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冬休みだからスウェーデンのジャズを聴いてみた

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
スウェーデン・ストックホルム(写真:アフロ)

プロローグ

 なぜ冬休みとスウェーデン・ジャズが関係しているのかは、まったく根拠がありません。

 というのも、この記事を書こうと思ったのが、夏休みになろうとするあたりにスウェーデン大使館から送られてきたインフォメーション・メールで、そこに「スウェーデンのジャズについて発信して!」という一文があったことから。

 つまり、動機が気まぐれというかいいかげんというか……。とかなんとか言っているうちに冬休みも終わってしまい、ますますいいかげんなのですが(笑)。

 でも、調べはじめてみると、スウェーデン・ジャズ、深い!

 ということで、スウェーデン・ジャズのグッと来るところをざっくりまとめてみたいと思います(;^^)ヘ..

E.S.T.

 E.S.T.とは、エスビョルン・スヴェンソン・トリオの略。

 ピアノのエスビョルン・スヴェンソン、ベースのダン・ベルグルンド、ドラムスのマグヌス・オストロムによって1993年に結成されたピアノ・トリオで、エレクトロニック・サウンドをいち早く取り入れるなど、実験的である一方で、耽美的なジャズ・ピアノを踏襲。ハイブリッドなジャズの先駆者として世界的な注目を浴びる存在となりました。

 残念ながらこの革新的なピアノ・トリオは、エスビョルン・スヴェンソンが2008年にスキューバダイビングの事故で亡くなってしまったのでその歩みを止めてしまいましたが、マグヌス・オストロムとダン・ベルグルンドがハンス・エク(編曲家・指揮者)とともに進める“E.S.T.シンフォニー”のプロジェクトを含め、ピアノ・トリオのアプローチに多大な影響を残して、いまもその輝きを失っていません。

モニカ・ゼタールンド

 1937年生まれの歌手・俳優。彼女のジャズ史に遺る業績は、なんといってもビル・エヴァンス(ピアノ)と共演した『ワルツ・フォー・デビイ』をリリース(1964年)したこと。

 このあたりの経緯は、自伝的映画『ストックホルムでワルツを』(日本公開は2014年)で詳しく描かれていましたが、向こう見ずで無鉄砲としか言い様がないその行動力があったからこそ、名盤が生まれたとも言えるのでしょう。

 幼いころから耳で覚えて歌っていた英語のフィーリングがアメリカでも認められたことも特筆すべきことですが、スウェーデン語で歌うジャズを確立させたという意味で、ジャズの多様性に先鞭をつけたイノヴェーターだったと思います。

ロータス

 1970年代半ばにアルバム2枚をリリースして解散してしまった幻のバンド、というのがロータスです。サウンドは当時のイギリス〜アメリカで台頭し始めていたジャズロックを取り入れ、変拍子にあふれながらもなぜかメロディは親しみやすいという、中毒性たっぷりなバンドなのです。

ラーシュ・グリン

 バリトン・サックスを演奏するラーシュ・グリンは1928年生まれ、1976年に48歳で亡くなる長くはない演奏人生でしたが、スタン・ゲッツやクインシー・ジョーンズの作品への参加や、アーチー・シェップやチェット・ベイカーとの共演作など、その活動はメインストリーマーとしてたたえられるにふさわしいものだったといえるでしょう。

ボボ・ステンソン

 ボボ・ステンソンは1944年生まれの77歳で現役。10代のころと言いますから1950年代のモダンジャズ黄金期にソニー・ロリンズやスタン・ゲッツ、ドン・チェリーといったジャイアントたちの来訪時にセッションで迎えたという経歴の持ち主です。自己名義のアルバムはECMレーベルからのリリースが多く、日本でもその清涼感のあるサウンドに多くのファンが魅了されているという、ヨーロピアン・ピアノ・ジャズの“開祖”的な存在と言えるでしょう。

エイエ・テリン

 エイエ・テリンは1960年代後半から1970年代にかけて活躍したトロンボーン奏者。その演奏スタイルの特徴は、フリー・ジャズにおいて多くの演奏者が準拠しようとしたジョン・コルトレーンの“シーツ・オブ・サウンド”をトロンボーンに導入したもので、超越的なテクニックによりトロンボーン奏者から賞賛を集める存在でした。トロンボーン好きにはたまらない、吹きまくるエイエ・テリンをお楽しみください。

