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松本泰子が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#03

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉カーテンコール(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♪ 松本泰子の下ごしらえ

 通っていた幼稚園が教会の運営で、教会学校(註:キリスト教教会や仏教寺院の、幼児や児童への教育活動を目的とした集会。主に休校・休園日の日曜日などに行なわれていたため、日曜学校とも言われる)にも通うことになった。中心地から離れていたエリアだったが、立派な教会があり、そこで歌うと声が響いて、気持ちよかったというのが原体験になっていたようだ。

 また、家の隣には文房具や楽器も売っているレコード店があり、音楽教室を始めたので、半ば強制的にピアノを習うことになる。これは続かなかったものの、音楽への興味は持ち続け、中学時代にはNHKの合唱コンクール(Nコン=NHK全国学校音楽コンクール)にエントリーする時期だけ結成される合唱部に選抜されたりしていた。

 自分で曲を書き始めたのは高校生になってから。影響を受けたのは、アリスやかぐや姫、チューリップに始まって、だんだん尾崎亜美や山下達郎、矢野顕子、さらに1980年代アメリカン・ポップスへ。友人とバンドを組んで短大入学後も活動を続けるも、卒業を控えて「このままだと歌う機会がなくなる」と気づいた。

 そこで思いついたのが、ジャズを選べば上手な人たちに引っ張ってもらえて、仕事として成立するんじゃないか、という“よこしまな”アイデア。

 そんなときに出逢ったのが伊藤君子(ヴォーカル)や鈴木勲(ベース)だった。

 また、民族音楽の方面へ興味が移っていったのは、和田啓(打楽器)の影響。後々グループを組むことになる常味裕司(ウード)と出逢ったのもそのころだった。

♬ バッハの印象は“音楽室の肖像の人”

 幼稚園で賛美歌は歌っていましたけど、バッハは意識したことがありませんでしたね。音楽室に飾ってある肖像画の人だ、ってぐらいの認識。ピアノのお稽古で〈インヴェンション〉なんかはやったことがあったけど、「難しい人」という印象ですね。

 でも、違和感という意味では、子どものころからの音楽教育は西洋的なものばかりだったので、後にのめり込んでいった民族音楽に比べるとぜんぜんなかったですね。

 小学校からは普通の公立でしたが、教会学校には通い続けていたので、聖書には親しんでいましたし、聖書のなかにある言葉として“マタイ”というのは知っていましたけれども、そもそもバッハが歌曲を書いているなんて「意外〜」って感じでしたから。

 以前、女性デュオをやっていたときに、〈インヴェンション〉の1番(BWV 772)を扱ったことはあったんですが、バッハのレパートリーのなかに歌詞がある曲もあるってことは、恥ずかしながら今回初めて知りました。

♬ 社交辞令から始まった〈マタイ受難曲2021〉出演

 shezooさんとは、10年ぐらい前でしょうか、相方の和田が佐藤允彦さん(ピアノ)のグループのメンバーとして出演したときに観に行っていたんですけれど、そこにshezooさんが来ていて、初めてご挨拶させていただきました。

 実はそのときに、まったくクラシックじゃないヴォーカルの人たちと〈マタイ受難曲〉をやりたいと思っているっておっしゃってたんですよ。

 そのときは「おもしろそうですね〜」って、なにも考えずに、「私もやってみたいです」って言ってしまったんですけど。

 実際には、shezooさんのオリジナルを歌うユニットに参加するようになって、その何回目かに〈マタイ受難曲〉(のアリア)をちょっと歌ってみませんかって言われたんです。「あ、やるんだ」って、そのとき思いました。2〜3年前のことです。

 そのときは正直、できるかどうか、まったく自信がありませんでしたね。予習として名演と呼ばれているものも観たり聴いたりはしてみたんですけれど、ただただ圧倒されるだけ。

 私、地声で歌っている人なので、どうやって歌えばいいのかというところから考えなければならなかったんですよね。

 ただ、普段もフェイクをするときには高音域を使っていたし、齋藤徹さん(コントラバス、ベース)とデュオのユニットでも彼が作る曲がけっこう高音域だったりしたので、まるで手がつけられないという感じではなかったのですが、言葉がドイツ語というのには参りましたね。

 とりあえず名演を聴いてみて、それに倣って歌ってみるしかないかな、と。shezooさんはドイツ語での発音の仕方も録音してくれて、それを聴きながらというかたちで、とにかく始めました。

 歌っているうちに、声が少しずつ出るようになっていって、自分で言うのもなんですが“人間ってスゴいなぁ”って。

 “声が出る”というのは、まずその音域の声を出せるか、そして音符どおりに歌えるかというのが次に来て、そのあとに“曲が本来もっている言いたいことを自分なりに表現できるようになる”というところまでいけるかどうか、です。

 結局、2020年後半ぐらいで、だいぶ踏み込んだところまで曲について考えられるようになりましたけど。

 例えば、童謡の〈赤とんぼ〉に比べれば〈マタイ受難曲〉の譜面は音符の数もぜんぜん違う。そういう意味での練習のたいへんさというか、“作者の意図”のようなものを読み込んでいったりという部分が足りなかったりするといけないので、それを懸命にやっていたような気はします。やれたかどうかは別として。

