ばした1979年の活躍が印象深い。試合数が少ないのは、死球をあごに受けて骨折、欠場したためだ。復帰後はアメフト流のフェイスガードが付いたヘルメットを利用した。

メジャーでの監督歴は12年と短く、そのため通算勝利はちょうど1000と、殿堂入りには物足りない。しかし、世界一が一度(2008年、フィリーズ)あり、勝率.548は際立っている。もともとは打撃コーチとしての評価が高かった。マニー・ラミレス、ジム・トーミの師匠としても知られる。ちなみにメジャーでは、「コーチ」として殿堂入りした者はいない。マニエルの場合は、コーチ&監督ともそれ単体で評価されるにはキャリアがチト足らない印象だ。歴史委員会からノミネートされたのは初めてだ。

以上の3人の中から、だれか選ばれるとすればピネラだろうが、この3人以外(歴代セーブ数第3位のリー・スミスや、「ボス」ことヤンキースの元オーナー、ジョージ・スタインブレナーなど)を含めても、太鼓判を押せる有力候補はいない。結局誰も選出されない可能性もありそうだが、果たして?結果発表は現地時間12月9日だ。