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定番のトミー・ジョンを回避した「昭和のスポーツマン」浅尾の選択は正解か?

豊浦彰太郎Baseball Writer

右肘痛からの復活を目指す浅尾拓也が今日から一軍に合流する。早ければ試合(楽天戦)の前に昇格が決まるようだ。キャンプでの故障発生から3ケ月、いまや定番のトミー・ジョン手術を回避しリハビリを続けるという2011年のMVPの決断の是非が明らかになる。

すでに二軍戦では8試合に登板しており、8.1回を投げ3失点。球速は140キロ台半ばまで出ているようだが、150キロ台半ばの速球を連発していた2010-11年の状態には程遠い。浅尾自身も「まだ100%じゃない」と認めている。

右肘関節内側の側副靱帯損傷と診断されたのは3月上旬のこと。損傷の度合いがどれほど深刻だったのかは分らないが、彼は手術には踏み切らなかった。肘の靭帯を損傷した投手は、腱移植による再生を図る通称「トミー・ジョン手術」が一般的だ。同じ中日でも、吉見一起が昨年6月にこれを受けた。吉見は現在腰痛で復帰計画に遅れが生じているが、今後順調に行けば6月中にも一軍復帰が叶うかもしれない。

吉見の手術前の最終登板は昨年5月7日のヤクルト戦。6月中に一軍復帰登板を果たせば、最終登板から430日弱となる。今から40年前、元祖のトミー・ジョン(当時ドジャース)がフランク・ジョーブ博士(今年3月88歳で死去)の執刀で人類史上類のない手術に再起を賭けた際は、最終登板から復帰登板まで691日を要した。また、83年に村田兆治(ロッテ)や、95年に桑田真澄(巨人)が手術を受けた際も復帰まで約2年を要している。しかし、近年ではスティーブン・ストラスバーグ(ナショナルズ)が、11年9月に381日で復帰を果たしている。その後、事前の診断や術後のリハビリの研究が進んだからだ。また、当たり前のことだが、筋肉とは異なり靭帯には血液が流れていない。このことは、損傷を受けた靭帯が自然治癒するにはとても長い時間が掛かることを意味している。

アメリカでは、2013年にベースボール・アナリストのブライアン・カートライトとジェフ・ジマーマンが『トミー・ジョン手術後に何が起こるか?』という論文を発表した。そこでは、同手術を受けた投手の追跡調査により、復帰2年目には故障前の球速が戻り、3年目には故障前を越える成績を残すことが多いことが統計学的に示されている。それだけでなく、この手術を経験した投手は加齢による衰えが手術未経験の投手よりも緩やかであるとしている。そう言えば、トミー・ジョンは33歳で復帰を果たすと46歳まで現役を続け、その間164勝を挙げた(通算では288勝)。

加えて手術の成功率も高く85%とも90%とも伝えられており、いまやトミー・ジョン手術は「投手のキャリアでの一通過点に過ぎない」という声すらある。

アメリカでは今季は春先からこの手術に踏み切る若い投手が例年になく多く、メディアや医学会からも「トミー・ジョン伝染病」とまで呼びこの傾向に警鐘を鳴らしているが、それでもこの外科手術を受ける投手が後を絶たない理由が以上だ。

しかし、浅尾はそうしなかった。なぜだろう。そこまで深刻な故障ではなかっただけかも知れない。しかし、私はもっと心理的なものが作用していたのではないかと思っている。

彼の故障が判明した3月上旬はオープン戦たけなわの時期で、前年に低迷した球団のファンも不振をかこった選手もみなが希望に胸を膨らませる季節だ。「今年こそ!」そんな時期に最短でも向こう1年間を棒に振る手術を決断するのは容易ではないだろう。

加えて浅尾の場合は、前年は肩の故障で春先のWBCの最終メンバーから外れるという苦い経験が有り、前半戦のほとんどを欠場した。復帰後も必ずしも本来の姿ではなかった。その前年の2012年には二軍落ちもあった。「ここ数年期待に応えられていない」この思いが、今年春の手術回避の決断に影響を与えなかったとは私には思えない。彼は昨季の肩にせよ今季の肘にせよ、完治には至らぬままの状態で「だましだまし」の投球を続けていた可能性は高いだろう。

思い出してみると、昨年前半戦大ブレイクしたエクトル・ルナは、右膝の状態が悪化した8月に治療に専念するためあっさり帰国した。これはなかなか日本人にはできない決断だが、今季の彼の活躍ぶりを見るにつけ、正しい決断だったと思える。ルナが残した教訓は「しっかり休んで完治を早める事こそチームへの貢献」だった。

その点、浅尾はふんぎりが悪すぎたようにも思える。あっさりメスを入れる方が賢明だったかも知れない。しかし、心情的には浅尾の選択を非難する気にはなれない。彼が故障続きの自分自身に対する忸怩たる思いや焦りにここ数年苦しみ抜いたであろうことは想像に難くない。その意味ではまだ29歳だが浅尾の決断は「昭和のスポーツマン」的だった。その選択が最終的には成功だった、となることを祈っている。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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