 それって、ジャズだろうがバッハだろうが、結局は同じなんだろうとは思うんですけどね。

 そうやっていくうちに、shezooさんのオファーって、クラシックの人のように歌えということじゃなくて、“自分らしく歌ってくれればいい”ということだったということに、だんだんと気づいていくんですよ。とはいえ、そこにたどり着くのが難しかった。

 たまたま中嶋俊晴さんというカウンターテナーの方と、とても良いタイミングで出逢うことができたんですね。彼はドイツ語がいちばん得意で古楽も専門だったので、発音に始まり、〈マタイ受難曲〉のこの言葉が大切だとか、この部分はちょっと引いて歌っても大丈夫とか、そういうことを含めて教えてくれる機会をもてたのが、すごくラッキーでした。

〈マタイ受難曲2021〉で“歌い手”としてステージに立つ松本泰子(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉で“歌い手”としてステージに立つ松本泰子(撮影/写真提供:永島麻実)

♬ 本番直前でようやく見えてきた全貌

 本番が近づいてきてようやく、役者さんが入ったステージになるということが見えてきて、台本とか進行表のような「ここにセリフが入って、次に歌が入って」というものをいただいていたのですけれど、ゲネ(ゲネプロ、本番同様に舞台上で行なう最終リハーサル)のときにようやく全体がつかめたというか、それでさらに混乱したというか……。

 私はセリフもあったんですが、キュー(演技・音楽・撮影その他の進行開始の合図)を出してくれる人もいないから、そういうタイミングを練習できるのもゲネのときが最初で最後。正直、もう2回ぐらいゲネができたらなぁって思いましたね。

 本番に関しては、ようやくそのちょっと前からこの〈マタイ受難曲2021〉に出演する人たちが顔を合わせられることになって、みんなすごい集中力でこの舞台に臨もうとしていることを肌で感じていましたから、そのパワーの結晶みたいなものがバーンッと本番で炸裂して、スゴいなぁ、やっぱりみんなプロだなぁって思いなからステージに立っていましたね。

 この〈マタイ受難曲2021〉の特別なところといえば、ヴォーカリストが4人も同時に出ているということなんですよね。普段のライヴではなかなかこういうシチュエーションがないから、ヴォーカリストが近くにいるという楽しさを味わうことができましたし、全員が合唱するときに鳥肌が立つ瞬間を感じることもできたりしましたし。

 2日目の公演が終わった後、shezooさんが「またやろうよ」って言ったんです。

 これだけのものをみんなで作ることができた。もっと回を重ねたら、絶対にもっと良くなると思うし、コロナ禍の状況で観ていただくという厳しい条件下でもあったから、そうじゃなくなってからもっと多くの人に届けたい、って。

 オリジナルからかけ離れた内容だからとか、賛否はいろいろあると思いますけれど、興味をもってくれる人を増やすということでは、とても意味があったと思います。

 私自身、まだまだ成長の余地があると感じさせてくれたステージでもあったし、このために練習してきたことも踏まえて、自分で“ここまでしかできない”って決めつけないで、ヴォーカリストとしてもっといろいろな声が出せるように追求していきたいと思うことのできた、自分のキャリアにとっても大切なコンサートだったと思っているんです。

〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)

Profile:まつもと たいこ ヴォーカリスト

埼玉県加須市出身。幼少より教会で聖歌に親しみ、ピアノのレッスンを始める。10代半ばでシンガーソングライターとしてライブ活動を開始。大学終盤でジャズヴォーカルと出逢い、伊藤君子(ヴォーカル)に師事。鈴木勲(ベース)のグループにも参加。1986年にUCCジャズヴォーカル新人コンテスト特別賞受賞。1990年から民族音楽に傾倒し、日本の童歌、民謡をはじめアラブ古典、そして自らの作詞作曲によるオリジナルなども手掛ける。1998年RabiSari(常味裕司 / ウード、和田啓 / ハンド・ドラム)を結成、『RabiSari』(2000年)、『RabiSari II』(2002年)をリリース、2005年にはポルトガル~ルーマニア公演を実施。2003年SohLa(和田啓 / パーカッション、塩谷博之 / ソプラノ・サックス、小松玲子 / マリンバほか)を結成、『SohLa I』(2005年)をリリース。2009年『Luz Azul』(錦田知子 / ヴィオラ、喜多形寛丈 / ピアノ、小松玲子 / サヌカイト、常味裕司 / ウード)をリリース。2011年高橋竹童(津軽三味線)のフィリピン、ベトナム公演参加。2012~13年佐藤允彦「ランドゥーガ〜スリランカ公演」に参加。2015年『ウタウタ』(喜多直毅 / ヴァイオリン、長谷川友二 / ギター、和田啓 / パーカッション)をリリース。2019年故・齋藤徹(コントラバス)とのデュオ作品『Sluggish Waltz』をリリース。

松本泰子(撮影:赤坂久美)
松本泰子(撮影:赤坂久美)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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