ベント・パーソン

 ヴィンテージ・スタイルのトランペット奏者。1947年生まれの彼のプレイからは、ルイ・アームストロングへの敬愛をたっぷりと感じることかできるでしょう。スウェーデンのジャズ・シーンにしっかりとニューオリンズ〜スウィングのスタイルが根付いていたことを教えてくれる人物です。

ラスマス・フェイバー

 ラスマス・フェイバーは1979年生まれのマルチ音楽クリエイター。ジャズ・ピアニストとしての活動のみならず、クラブ・シーンを牽引する影響力をもったプロデューサーでもあります。

 日本との結びつきも強く、2009年にスタートした“プラチナ・ジャズ”シリーズでは日本のアニメソングをジャズにアレンジした作品を発表。なかでも「はじめてのチュウ」は動画共有サイトで180万回再生を記録するなど大きな反響を呼んでいます。

アンデルス・ベルグクランツ

 ストレート・アヘッドなジャズ好きにはたまらないハードバビッシュなプレイを堪能させてくれるのが、トランペット奏者のアンデルス・ベルグクランツ。1961年生まれでこれからが円熟期と、期待値の高いプレイヤーです。

マルガリータ・ベンクトソン

 1980年代後半から2000年代半ばにかけて世界的な注目を浴びたアカペラ・グループ“ザ・リアル”のソプラノを担当していたのがマルガリータ・ベンクトソン。2006年に独立してソロ活動を始め、瞬く間に北欧の歌姫としてその地位を確立しています。

イザベラ・ラングレン

 イザベラ・ラングレンは18歳から20代前半をニューヨークで過ごし、ストックホルムへ戻ると牧師になる勉強を始めたという異色の経歴をもつジャズシンガー。2012年にアルバム・デビューを果たし、30代半ばとなる現在は“スウェーデン最強”と呼ばれる、名実ともに北欧を代表するシンガーに成長している存在です。

レナ・ラマ

 ベングト・ベルガー(ドラムス)、パレ・ダニエルソン(ベース)、ボボ・ステンソン(ピアノ)によって1971年結成、レッナルト・オーベリ(サックス、フルート)も合流して活動を本格化し、1973年には国内のジャズ・アワードを受賞してアルバム・デビュー。1975年にはベルガーが抜けてリロイ・ロウ(ドラムス)に、1980年半ばにはダニエルソンからアルデルス・ヨルミン(ベース)、ロウからアンデルス・シェルベリ(ドラムス)に交代、1993年に解散──というのがレナ・ラマの概略。

 アフリカの伝統的な民族音楽、パキスタンやバルカン半島の歌謡曲からの影響をコンセプトに盛り込んで、ワールド・ミュージック的なアプローチのジャズの先鞭をつけたイノヴェーター的な存在のバンドです。

カーリン・ルンディン

 国内では実績を認められている実力派のヴォーカリスト。例えば、2007年からスウェーデンのジャズシンガーに授与されている“アニタ・オデイ賞”の初代受賞者が彼女だったりします。声域はミディアム、細すぎず太すぎず、そのバランスの良さが人気につながっているのではないでしょうか。

ジーンーシモン・モーリン

 父はフランス人、母はスウェーデン人というピアニストのジーンーシモン・モーリン。マルメ音楽院でヤン・ラングレン(ピアノ)に学び、ピアノ教師として活動するかたわら、ビッグバンドにも所属。2006年にアルバム・デビューを果たしてからもマイペースながら活動領域を広げています。

ピーター・アスプルンド

 ピーター・アスプルンドは1969年生まれのトランペット奏者で、歌も歌い、曲も作ります。スウェーデンを代表するストックホルム・ジャズ・オーケストラへの参加や、シンガーソングライターのリラ・リクダールやヴィクトリア・トルストイ(ヴォーカル)の作品に名を連ねる一方で、スウェーデン室内管弦楽団とのコラボといった幅広い活動を展開。ヤン・ラングレン(ピアノ)とのコラボレーションも見逃せないところでしょう。

 ソロ名義の作品では、ハードバッパーとしての攻撃性とクールでチルアウトな二面性を見せてくれています。

ソフィア・ペターソン

 1970年生まれのシンガーソングライター。アルバム・デビューは1998年、スティーヴィー・ワンダーやダニー・ハサウェイ、ポール・サイモン、ジョニ・ミッチェルといったアメリカン・ポップスを愛して育まれた音楽観とキュートなヴォイスによって高い人気を誇っているシンガーです。

