「マツコの知らない世界」を取り上げた「レタスクラブニュース」の元をとる記事に激しくがっかりした理由

(ペイレスイメージズ/アフロ)

元をとる記事

先日、非常に残念な記事を拝見しました。

それは月刊誌「レタスクラブ」のウェブ版「レタスクラブニュース」で配信された記事です。

以下の書き出しから始まります。

決まった金額で、好きな物を好きなだけ食べられる“食べ放題”。

しかしいくら食べ放題といえど、元を取るのは至難の業ですよね。

そこで今回は、食べ放題で元を取るコツを徹底伝授。

出典:1度に大量の料理を盛りつけるのはNG!?“食べ放題”で金額の元を取るテクニック

記事では「食べ放題で元を取るコツを徹底伝授」として、2019年年2月放送「リトルトーキョーライフ」(テレビ東京)と2017年10月放送「マツコの知らない世界」(TBS)を紹介しています。

前者では食べ放題マニアによる焼肉食べ放題で元をとるコツとして、原価の低いカルビやカレーではなく、原価の高いロースやタンやフルーツを食べることを勧めていました。

後者では孤独のスイーツファイターによるスイーツバイキングで元をとるコツとして、値段が高そうなスイーツを選び、移動の時間が面倒なので山盛りにして持って来るのがよいと述べています。

私はこの「レタスクラブニュース」の元をとる記事に対して、激しくがっかりしたのです。

ちなみに、原価の考え方に疑問符がつくところもありますが、当記事の本題ではないので触れません。また番組中や記事内ではコツを紹介した方の名前が掲載されていますが、個人を攻撃したいわけではないので、ここでは記載しません。

誤った認識が広まる

「リトルトーキョーライフ」は約2ヶ月前の放送と新しいわけではなく、「マツコの知らない世界」は約1年半前の放送と古いです。

そのため、元をとる記事は最近番組で反響があったから作成されたわけではなく、元をとる記事を作成したいがために、わざわざ探し出してきたと推測されます。

私は、客が自由に食べられるスタイルで、元をとるという考え方や手法、および、手法の促進に反対です。

大きな影響力を持つメディアがブッフェのマナーを全く考慮しない元をとる記事が制作されることによって、誤った認識が広まることを危惧しており、これまでの以下の記事を書いてきました。

なぜ今回の「レタスクラブニュース」の元をとる記事がよくないのか、説明していきましょう。

なお、話が逸れるので深入りしませんが、ブッフェ、ビュッフェ、バイキング、食べ放題という言葉の区別については、ここでは同じようなものだと思ってもらって結構です。

元をとろうとすることはよくない

元をとろうとすることは、よいことではありません。

あらゆる経済活動において、基本的に客が元をとれることは決してないでしょう。なぜならば、提供者は慈善事業を行っているわけではなく、利益を上げられるように値段を設定しているからです。

しかし、なぜブッフェになると、元がとれると浅はかに考えるのか、元をとろうと卑しくなるのか、元をとらなければならないと焦るのか、私には不思議でなりません。

元をとろうとするあまり、自分が好きでもなく、ただ単価が高いと思われるものだけを食べ続けることは、果たして楽しかったり幸せだったりすることでしょうか。

仮に元をとれたとしても、そのせいで飲食店が利益を上げられなくなってしまえば潰れてしまいます。それは目的としたことであり、満足なことなのでしょうか。

飲食店に不利益を与えて廃業に導くことを行ったり、その考え方を流布したり、手法を促したりすることは、利用者であってもメディアであっても、極めて異常な、お客様至上主義であると私は考えています。

一度ホテルなどのブッフェに訪れてもらえれば分かりますが、居心地のよい空間の中で、優に30種類を超える料理やデザートを自由に食べられることは、それだけで価値があることです。

しかし、元をとることにばかり注目していると、ブッフェにおける魅力に気付かなくなり、提供者にとっても、利用者にとってもよくない状況に陥ってしまいます。

元をとる信仰は、ブッフェの価値を不毛な数値(お金)に置き換えて、本質を見失う由々しき課題です。

ブッフェにもマナーがある

「ブッフェなのだから好きに食べてよい」と反論する方もいますが、正しくありません。

フランス料理であればカトラリの置き方やナプキンの使い方、日本料理であれば箸の持ち方や骨の外し方など、それぞれの料理にマナーがあることを意識している人は多いでしょう。ファインダイニングや料亭でなく、大衆的な居酒屋や毎日通う定食屋、さらにはファストフードであったとしても、当然のことながらマナーは存在します。

