映画「ニューヨーク 親切なロシア料理店」は崩壊する家族と他助のコミュニティという新旧を軽やかに描く

「ニューヨーク 親切なロシア料理店」チラシ(筆者撮影)
「ニューヨーク 親切なロシア料理店」チラシ(筆者撮影)

「ニューヨーク 親切なロシア料理店」のキーワードは3つ

単館系の映画は邦題付けに苦慮しているようすがうかがえることも多いのだけれども、この映画のタイトルは適切だと強く感じた。

原題は「The kindness of Strangers」、“異邦人たちの親切”だ。

原題もテーマがズバリだけど、邦題は「誰が、どこで、どうした」の要素を盛り込み、より記憶のきっかけを増やしてくれている。

「ニューヨーク 親切なロシア料理店」のアウトライン

冒頭から朝のベッドの接写。ちょっとエロティックな期待も抱きつつ、それがすぐに“事件”の始まりに繋がっていくという、無駄のない導入。

女性が家を出るという感情的な性急さを、ボクには共感できないながらも納得させるに足る幕開けだ。

小さな息子たち(小学校高学年と就学前といったところだろうか)を連れて自家用車でマンハッタンヘたどり着くも、クレジットカードはもちろん車の名義も逃げ出してきた亭主のもので、すぐに所持金は底をつき、車も失って“ホームレス”になってしまう。

たまたま潜り込んだ創業100年の老舗ロシア料理店や救急病院、教会を借りて開かれていたセラピーの会などを舞台に、母と子3人と、彼らと距離を縮めたり伸ばしたりしながら交錯する人間模様を描いたドラマ。

家を出た母子を警察官の父が追うくだりはミステリー仕立てになっている。

個人的ツボ

“手先も人付き合いも壊滅的に不器用”なジェフに、なぜかとても感情移入してしまった。ヒューマン・ドラマに登場する、いわゆる“天使”の役どころといったらいいだろうか。

もしかしたら監督は最初、ジェフを主人公に映画化を考えていたんじゃないかと思ってしまったのだが。

どの職に就いても一日ともたないジェフが、エンディング近くでロシア料理店「ウィンター・パレス」のドアボーイとして働くようになったシーン。彼は大きなバラライカ(ロシアの民族楽器で三角形の胴のギター的なもので、ウクレレか小型ギターくらいの大きさがレギュラーだと思うのだが、ジェフが持っていたようなでっかいバスバラライカがあるのかデモンストレーション用なのかは不明)を弾くシーンが挿入されていて、興味津々。

まとめ

家庭内暴力や女性の自立、路上生活から抜け出す難しさなど、社会問題を満載しているのに、ロードムーヴィー的な疾走感があって脳にもたれない。

息子たちがなにかの才能を発揮しそうなのに、貧困がそれを妨げようとするせめぎ合いはリアルな感じで、子どもが解決してしまうという安易な設定(「ホームアローン」的な?)に近寄らず好感(^o^)

“親切な”は原題ではKindnessで、観る前は欧米のキリスト教的なニュアンスがあるのだろうと勘ぐっていたのだけれど、観終わった印象では日本で言うところの“下町人情”を強く漂わせていて、そのへんがこのストーリーを浮き世離れさせずにしていたんじゃないかと思ったりする。要するに“神”という“第三者”を介在させるのではなく、そこに居る人たちの話にしているということかな。

マンハッタンの“ロシア”のイメージを軽く揶揄していたりと、何年経っても“移民”の問題は地下水脈のように流れ続けていることを改めて気付かされるような、決してハッピーエンドではないけれど“未来”がないわけでもないんだなあというメッセージを受け取ることができるような作品です。

インフォメーション

ニューヨーク 親切なロシア料理店

公式サイト http://www.cetera.co.jp/NY/