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その昔、パ・リーグは存在がブルースでそれを愛することはイデオロギーだった

豊浦彰太郎Baseball Writer
あの頃のパ・リーグのスターの1人、土井正博(写真:岡沢克郎/アフロ)

先日、野球好きのオジサンたちが夜な夜な集う会合に顔を出した。それは、毎月1回都内某所で開催される地下組織的?なもので、規約も年会費も会員名簿もない。単に野球について語り合い、その後安酒場で一杯やって解散となる。

今回は「パ・リーグ」がネタだった。パ・リーグを愛しながら、決して排他的ではない愛すべき同輩たちが、悲喜こもごもの「パ・リーグファンといふこと」を語ってくれた。ぼくも、少年時代は太平洋クラブ / クラウンライターライオンズの熱狂的ファンだったので、往時をしのび胸が熱くなった。

黒い霧事件からライオンズの所沢移転までの70年代パ・リーグは、その歴史の中でも特にドン底だった。フィールド上では、長池徳二、野村克也、鈴木啓示、有藤通世、高橋直樹、東尾修といった実力派がレベルの高いプレーを見せてくれてはいた。しかし、その位置付けはセ・リーグに比べ圧倒的にマイナーな存在でしかなかった。

それだけに、当時パ・リーグを愛するということはある種のイデオロギーでもあったと思う。パ・リーグという存在自体が巨人に代表されるセ・リーグ的なるもののアンチテーゼだったからだ。本当の「通」の世界であり、ファンも密かな自尊心を感じていたはずだ。スタンドはガラガラで誰も注目しない、だけど「オレはこの素晴らしさを分かっている」のだ。

ぼくが良く通った今はなき平和台球場や、小倉球場(現北九州球場)では、応援団のオジサンの下品で辛辣で時には唸らせられるヤジが閑古鳥のスタンドにこだましていた。公式発表5000人で、実際には1000人もいないんじゃないの?と思えることが多かった観客も、昼間の肉体労働の憂さを晴らしに来た?風のオジサン中心で、極めてハードボイルドだった。

今回話を伺った人たちは時おり観戦会を催しているとのことだったが、それは各自がバラバラに観戦し、試合後に球場付近の野球酒場で集うものだそうだ。一緒に観戦しないのは「みんなそれぞれ好みの席があるから」とのことだった。でも、彼らは「大勢で集まってわいわいやりながら観るのはちょっと違う」と考えているのでは、とぼくは勝手に想像している。少なくとも30年以上のファンにとっては、パ・リーグを観戦するということはある程度閑散としているスタンドに1人で座り、ひいきチームのまずいプレーには「何やってんだ」と舌打ちし、紙パックの日本酒をグビっとやる、というものだからだ。

小中学校時代、呆れるくらいに弱かった太平洋 / クラウンに愛情の全てを捧げていたぼくも、79年に彼らが所沢に移転すると急速にその熱が冷めてしまった。江川卓は「関東で育った人間にとって九州はあまりに遠い」と言った(もっとも彼は九州よりもっと遠いアメリカに1年間野球留学していたのだけれど)。当時、多くのアンチ読売系のメディアや評論家はそんな江川を狭量だと批難した。野球がやれればどこでも一緒だろ、というのだ。でも、ぼくには「あまりに関東は遠かった」。修学旅行で京都・奈良に行った以外ではもっとも東でも広島までしか行ったことがなかったぼくにとって、関東なんて「テレビの中の世界」でしかなかった。そんな遠くに行ってしまったライオンズは到底身近な存在には思えなかったのだ。

昔のパ・リーグは、音楽に喩えるならブルースだった。日本シリーズで王貞治に逆転サヨナラ3ランを打たれマウンド上でうずくまった山田久志がそうだったし、「江夏の21球」で涙を呑んだどうしても日本一になれない西本幸雄監督も、ロッテのジプシー移動も、「10.19」もブルースそのものだった。

南海ファンだったという方からかつて聞いた話では、ともに身売りが決まった後の南海対阪急戦では、大阪球場のファンは「お~い阪急、おまえらもヘンなカタカナの名前になって可哀想やのお!」と自虐的なヤジを飛ばしたそうだ。

また、南海の大阪球場での最後の試合では、ゲーム後に選手がファンに別れのあいさつをしようとすると、二軍落ちしていたためスタンドで観戦していた香川伸行をファンが「ドカベン!おまえも行かんかい」と促し、彼もグラウンドに降りたという。

こんなエピソードも全てブルースだ。

あれから、あっというまに時は流れた。一時は関東と関西だけやっていたパ・リーグもほぼ理想的な球団配置になり、今や人気はセ・リーグと対等と言って良い。少なくとも、ドラフト前に高校生ごときに「セなら行きます」などと言われることはなくなった。それはとても良いことだと思う。でも、やはりぼくにとってパ・リーグとは、存在がブルースでそれを愛することがイデオロギーだったあのドン底時代なのだ。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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