飲食店ではなく誰かの自宅に招かれたとしてもマナーはありますし、未開の土地で食事をとるにしても、その地域での作法が存在するでしょう。

しかし、どうしてブッフェになると「ルールがない」「マナーがない」と考えてしまうのでしょうか。

マナーが全く存在しない食事などありません。

ブッフェであれば好き勝手に振る舞って当然と主張することは、ブッフェであれば理性を失って利己的になっても構わないと、都合よく強弁するに等しいです。

では、ブッフェにおけるマナーとは何でしょうか。

ブッフェの原型であるスモーガスボードのマナー、バイキング給食における指導やガイドライン、一般社団法人 日本ブッフェ協会による提案を鑑みると、基本的には少量ずつ色々な種類を味わうことがブッフェのマナーです。

したがって、皿に山盛りに載せることも、栄養バランスや好みではなく高そうなものを選ぶこともよしとされていません。

食のマナーというと拒否反応を示す方もいます。しかし、食べ手を縛り付けることを目的としているわけではありません。

周りで共に食す人々と一緒に楽しく時を過ごしたり、作り手に敬意を示したりするために存在しており、マナーを覚えることによって、食べ手はよりよい食の体験が得られるのです。

豊かな未来を創るための国際社会共通の目標であるSDGs(持続可能な開発目標)では、食品ロス削減や食の資源を大切に食べることが重要視されています。こういった世界的な傾向を加味しても、元をとるためだけに、ただひたすら食べることは好ましくないのです。

メディアが促すことはよくない

元をとろうとすることは、よくないことであると説明しました。

しかし、元をとることを煽るようなコンテンツが、メディアでよく流されています。

テレビはもちろん、雑誌やインターネットなどの有名な媒体は影響力が大きいです。それだけに、元をとるコンテンツが流されることによって、視聴者や読者が誤った認識を持ってしまうことに危惧を覚えます。

「あくまでの個人の食べ方です」と注釈を加えたとしても、公のメディアで堂々と流されている情報は影響力が強いだけに、無理にでも元をとらなければと感じてしまう視聴者や読者は多いでしょう。

コンテンツを制作する際には、ブッフェのマナーをしっかりと調べて、正しいあり方を伝えるのがメディア本来の使命や役割であると思います。

日本ではもはや大量消費という時代ではなくなってきており、サステナブルな考え方も広まってきています。

また、限界を超えてひたすら食べ続けることを推奨したり、大食いや早食いを英雄視したりすることは、摂食障害および過食嘔吐の問題を恣意的に闇へ葬り隠し、醜悪なエンターテインメントを濫造することになるだけです。

地球に寄り添っていかなければならない時代であるからこそ、個を大切にしていく時代であるからこそ、元をとるコンテンツの制作は一刻も早くやめるべきではないでしょうか。

食のメディアが促すことはもっとよくない

メディアが元をとることを促すのはよくないと述べました。

特にメディアの中でも、食のメディアが元をとるコンテンツを作成して発信することは好ましくないと考えています。

なぜならば、食のメディアは、食材や生産者、料理人やパティシエ、サービススタッフなど食に関する物や人と密接に関わる立場にあり、食に対して敬意の念を抱かなければならないからです。

しかし、元をとるという考え方は、食に関わるものを尊敬する考え方と対極にあります。

本来は食を応援する立場にいなければならない食のメディアが、食の尊厳を貶め、食の従事者に不利益を被らせる記事を意図したことは至極残念なことです。

レタスクラブニュースは女性のための生活情報サイトです。身近な食材で簡単に作れるプロの料理レシピからダイエット、美容、健康、掃除、節約術、旅行まで生活で役立つニュースを毎日お届けします。

出典:レタスクラブニュース

そもそものところ、「レタスクラブニュース」における読者の多くは女性であったり、作り手であったりするので、元をとる記事はあまり喜ばれないのではないでしょうか。むしろ不快に感じる読者の方が多いように思います。

元をとる記事が、食とは関係がない、若者向けのメディアや大衆メディアで小ネタとして掲載されたのなら、よいとは思いませんがまだ理解できることです。しかし、「レタスクラブニュース」のような、普段から食の素晴らしいコンテンツを発信しているメディアに載せられたことは、とても残念で仕方がありません。

食の素晴らしさを伝えてもらいたい

ウェブメディアはとにかく多くの記事を配信する必要があります。

しかし、食のメディアで、食に対して敬意が感じられないコンテンツが制作されたのはなぜでしょうか。編集部が容認していることにも、私は少なからぬ危惧を覚えます。

こういったコンテンツが制作されないことを切望していますが、すぐに全てのメディアでというわけにはいかないでしょう。

ただせめて、食のメディアには、食に関わる人々に喜んでもらえたり、消費者に食の素晴らしさを気付いてもらえたりするコンテンツを追求し、食文化の発展に少しでも寄与してもらいたいと切に願っています。