多様化で閉じていく音楽はどうすればヒラクのか?「音楽がヒラク未来」報告会に参加して

東京・上野の東京文化会館で2018年3月2日に開催された「音楽がヒラク未来」という報告会に参加しました。

「音楽がヒラク未来」というのは、「音楽がもつさまざまな可能性と、社会に果たしうる文化施設の役割を、アーティスト、行政、企業、市民らとともに模索する」ことを目的に立ち上げられたフォーラム事業。

2017年度のこの事業計画に対して、東京(東京文化会館)、上田(上田市交流文化芸術センター サントミューゼ)、北九州(北九州芸術劇場)、札幌(札幌コンサートホール Kitara)の4都市にあるホールが、それぞれの施設を拠点に前記のテーマに沿った活動を行ない、その総括として開催されたのがこの日の「実施報告会」でした。

当日は、12時30分の開会から19時15分の閉会まで、5部に分けての長丁場。報告だけでなく、パネルディスカッションやワークショップを盛り込むなど、多面的なプログラムとなっていました。

参加者として、この「報告会」とフォーラム事業への所感を綴ってみたいと思います。

全国4館連携フォーラム実施報告会の概要

「音楽がヒラク未来」のチラシと当日配布の資料(著者撮影)
「音楽がヒラク未来」のチラシと当日配布の資料(著者撮影)

以下、当日のメモをもとに、どのようなことが発信されていたのかをレポートしてみたいと思います。

まず最初は、クロストーク#1「4館担当者による成果報告会」と題して、このフォーラム事業に参加した4つのホールの担当者が、実施した活動の報告を行ないました。モデレーターは吉本光宏さん(ニッセイ基礎研究所)。

●札幌コンサートホールKitara(桐田郁さん)

市内小学6年生の無料招待などアウトリーチを実施

☆オルガンアウトリーチコンサートへの応募が少ない

→競合もあるが周知されていない?/カリキュラム過密で受け容れる余裕がない

Kitara Kidsミュージック&アーツクラブ

これをふまえて、2日のプログラムを実施

地元アーティストによるワークショップ

パイプオルガンの活用

「ひろがる!つたわる!オルガンのひびき」を実施

 ゲーム、ポジティフオルガン、ステージ(小ホール)での鑑賞など工夫も

 リハーサル室でオルガン浴

もっと知ってもらうために→報告会ではなく体験会

「オルガンアウトリーチ」の成果

 子どもたちに物語をつくってもらい、オルガン奏者が即興演奏する

 地元音大との連携

課題

 教育現場との連携→さらに密に広く

 「ひろがる!つたわる!オルガンのひびき」のブラッシュアップ

●東京文化会館(梶奈生子さん)

2017年5月に2日間実施「東京フォーラム」

東京文化会館のミッションとして

人材の育成→ホール側のスキルアップ

☆未来に向けた育成のための連携

1.発信プラットフォームの必要性

 専門性をもった人材の不足

 実務担当者の交流の必要性

2.セクターを越えた協働/連携

 「クラシック音楽にはカベがある」

 アーティストを交えた対策

 →「とりあえず」でもいいから具体策の実施

3.社会に寄り添う活動

 単発ではなく継続

 音楽家を身近な存在に

 支援制度の必要性

予算格差を解消しながら“場”を提供

●上田市交流文化芸術センター サントミューゼ(田澤拓朗さん)

ホールと商店街(2日目)で開催

「アートと街が出逢うための架け橋」

音楽家の社会への還元の意識喚起

公共施設としての数値化の必要性と難しさ

アートは数値化できない投資

共有できるという重要性

「聴くことに集中する体験」の提供→ホールの意味

犀の角・HanaLabとの連携で“街へ出ること”の意義を実感

●北九州芸術劇場(大橋由貴さん)

