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誰よりも愛したスターバックスを私が辞めた理由(約1万字)後編

大宮冬洋フリーライター

<第3回>

ドミノ・ピザとスターバックスコーヒーでそれぞれ10年以上勤め、店舗現場とのコミュニケーションを重視した人事としてのキャリアを積んできた倉田信明さん(仮名、51歳)。50歳を目前に控えた2012年に最後の転職先を検討したときも、雇ってくれるならどこでもいいわけではなく、「自分がやりたいこととやれること」を冷静にリストアップしたうえで会社を選ぶという姿勢だった。

「5点を洗い出すことができました。人事領域で明確な課題を抱えている会社であること、本社のみではなくチェーンストアを展開していること、人事として若い人たちのサポートができること、創業期の伸び盛りの会社であること、経営層が言行一致であること、の5つです」

しかし、これらの条件をすべて揃えた企業が倉田さんのような人事担当者を欲している、という幸運を待っていたら時間がかかり過ぎる。倉田さんは妥協をして最初の3点が揃った企業に転職する。

「この妥協が失敗の原因です。アハハハ」

このインタビューは都内の土佐料理店で食事をしながら行っているが、倉田さんは控えめに料理に箸をつけながら、常に笑みを絶やさず、50代とは思えない脇の甘さを見せてくれる。思わず「倉田さんはとても明るいですね」と感想を漏らしたら、「あ、軽い?」とわざと聞き違えをするオヤジギャグを披露してくれた。若い人が多い会社で現場スタッフを大切にして懸命に働いていると、このような若々しい50代になれるのかもしれない。

倉田さんが転職をした有名アパレル企業は、若いオーナー社長が一代で築き上げた会社ではあるがすでに500店舗を超えており、規模の面では出来上がっていた。しかし、なぜか前任の人事部長は3人続けて半年間で退職していた。

「面接のときにそれを聞いて、何かあるとは思いました。でも、原因を確認はしませんでした。その問題を変革する意気込みで入社したからです」

入社1週間後、社長も出席する幹部社員の懇親会で早くも「原因」が判明する。人事領域での様々な問題点に気づいていた倉田さんは、絶好の機会だと思って社長に直言した。この会社にはいくつも課題がありますね。これとこれはすぐにやりましょう! 純粋な気持ちで熱心に提案している倉田さんの姿が目に浮かぶようだ。

しかし、社長は「そうだね」と聞いてくれているのに、周りは静まり返っている。何か様子がおかしい。懇親会後に同僚に理由を聞くと、「社長に直接意見するなんてありえない」のでみんな驚いてしまったという。

「オレ、さっそくやっちゃった? と少し思いましたね。でも、この年齢で中途入社した僕は会社に新しい風を吹かせることが求められていると信じていました。会社のために言うことを言わないほうが罪だと思います」

アメリカ本社の意向には振り回されるが社内の風通しはいいスターバックスに比べると、この会社は極端なほどトップダウンで社員への愛情も感じられない。「ドメスティックな会社はこういうものなのか」と軽く失望したものの、立ち止まってはいられない。

倉田さんが最も必要性を感じていたのは、現場で働く店長やスーパーバイザー(数店舗を統括)たちの役割と評価基準を明確にすることだ。500店舗を超えているにも関わらず、制度と言えるものは何もなかった。各ポジションの果たすべき役割が決まり、求められる能力も明らかになれば、評価や教育もきちんとできるようになる。倉田さんは人事部のメンバーたちと一丸となって素案作りに勤しんだ。

素案がほぼ固まり、経営層の承認を得てから現場スタッフへの説明会を実施する段階になってまた事件が起きた。例のオーナー社長である。

「現場のことを何もわかっていないお前が説明会なんてできるのか? うちのことを全部知っているのは誰だかわかるか?」

懇親会のときとは異なり、言葉遣いも荒くなっている。倉田さんは屈辱に耐えながらも「社長です」と答えるしかなかった。

「だろ? あとはオレが全部やってやるから、ドラフト(人事制度改革の素案)を持ってこい」

それでは人事部の存在意義がなくなってしまう。一生懸命やってきてくれたメンバーのためにも譲るわけにはいかない。倉田さんが必死に抵抗した。

「直すべきことは直しますのでそれだけはやめてください」

社長は急に声色を変えて、「わかった。オレも一緒にやろうと思っているだけだ。だから、とりあえずドラフトを渡してくれ」と頼んできた。

「社長を信じて渡しました。ところが、裏切られたんです。社長は素案と資料を店舗統括の責任者たちにそのまま投げて、『現場に合うようにチェックを入れろ』と命令しました。当然、店舗側からは『人事は何をやっているんだ。仕事を丸投げするなんて』と批判されます。僕はちゃんと事実と経緯を説明しながらも(この会社での勤務は)終わったなと思いましたね」

