高度なジャズ・ヴォーカリーズをポップに咀嚼したマンハッタン・トランスファー

ジャズ・ヴォーカルを取り上げて、そのアーティストの特徴や功績、聴きどころなどを解説するJazz Navi Vocal編。今回はマンハッタン・トランスファー。

マンハッタン・トランスファー『ファイヴ・オリジナル・アルバムズ』
マンハッタン・トランスファー『ファイヴ・オリジナル・アルバムズ』

マンハッタン・トランスファーの名前が日本の“お茶の間”にまで浸透するきっかけとなったのは、1979年の「トワイライト・ゾーン」のヒット。

オリジナルはアメリカで1959年から1964年まで放映された同名のテレビ・ドラマのもので、これを音楽プロデューサーのジェイ・グレイドンがディスコ調にアレンジ、大ヒットにつながった。

余談だけど、ジェイ・グレイドンは1977年にスティーリー・ダンのオーディションに合格して「ペグ」のギター・ソロを弾き、注目されるようになった人。1979年といえば、アース・ウィンド&ファイアーの「After The Love Has Gone」がグラミー賞の最優秀R&B楽曲賞を受賞している(ジェイ・グレイドン、デイヴィッド・フォスター、ビル・チャンプリンの共作)。アース・ウィンド&ファイアーといえば1970年代後半の重要なポップス市場だったディスコの隆盛に大きく貢献したユニットだから、レコード会社の方針でマンハッタン・トランスファーもその路線を選択することになったに違いない。ちなみにマイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて『オフ・ザ・ウォール』を作ったのも1979年だが、全世界で2000万枚を売り上げたこの作品もディスコというマーケットを意識して作られている。

閑話休題。マンハッタン・トランスファーは、1972年にリーダーのティム・ハウザーの呼びかけで集まったアラン・ポール、ジャニス・シーゲル、ローレル・マッセーの4人で結成された。ティム・ハウザーは1969年に結成した5人組コーラス・グループで、ドゥワップのスタイルを踏襲したハーモニーのなかにジャズやR&B、ロックンロール、サルサといったさまざまなポップス的要素を溶かし込もうとしていたが、それには4声が最適であると思い至ったことがマンハッタン・トランスファー結成のきっかけだという。

1975年にアトランティック・レーベルの創始者アーメット・アーティガンの目にとまりアルバム・デビューが決定。このデビュー・アルバム『ザ・マンハッタン・トランスファー』からの2番目のシングルカット「Operator」が全米で最高20位入りを果たすヒットとなり、アカペラ・コーラスの新星として注目を集めるようになった。

1978年にはローレル・マッセーが交通事故での負傷を機に脱退。シェリル・ベンティーンが加入して第2期マンハッタン・トランスファーが始動し、冒頭の「トワイライト・ゾーン」のヒットへと発展していった。

ジャズ・コーラスとして注目されるのはこの後。1980年にウェザー・リポートの「バードランド」に歌詞を付けたカヴァーでグラミー賞の最優秀ジャズ・フュージョン・ヴォーカル賞とヴォーカル編曲賞を受賞。以降もグラミー賞の常連として、ヒット・メーカー以上のアーティスティックな評価を得て現在に至っている。

♪Manhattan Transfer- Medley 1976

第1期マンハッタン・トランスファーの動画。第2期に比べるとちょっとだけアンティークな香りがすると思うんだけれど……。

♪マンハッタン・トランスファー/ヴォーカリーズライヴ 1986

難易度の高いジャズの歌なし曲=インストゥルメンタルに歌詞を付けて歌うヴォーカリーズはジョン・ヘンドリックスが先鞭をつけたわけだが、それをジャズ度を薄めずエンタテインメントにしたのがマンハッタン・トランスファーと言えるだろう。そのひとつの頂点が『ヴォーカリーズ』というアルバムに記録されている。

まとめ

マンハッタン・トランスファーが登場した1970年代後半、ジャズ・シーンはフュージョンが全盛で、アンチ・エレクトリックな彼らのコンセプションは活路を見出すのがたいへんだったに違いない。

しかし、だからこそ、ひとつのヒントを大きく膨らませるチャンスもあった。

ジャズ・コーラスとして将来を悲観することなく、そしてポピュラリティに身を委ねすぎて自らの“軸”を忘れることなく“我が道”を進んできた彼らの姿こそ、“ジャズらしい”と言えるのではないだろうか。

See you next time !