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「野球ファンならここを見て死ね」アメリカ・ボールパーク紀行

豊浦彰太郎Baseball Writer
「もっとも景観の美しい球場」と称されるキャロル・B・ランド・スタジアム

今月、休暇を取ってアメリカを1週間ほど廻ってきた。クーパーズタウン見学から、メジャー&マイナーリーグ観戦、球場跡地などの球跡の探索など充実した日々だった。ここでは、テーマを「球場」に絞ってその見聞録をお伝えしたい。

リグレー・フィールド 「おそらくこれは良いことなのだろう」

ぼくは、駅のホームから見える球場が好きだ。
ぼくは、駅のホームから見える球場が好きだ。

1912年にオープンしたこの球場も、近年の矢継ぎ早のリノベーションで相当様変わりした。そのほとんどは、ファンにより多くのエンタテーメントと快適性を、球団に長期的な収益増を齎すのだが、異国の球場マニアにとっては、寂しさも感じる部分もあった。他の球場との違いが少なくなったからだ。

依然として美しいが、外野席の増設と巨大なビデオボードの設置で印象はかなり変わった。
依然として美しいが、外野席の増設と巨大なビデオボードの設置で印象はかなり変わった。

古色蒼然とした美しさは、右中間と左中間に追加された巨大なデジタルボードで失われた。また、古い良き時代の設計ゆえの選手と観客の物理的な緊密感もこの球場の大きな特徴だったのだが、それも減じられてしまった。ファウルライン沿いにあったブルペンは外野席下の見えない場所へ移設された。クラブハウスの位置も変わり、それにより試合後に駐車場へ向かう選手がまだファンでごった返すコンコースをトコトコ歩いている、という景色も過去のものになった。

これでは「場外弾」はあまり期待できない。
これでは「場外弾」はあまり期待できない。

以前は、極端に低い外野スタンドのため打撃練習ではもちろん試合中も場外弾がガンガン飛び出し、それ目当てのファンが場外にグラブを持って待ち構えていた(彼らをボール・ホーク(ボールを狙う鷹)と言う)のだが、その数も減ってしまったように思われた。それはそうだろう。外野席は増設され、巨大なボードが追加されたのだから。今回、「1957年からボール・ホークをやっている」という大ベテランのファンに話を聞いた。「これまでに6000球を獲り、その中には244の試合中のホームランボールも含まれている。満塁弾だって5球取ったぜ」とのことだったが、「ここのところペースはガタ落ちだよ」と嘆いていた。

それでも外野席裏でキャッチボールしながら場外弾に備える?ボール・ホーク。
それでも外野席裏でキャッチボールしながら場外弾に備える?ボール・ホーク。

誤解して欲しくないのだが、ぼくは一連の改装を否定しているのではない。これで、間違いなく現役のボールパークとしての寿命(建築物としてだけでなく、アメニティの面も)は長くなったし、毎日通う地元のファンには見やすい、快適な球場になった。さらに、6億ドル近い改装費を公費に頼ることなく球団が負担しているのも賞賛に値する(他球場では、球団が地方自治体に公費での改装を求め、叶わぬ場合の転出をチラつかせるケースが多い)。ただ、十数年間に一度しか訪れないぼくのようなマニアには、その個性の一部が失われたように思えたのだ。

ダブルデイ・フィールド 「発祥の地でなくても野球ファン心のふるさと」

野球殿堂・博物館からは2ブロックの場所にある。
野球殿堂・博物館からは2ブロックの場所にある。

野球殿堂・博物館のあるクーパーズタウンの「ここで野球が発祥した」とされる場所に建つ小さな牧歌的な球場だ。「野球は1839年に後に南北戦争の英雄となるアブナー・ダブルデイによって考案された」との説に沿い、1920年に建設された。その説はその後単なるお伽話に過ぎないことが発覚したが、この球場の素朴な魅力は褪せない。ここを訪れたのは6年ぶりだが、毎回昼間は高校野球なり草野球なりが行われている。聞けば、使用料は1日500ドル程度だそうだ。森と湖に囲まれた避暑地のクーパーズタウンで、野球殿堂・博物館をじっくり見学した後に、この球場でぼーっと草野球を眺めるのが好きだ。

2008年まではシーズン中にメジャーリーグの献納試合が行われていた。
2008年まではシーズン中にメジャーリーグの献納試合が行われていた。

タイガー・スタジアム跡地 「モータウンはベースボールタウン」

現在は市民のための野球場に生まれ変わったタイガー・スタジアム跡地
現在は市民のための野球場に生まれ変わったタイガー・スタジアム跡地

デトロイト・タイガースは、1999年一杯で1912年から使用していたタイガー・スタジアムを出て、そこから数キロの場所に完成したコメリカ・パークに引っ越した。その後、主人を失った旧球場は放置されたままになっていた。2009年にぼくが訪れた時は遂に解体工事が始まり、フィールド部分は瓦礫の山、スタンドの一部だけが辛うじて残っている状態だった。最期のお別れに間に合ったという感じだった。

球場が取り壊された跡地であることを物語るアングルだ。
球場が取り壊された跡地であることを物語るアングルだ。

あれから、9年。今は美しい市民用フィールドに変わっていた。人工芝になっていたのは残念だが、フィールド部分はファウルポールの位置も含め、寸分違わずかつての場所にある。旧球場のセンター後方のフラッグポールは当時のものがそのまま残され、星条旗をたなびかせていた。2009年のGM&クライスラーの倒産、2013年のデトロイト市の破綻という未曾有の危機を経て来たことを思うと感動モノだった。

フィールド位置は当時のまま。旧球場のフラッグポールは今も残る。
フィールド位置は当時のまま。旧球場のフラッグポールは今も残る。

デトロイトは60年代以降、自動車産業の低迷にによりダウンタウンは荒廃し中産階級は郊外に逃げた。その結果、この街は分断の象徴となった。中心部と郊外、黒人と白人、貧困者と富裕層、労働者(と失業者)とホワイトカラー。しかし、そんな格差社会の人々にも唯一ひとつになれる場所があった。それがタイガー・スタジアムだった。モータウンはベースボールタウンでもあったのだ。

敷地内には、往時の姿を伝える展示コーナーも。
敷地内には、往時の姿を伝える展示コーナーも。

キャロル・B・ランド・スタジアム「アメリカで最も景観の美しい球場」

もっと高い場所から見ると広がる太平洋が良く分かる。
もっと高い場所から見ると広がる太平洋が良く分かる。

サンディエゴ空港からクルマで10分程度の場所にあるこの球場は、試合が行われていなくても訪れる価値がある。ポイント・ロマ大学の野球部の球場で、しばしばAmerica’s most scenic ballpark(アメリカで最も景観の美しい球場)と称される。

太平洋に隣接していることがお分かりいただけるだろうか。
太平洋に隣接していることがお分かりいただけるだろうか。

ぼくの下手な写真ではその美しさは中々伝わらないと思うので、ぜひ同大学のHPを見て欲しい。要するに外野フェンスの外側には太平洋が広がっているのだ。決して大げさではなく、「野球好きならこの球場を見て死ね」と言いたい。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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