よほど辛い経験だったのだろう。話しながらも穏やかな笑みを絶やさない倉田さんの表情がわずかに歪んでいる。筆者はあえて疑問をぶつけた。かつて倉田さんはマニュアルと規律がしっかりしているドミノ・ピザで長く過ごし、その後は自由な社風のスターバックスに転じて「カルチャーショック」を受けながらもやはり12年間も楽しく勤めている。今度のカルチャーショックも受け入れようとは思わなかったのか。

「まったく思いませんでした。上司や部下という役割の違いはあっても、人としてはみな平等だからです。売り上げが伸びているからスタッフもお金で取り替えればいいと思っているのでしょうか。僕たちはモノじゃない。感情も判断力も持っている人間です。そして、人事は上から偉そうに管理するのではなく、スタッフ一人ひとりの存在意義が輝くようにサポートすることだと思っています。それは譲れません」

倉田さんは1年あまりで退職を決意する。それでも前任者たちよりは倍の在職期間だ。がんばりきったと自分では思っている。

この有名アパレル企業は倉田さんのような中途入社組はほぼ例外なく短期間で辞めている一方で、新卒入社組は淡々と働き続けている人も少なくない。倉田さんは不思議だった。上から言われたことをやるだけの仕事に喜びはあるのだろうか。好きなブランドのお店で働けるだけで幸せなのか。なぜ次の会社に行こうとしないのか。

「会社を良くしようと思って行動してもひっくり返されてしまう会社があり、そこで働き続ける人もいるんだな、ということだけ勉強になりました」

人事部長時代、倉田さんは経営層から何度も同じようなことを聞かれた。「社員が主体的に働かない。どうすればいいか」である。

「トップダウンをやめるしかありません。新しいことをやったら打ち消され、言われたことだけをやるほうが評価されるのなら主体性など育つはずはありません。そんなこともわからないのでしょうか?」

ともかく倉田さんのチャレンジは終わった。退職前に社長に5分だけ時間をもらい、雇ってくれたことの感謝を伝えたうえで最後の提言を行うつもりだった。しかし、面会すると社長がいきなり話し始め、言い訳めいた演説が30分以上続いた。どこまでも聞く耳を持たない人物である。倉田さんはもう何も言わず、会社を去った。

(第3話「有名アパレル企業編」終わり。来週は独立&再就職編です。全4話)

<第4回>

わずかな期間で二度以上の転職をして、キャリアドリフト(漂流)をしていると自認する愉快な人たちを筆者は「キャリアドリフターズ」と呼んでいる。自虐の笑いを解する愛すべき人々だ。

編集部は本連載に「転職を繰り返すキャリアドリフターズがその反省から転職成功のセオリーを導きだす」という宣伝文を付けてくれている。確かにそういう読み方もできるかもしれないが、筆者としては登場人物に自己投影するつもりで読んでほしい。人生の意義は経済的な成功や社会的な名誉ではなく、他人に笑ってもらえるような味わい深い言葉を持てるか否かで決まると思う。

就職先の企業選びを失敗すると、身を切るような苦しみや悲しみを体験しかねない。倉田信明さん(仮名、51歳)は、ドミノ・ピザとスタバでの実績を引っ提げて有名アパレル企業に乗り込んだが、ワンマン社長からはしごを外されてしまい、屈辱にまみれてわずか1年あまりで退職をした。この辛い経験が明るい倉田さんに哀愁の色を添え、彼の人生をむしろ豊かにしていると筆者は思う。

キャリアのホップ・ステップ・ジャンプのジャンプに失敗した倉田さん。会社勤めが嫌になってしまったのか、人事コンサルタントおよび研修講師として独立を果たす。去年の秋のことだ。しかし、現実は甘くなかった。