ヤコブ・カールソン

 1970年生まれ、ヨーロッパ全域にその名を知らしめている独自のスタイルを完成させたピアニスト──というのがヤコブ・カールソンです。あえて例えれば、E.S.T.の継承者にして進化形といったところでしょうか。プログラミングやエレクトロニック・サウンドを幾何学的に重ね合わせて生み出すその世界は幽玄であり、異次元の既視感をもたらすファンタジーと言うべきなのかもしれません。

クリスティーナ・グスタフソン

 1970年生まれ、姉のリーグモル・グスタフソンとともにアニタ・オデイ賞に輝くシンガー姉妹の妹。

 15歳でクラシック・ギターを習い始め、歌い出したのは16歳。生まれ故郷の農村からストックホルムへ移ると歌手活動を本格化して、瞬く間に頭角を現わしました。1990年代半ばにはニューヨークへ渡ってニュースクール大学に学び、帰国すると実績を重ねて2007年にアルバム・デビュー。

 ジャズを専門的に学んだ経歴をもつ彼女ですが、シンガーソングライター的な才能も発揮して、そのポップな歌唱でオリジナリティあふれる活動を続けています。

エリック・シューデルリンド

 1981年生まれのギタリスト。6歳でギターを手にし、エリック・クラプトンやB.B.キングらブルースを得意とするギタリストをアイドルとして成長。その過程で出逢ったウェス・モンゴメリー、ジョージ・ベンソン、グラント・グリーンといったジャズ・ジャイアンツにも魅せられていきました。

 2015年にスウェーデンのギタリストに贈られる最高賞を授与され、国内のみならず世界的な注目も集める存在になっています。

カール・マーティン・アルムクヴィスト

 1968年生まれのテナー・サックス奏者。スウェーデンで音楽的教育を受けた後、ニューヨークのマネス音楽大学に留学してジョージ・ガゾーン、ボブ・ミンツァー、リッチー・バイラーク、レジー・ワークマンらに学びました。スウェーデンに戻ってからはコンテンポラリー・ジャズのシーンを牽引する活動を続けています。

キェル・オーマン

 1943年生まれ、2015年に逝去したピアニスト、オルガニスト。テレビ番組のミュージック・ディレクターとして活躍、レコーディング・ミュージシャンとしては実に8千以上の収録に参加した記録が残っています。

 自己名義の代表的な活動として挙げられるのが、1987年結成のオーマン・オルガン・グラインダーで、モダンなピアノ・スタイルとはまたひと味違ったオルガン・サウンドをスウェーデンにもたらしました。

ヨハンナ・グリュスネル

 住民のほとんどがスウェーデン系というフィンランドのオーランド諸島出身で、現在はスウェーデンのストックホルムを拠点に活動する1972年生まれのシンガー。

 伸びやかな声質のエンタテインメント系ながら、バークリー音楽大学とマンハッタン音楽大学に学んだジャズ・フィーリングをいかんなく発揮しています。

 進行性の難病を患いながらも、音楽教育やトリビュート・コンサートの企画・出演、被災地や紛争地域への支援活動などにも積極的に取り組んでいます。

まとめ

 モニカ・ゼタールンドの自伝的映画『ストックホルムでワルツを』(日本公開は2014年)では、スウェーデンの1960年当時のジャズ・シーンを“アメリカのコピー”というニュアンスで描いていました。つまり、スウェーデンらしい独自性を表現することは受け容れられにくく、西側自由主義経済の栄華を誇っていたアメリカの“文化としてのジャズ”を無条件に受け容れることのほうを是とした空気感があった、ということです。

 それに抗い、スウェーデン語で「ワルツ・フォー・デビイ」を歌ったのがモニカ・ゼタールンドで、1970年代以降のアメリカのジャズ・シーンの変化とともにスウェーデンでもオリジナリティあふれるジャズが醸成されるようになっていったことが、こうして振り返ってみると伝わってきます。

 日本でも似たような経緯があったような……、と重ね合わせてみると興味深い発見がまだまだありそうですね。これを機会に、もうちょっとスウェーデンのジャズ、深掘りしてみようかな。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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