マニー・ラミレスの四国での復帰の原点を4年前の台湾に求める 「何がマニーを走らせるのか?」 その1

日本での復帰は単なる気紛れ?それとも絶ち難い野球への想い?(写真:ロイター/アフロ)

1950年に封切りされたハリウッド映画『サンセット大通り』は、ビリー・ワイルダー監督の名作のひとつだ。

グロリア・スワンソン演じる落ちぶれた無声時代の映画スター(実際スワンソンは無声時代の大女優だった)が、もはや自分の時代は過ぎ去ったことに気付こうとせず、来るはずもない主演のオファーを延々と待ち続けるというストーリーだ。彼女の元夫でもある執事(無声時代の映画監督だったエリック・フォン・シュトロハイム演じるという徹底ぶりだ)は、ファンを装い連日ニセのファンレターを書き続けるというゆがんだ愛情を示した。

一度スポットライトを浴びた者は、もう自分の時代が過ぎ去ったことを認めたくないのだ。まだ、拍手喝采が聞こえるのかも知れない。

ここから本論に入る。

メジャー通算555本塁打の実績を誇るマニー・ラミレス(44歳)が、四国アイランドリーグPlusの高知との契約に合意したとのニュースが入って来た。メジャーでのキャリアを終えてから5年を経た彼は、現地時間18日に発表される今年の野球殿堂入り候補者に名を連ねている。通算555本塁打で、首位打者も本塁打王も打点王の経験もあるため、本来なら資格を得て初年度で選出されてもおかしくないのだが、薬物での処分歴があるため、ほぼ絶望と見られている。その彼が向かうのは、クーパースタウンではなく、なんと四国だったということだ。

しかし、なぜ現役復帰を目指したのか?そして、なぜその場が日本なのか?独立リーグならアメリカにいくらでもあるし、むしろそちらの方が、環境的には充実している。ヒントは、4年前に台湾に渡ったことにあるかもしれない。

前年にメジャー復帰の可能性が事実上絶たれた彼は、2013年の開幕から6月途中までCPBLの義大ライノスで「曼尼」の名でプレーしたのだ。当時、ぼくは居ても立っても居られず、桃園まで彼を追いかけて行った。ぼくが観戦した2試合では、計7打数で2安打。長打は無かったが、連続試合出塁を13試合に、連続試合安打を9に伸ばした。

しかし、あの時、何がラミレスを台湾へ向かわせたのだろうか?彼はそれ以前に、過去2度にわたり薬物検査で陽性反応を示した。レイズと契約した2011年開幕直後の2度目で規定に則り100試合の出場停止処分を宣告されると、謝罪や反省のコメントは一切なくあっさり引退を表明した。

翌2012年は、アスレチックスとマイナー契約。前年の事実上引退状態を特例として「評価」してもらい、開幕からの50試合出場停止期間を経れば、復帰可能となった。

しかし、50試合を消化した時点でラミレスに声は掛からなかった。おそらくプライドを傷付けられたのだろう。メジャーでプレーする機会を求め、マニーは契約に盛り込んであった破棄条項を行使しFAとなった。本人は、「まだまだやれる」と踏んでいたのだろうが、40歳でかつ薬物スキャンダル歴のある彼に契約を提示する球団などあろうはずもなく、そのまま閉幕を迎えた。

結果論だが、ラミレスはメジャーに固執するならあそこで自らFAを選択すべきではなかったと思う。処分停止と同時に昇格がなかったとしても、長いシーズン必ず故障者や不調者が出てくるはずだ。じっと我慢していればチャンスが巡ってきた可能性は高かったと思う。しかし、マニーはそう考えなかった。なぜなら彼は「大スター」であり、「ケガ人の発生を待つ」などという、若手選手のような立場に置かれることをプライドが許さなかったのだろう。

しかし、残念ながら彼はもはや「無声時代の銀幕のスター」だった。

<その2へ続く>

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