「かつて仕事でお世話になって人などを訪ねて(人事コンサルティングなどの)提案をしました。でも、話を聞いてくれても会社として判断してくれるまで時間がかかるんですよね。2週間後にまた提案に行っても、さらに2週間待たされた挙句に結論が出なかったり……。その間、無収入ですからね。僕は物事をあまり深刻に考えないほうなのですが、あるときカミさんから『(家計が)そろそろ厳しいよ』と言われてしまいました。下の子はまだ高校1年生ですし、家のローンも残っています。今年の正月は心細かったなあ」

独立して半年後、倉田さんは再就職の決意をする。独立して様々な会社の若い経営者をサポートするという夢は、もう少し先にとっておこう。いまは家族のために足元を固め直さなければならない。

倉田さんにはキャリアドリフターズを自認しているが、チェーン展開をしている企業の人事制度をゼロから構築・運用できるという強みはある。全国で40以上のクリニックを運営している病院グループから引き合いがあり人事部長に就任した。奥さんも大喜びしてくれたという。幸いなことにトップとの相性も悪くないようだ。

「病院長は攻めはすごく得意な人ですが、人事制度などの守りができていませんでした。昔から勤めていて病院の不文律を知っている人は問題なくても、病院の拡大に伴って新しい人も増えているので、制度をちゃんと見えるようにしないと歪みが出てしまいます」

倉田さんがやるべきことは多く、今のところ伸び伸びと仕事ができている。医師は所属病院以外でアルバイトすることも普通なので、病院長は倉田さんが院外でコンサルティング活動をすることも認めてくれている。「やりたいこととやれること」をリストアップして選んだ有名アパレル企業は失敗に終わり、藁をもつかむ思いで再就職をした病院グループでは願ってもない厚遇を受けている。まさに漂流者ならではの逸話である。

「一つの会社で長く勤められる人は、社内でポジションが上がっていく可能性が高まりますよね。でも、僕は会社の変化に対応できないタイプなのかもしれません。創業期もしくは成長期だけが好きで、安定期に入ると楽しさを感じなくなってしまいます」

会社の変化に対応できないからこそキャリアドリフターズになる――。当事者にしか言えないユニークな見解だと思う。腕は確かだけれど頑固一徹の料理人が、包丁一本をさらしに巻いて店を渡り歩く姿をイメージすればいいのだろうか。

ただし、人事部長は料理人とは違う。経営層・部下・他部署との円滑なコミュニケーションを求められる。倉田さんの若々しさや軽やかさは、仕事のために磨いている武器の一つなのかもしれない。

「仕事では年齢はあまり関係ありませんからね。若くても優秀な人はたくさんいます。昔は勝手に比較して気にしてしまっていたこともありますが、自分の強みを形にすることが会社員の存在意義なんだと割り切れるようになりました。僕の場合は、年下の有能な社長を人事面でサポートできることが強みです。長女と同い年の同僚もたくさんいますが、変に大人ぶるつもりはまったくありません。飲みに行くときは一緒になってバカをやりますし、気楽に声を掛け合っています。相手からはどう思われているかわかりませんけどね」

話が終わり、インタビュー場所の土佐料理店を出ると、倉田さんは筆者に駅までの道のりを教えてくれ、自身は元気よく仕事に戻っていった。やるべきことは山積みのようだ。キャリアドリフターズには長い休みも明確な見通しもいらない。その日その日に楽しく取り組める仕事だけが必要なのだ。(了)

フリーライター

僕は1976年生まれ。40代です。燦然と輝く「中年の星」にはなれなくても、年齢を重ねてずる賢くなっただけの「中年の屑」と化すことは避けたいな。自分も周囲も一緒にキラリと光り、人に喜んでもらえる生き方を模索するべきですよね。世間という広大な夜空を彩る「中年の星屑たち」になるためのニュースコラムを発信します。著書は『人は死ぬまで結婚できる』(講談社+α新書)など。連載「晩婚さんいらっしゃい!」により東洋経済オンラインアワード2019「ロングランヒット賞」を受賞。コラムやイベント情報が読める無料メルマガ配信ご希望の方は僕のホームページをご覧ください。(「ポスト中年の主張」から2017年3月に改題)

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