商業施設内のホールという特殊性

「芸術の越境」

多様なアーティストが一堂に会することの意義

「聴く」←身体で、心で、人と人の関わりで

“越境”でハードルが高くなることもあるが…

継続してコラボレーションのプロジェクトが立ち上がっているものも

派生したプロジェクト→これまでの劇場との関係を超えたサポートの必要性

新たなプログラムの策定へ

東京は本当に恵まれているのか?→地方との連携

90%のアーティストが東京に集中

しかし活躍できるのは一部

地方に活躍の場を広げるために

「聴くこと」がコミュニケーションの始まり→音楽を「聴くこと」の重要性を再確認

アウトリーチのプログラムを考えるときに改めて「聴くこと」から見直す

ワークショップ「聴くことからはじめよう」

東京文化会館の大会議場から小ホールへ場所を移し、ステージのうえで参加者を対象にしたワークショップが開催されました。もちろんボクも参加。

20人ほどの参加者は、入場前に自分の名前を書いたガムテープを胸に貼り付け、身軽な服装になってステージに上がります。

時間になって登場したのは、ピアニストの仲道郁代さんと、ダンス・カンパニー“セレノグラフィカ”の隅地茉歩さんと阿比留修一さん。

このワークショップは、セレノグラフィカの2人の指導で身体を動かしながら、そこに仲道郁代さんのピアノが重なっていくことでどのようなことが起こるのかを体験するというもの。

北九州フォーラムで実施された内容をさらにブラッシュアップしたものが、この日にお披露目されることになりました。時間は1時間半ほど。

なお、仲道郁代さんはこのフォーラム事業の芸術監督・監修を担当しています。

ピアノを囲んで参加者がステージに並んだところからスタート

 身体を動かす

   ↓

 音を感じる

   ↓

 音を感じながら身体を動かす

   ↓

(ピアノの演奏を感じながら)パートナーの気配も感じながら動く

後半は初めての試み

→しかし身体は昔から知っていたのではないかと思われるような動きに

コンサートホールでダンスをすることは稀

音によって身体の動きが変わる?

照明もシンクロ(ホールならではのコラボレーション)

アーティストトーク「アートがもたらす未来」

再び大会議室に戻って、津村卓さん(一般財団法人地域創造)のモデレートによるトーク・セッションが繰り広げられました(約1時間)。

「聴く」姿勢によって感じ方は変わる

音は見えない

なにを感じたのかを表現しづらい

ワークショップには必ずミッションがあるので、コンサートと組み合わせるのは難しいかも

☆芸術の越境

→自分のフィールドではないところへ行く

 手放すことであり、なにがなんでも「持っていたい」ことがわかることでもある

音楽とダンスは仲が良い?

