【JAZZ】シニフィアン・シニフィエ「マタイ受難曲〜Matthew instrument sing」
“ジャズの醍醐味”と言われているライヴの“予習”をやっちゃおうというヴァーチャルな企画“出掛ける前からジャズ気分”。今回は、シニフィアン・シニフィエがバッハの「マタイ受難曲」に挑戦するステージ。
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前回(「【DMJ】楽譜の意味と演奏者の概念を融合させる新現代音楽(シニフィアン・シニフィエ@横濱エアジン)」では首謀者であるshezooに概要の一部を語ってもらったシニフィアン・シニフィエ。
まだまだその全貌がつかめない、まさに音楽の現代性をパフォーミング・アートしているような集団だが、彼らが今回挑戦するのは、バッハの「マタイ受難曲」だ。
そもそもシニフィアン・シニフィエは、現代音楽をスタイルにこだわらず演奏することを目的として結集したプロジェクトだ。
そこには、譜面を介在としながらも譜面にはない音を求めたいというジャズ系のミュージシャンならではの情動が加わり、彼らのライヴは現代音楽の枠に収まりきれない膨張感を醸し出している。
その膨張部分の一角に、いつもバッハの影があるのが気になっていた。プログラムに並んだ20世紀の音楽家たちの作品のなかに、18世紀前半に活躍したヨハン・セバスティアン・バッハの作品が何気なく紛れ込んでいるのだ。いや、まるで何気なくない。考えなければならないテーマとして最初から用意されているかのように、バッハはシニフィアン・シニフィエのプロジェクトに欠かせないマテリアルとして当初から組み込まれていた。
そのバッハを、今回は真正面から取り上げる企画になる。
これでは“現代音楽を取り上げるプロジェクト”ではなくなってしまうが、果たして“そう考えていいのか”と問い掛けるのが、シニフィアン・シニフィエの楽しさであり、恐ろしさでもある。
♪なぜ現代音楽と「マタイ受難曲」が関係するのか?
shezooは「マタイ受難曲」を取り上げるにあたり、メンバーにヒントを送っている。これはシニフィアン・シニフィエが演奏するバッハの「マタイ受難曲」を解読するにあたって、リスナーにも大きなヒントになると思われるので、shezooの承諾を得て引用してみたい。
人間が生まれて人とかかわり合いながら死んでいく中で、幾度と繰り返される何気ない「祈る」行為こそが、人間の愛情の形なのではないかと考え、その祈りがたくさん詰まったマタイ受難曲を日常の目線で伝えられないだろうか、というのがこの企みのきっかけです。
福音書を基に書かれた宗教曲である受難曲は、ある意味でその先入観ゆえにリスナーを限定する可能性を有している。
しかしshezooはシニフィアン・シニフィエに対して、そうした宗教的な意味合いを廃し、純粋なアリア(歌のソロ)として表現できる可能性を追求できないかとメンバーに呼びかけているようなのだ。
やり方さえ考えて臨めば、「祈る」という共通のキーワードを軸とすることによって、この受難曲もまた同じプラットフォームに立てるはずです。
彼女が言う“同じプラットフォーム”とは、宗教的な感覚で分離しがちなハレとケを区別しない場。そこでバッハが再評価されるべきではないかという意図が、このライヴから伝わってくる。
初音ミクがバッハの「マタイ受難曲」の概念に風穴を開けたのであれば、シニフィアン・シニフィエはさらに再構築するまでの現代音楽性をそこに付加しなければならない。
その課題を背負っているからこそ、シニフィアン・シニフィエの「マタイ受難曲」は、現代音楽と呼べるものになるのだろう。
では、行ってきます!
●公演概要
3月25日(水) 開場19:00/開演19:30
会場:横濱エアジン(横浜)
出演:シニフィアン・シニフィエ:shezoo(ピアノ)、壷井彰久(ヴァイオリン)、土井徳浩(クラリネット)、大石俊太郎(サックス、フルート)、加藤里志(サックス)、水谷浩章(ベース)、ユカポン(パーカッション)