当たり前の相棒だが、(ダンスのBGMは)既成音楽であることがほとんど

生は少ない

そこに演奏者がいることで大きく違ってくる

身体を伴った相手との共同作業→向き合うことを余儀なくされる

厄介さと悦びが同居している

「言葉のない会話」「1音1音を感じる」「誰かと一緒に“音楽”になれた」

ダンスによって音楽が身体感覚を引き起こす可能性が見えた

身体感覚は五感のなかで反応がいちばん遅い

身体が奏でられていない音を埋めているのではないかと感じる瞬間がある

音楽が身体を侵食する=越境

音楽(抽象)と演劇(具象)のぶつかりで生まれるもの

なにをその音楽から汲み取ってもらいたいのかを演奏家が定める必要がある

相手の芸術を“使って”する表現は“道具”にしているにすぎない

越境することで初めて音楽でなにができるのかがわかるのではないか

なにが「ひらく」のか? を考えることが重要

旅するムサビプロジェクトの紹介

福島県柳津町の小学校で黒板アート

バスにラッピングして絵を残すことに

→柳津まちなか美術館

芸術は体験でしか伝わらない

アートは硬直化した地域を柔らかくする

芸術の担保性を明確にしないと道具でしかなくなってしまう

芸術は人と人のつながるときの接点になりうる

それだけに安易な使い方をすると芸術本来の力を失ってしまう

アウトリ―チは「教えに行く」のではなく「教えてもらいに行く」

アーティストが与えられるのは究極的には“感動”である

一般の授業は「知識を得る」ためのもの

それをどう使うかという「想像力」は芸術が担当する領域

そのためのプログラムを考えるべき

芸術の社会性(社会にどう向き合うのか)を考えることが求められる時代

どんなに良い芸術でもそれを感じる人がいなければ成立しない

力のある芸術を提供して体験してもらうことがますます重要に

アウトリ―チによって「クラスの景色が変わる」→成長につながる

アウトリ―チの第一歩は好奇心をもってもらう

「先生と生徒」にならないように

「聴く」は「見聞きする」こと

探すマインドをもつ人間になれるように

クロストーク#2「音楽がヒラク未来の実現に向けて」

前半の4館報告を受けるかたちで、津村卓さん、吉本光宏さん、三好勝則さん(アーツカウンシル東京)に仲道郁代さんを交えたトーク・セッションが行なわれました。

アーティストが舞台にいて観客は客席にいるという概念が変わった

音楽は「想いを伝える」

「ひらく」ことで五感+心(六感)

「つながり」を見える化する実例

「新しい広場」の創出

発信側も受信側も同じ場・空間にいることの必要性・重要性

「アーティストを育てる」「将来アーティストになりうる人を育てる」ことが文化施策のひとつに

音楽のために作られた空間を使うことの意義

アーティストが言葉で発信することの重要性を改めて実感

公共ホールが公共であることの意味を考えているのか

社会包摂のために(だけ)芸術があるわけではない

それ自体に価値があることをアーティスト自身が理解していなければならない

アートをツールにしないために

☆なにをすればいいのか

ホールとアーティストが一緒に作業することが重要

共同してなにができるのかをイチから考える

共謀してできること→新しいものを生み出す

閉ざされた空間で好きな人のために存在するのが音楽なのか、をアーティストは問い続けるべき

2020年文化プログラムに向けて「越える」べきことを考える

ベートーヴェンのハンマークラヴィーアを弾き続ける決意

閉会に寄せて「音楽がヒラク未来のこれから」

クロージングでは、このフォーラム事業の音楽監督・監修を担当する仲道郁代さんから熱い想いが語られました。

広がり

→意味と課題が見えてきた

→共有する動きにどうつなげていくか

ジャズ・ライターとしての感想

まずこのフォーラム事業の「どこに興味をもったのか」からお話ししましょうか。

大前提として、ホールは“殿堂”と呼ばれる、すなわち閉じたブランド化によって成立していたと言えます。

閉じているからには、“よそ見”せずに自らのブランド価値をあげればいいわけで、そのブランド価値に対して自治体などの補助金が流れ込み、win-win の関係が築かれる、という構図が成立するわけです。

そうしたバランスが、多様化や人口減少、公的施設の役割についてのパラダイムシフトなど諸々の変化によって崩れ、そのことがこうした“公共施設を外にヒラク”と言う発想に繋がっているだろうことは、想像に難くなく、そんな危機感によって当事者から発せられる内容を知っておきたいと思ったのが、今回の参加の主な動機でした。まぁ要するに、野次馬根性以外のなにものでもないわけなのですが…。

そしてもう一点は、クラシックの殿堂として日本のホール文化の頂点に立つとも言える東京文化会館を舞台に、そうした既成概念を崩す方向性がどれだけ示し得るのかという、ある意味でこのフォーラム事業がお題目を掲げただけで終わるのか終わらないのかどうかを確認するために来たと、という意味も大きかったりしたのでした。

結論から言えば、このフォーラム事業の企画立案から運営に至るまで、よく言われるような町おこしの東京の広告代理店が考えたような内容でないことはすぐに伝わってきました。

しかし、それはまた、そんな護送船団方式的な画一論では対処できないほど、ここに提起されている問題が解決し難いものであることを示すことにもなっていたのですが…。

もう一つ、当日の報告会をとおして最も事前の予想を裏切ったのが仲道郁代さんのポジションでした。

彼女が音楽監督・監修者であることは予めインフォメーションされていたことでしたが、ホールの運営や地域との関わりを考えるベクトルの上にアーティストはそれほど絡むことはないだろうというのが事前の印象でした。

もちろん、アーティストのネームバリューを活用した地域興し的な企画は実績があり、それを否定するものではありません。

だから、少なくとも“仲道郁代音楽祭”としてこのフォーラム事業が動いてたとしても、ボクはそれが“彼女のスタンスをこの事業がシンボリックに利用しただけ”として納得していたに違いなかったわけです。

しかしその予想はまったく、しかも良い方に裏切られました。

このフォーラム事業の軸が、実は地域でもホールという施設でもなく、音楽の在り方という、より深く本質的な部分に踏み込みえたのは、比類なき音楽をピアノから引き出す才能を有している仲道郁代というアーティストの熱意によって形成されたことを知ることができたーーそれこそがこの報告会に参加した最も大きくて重要な“果実”だったと言っていいでしょう。

では、彼女の熱意で提起された問題が解決に向かうことができたのかと言えば、その点に関しては、なお慎重な検証が必要だというのが正直な感想です。

ここでは事業の実務的な有効性はひとまず置いて、ボクが個人的に感じた温度差の部分にのみフォーカスすることで、僭越ながらこの事業の“踏み台”にでもしていただければと、口出しをする次第です。

当日、最も大きく感じた温度差は、「音楽がヒラク未来」というテーマを支えるものとして、音楽が“開いていなかった”という前提から始められている部分。

もちろん、この部分の欠落を切実に感じたからこそ、仲道郁代さんの心に火を灯し、全国4館にその“共感”が広がっていっただろうことは理解しています。

しかし、音楽は“開いていなかった”のかと言われれば、ジャズを知る者にとって、うーんと唸らざるを得なくなってしまうのです。

ジャズを誕生させたと言われるニューオーリンズでは、ストリートこそが音楽の現場だったことをはじめとして、ポピュラー性を高めていく時期にクラシック音楽に倣う形でクローズしていく局面を何度も迎えたにもかかわらず、そのたびに反作用的な“ヒラク”圧力が発生。その結果として“二重構造”と呼べるほどの複雑な表現手法を身につけていった“前例”があったからです。

日本では例えば、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という惹句に連動するような、独自の即興的アプローチを発達させたという歴史もあります。

今回の報告会では、テント劇場など屋外活動を派生させていった劇場の歴史を踏まえた視点や考察があまり見られなかったことが残念に感じたことも。

また、上田フォーラムでは、「アートと街が出会う瞬間」と題して、商店街の施設とリンクしたイベントを実施した報告があり、個人的にとても興味を抱いたのですが、これに関してもストリート・ジャズ・フェスティバルなどの“先行事例”を有しているジャズのことが頭に浮かび、しかし決して成功事例になり得ていない問題点の検証がされていなかったようです。

日本では野外コンサートが経済的淘汰を経て孤立化している感が否めず、企画力の膨大なストックをもつホール側からのアプローチのなかから街や自然といった外的環境との連携を模索するなかで、新たな音楽体験を可能にする場づくりを期待したかったので、あえてこの点には触れさせていただきました。

ボクは、この事例の延長線上に、ソニー・ロリンズが1985年にニューヨーク近代美術館で行なった無伴奏ソロ(アルバム『ザ・ソロ・アルバム』収録)を日本でも実現できるような機会の創出に繋がることを夢見ているのです。

長くなりましたが、今回の報告会でこのフォーラム事業がかなりの痕跡を残し得たことを実感し、それ故に期待も膨らんで注文が湧いてくるという、自分でもびっくりするようなレポートになりました。

一朝一夕には叶わない事業であればこそ、さらに“ヒラク”ための“次の一手”を楽しみに待ちたいと思います。