コロナ禍の時代だからこそ、音楽のあるべき姿が問われている、と私は思います。時代が音楽を作り、音楽が時代を作る。時代と音楽のあるべき姿はそこにあるのではないでしょうか?

「怒れる若者の季節/友よ」

 かつて「怒れる若者の季節」と呼ばれる時代がありました。1960年代後半から70年代にかけて、ベトナム反戦、学園紛争、安保反対闘争の嵐が全国を吹き荒れた時代です。「フォークの神様」と異名を取る岡林信康。彼が歌う「友よ」が生まれたのはこの「季節」の中からでした。若き闘士たちは昨日まで歌っていた革命歌「インターナショナル」を捨て、デモや集会で「友よ」を大合唱しました。闘いに疲れきった若者たちは、夕闇の中でこの歌を口ずさみました。「夜明けは近い」と。

「優しさの時代/神田川」

 1970年代前半、高度成長のかげりが見えた時代。若者たちはそれまでの学生運動に疲れきり目標を失っていました。そんな不透明に沈んだ空気の中で、かぐや姫の「神田川」は生まれました。そして空前の大ヒット。100万枚を売りつくしました。

 誰もが思い出す、あるいは誰もが思い浮かべる心象風景を描いて「神田川」は「同棲」という言葉を日常に溶け込ませ、時代を「優しさ」で染めあげました。「優しさ」はひとつの「風俗」となり、「優しさの時代」「優しさの世代」が到来し、かぐや姫は「叙情派フォーク」のスターにのしあがったのです。

 「友よ」「神田川」はそれぞれの時代を的確に表現していただけに歌を超えた影響力を持ったのです。その意味では、あるひとつの時代が新しい歌を生み、ひとりのスターを作り出していく。歌はその時代を生きる者の「バイブル」となり、歌い手は「教祖」となるのです。

「コロナ禍時代の歌とは?」

在宅ブルースマンのモットーは「1曲入魂!」「歌のマグマが熱い!」でとにかくすごい歌である。
在宅ブルースマンのモットーは「1曲入魂!」「歌のマグマが熱い!」でとにかくすごい歌である。

 だとしたら、このコロナ禍時代に求められている歌とは?否、時代が生み出す歌があるはずだ、と私は思っています。しかし、残念なことに、巷には音楽はあふれていますが、コロナ禍時代を象徴する歌はありません。少なくとも私の耳にこれまでは届いてはきませんでした。「いかがなものか?」と思っていた矢先に聴こえてきたのが、〈在宅ブルースマン〉の「俺はバイキンじゃねえ!」です。

 〈在宅ブルースマン〉の6人のメンバーはいずれも大手企業に勤めるエリートサラリーマンですが、ひとたび背広を脱ぎ、ブルースをやらせたら熱いミュージシャン揃いで、モットーは「1曲入魂!」「歌のマグマが熱い!」。彼らは月曜から金曜まではサラリーマンとしての務めをきっちりこなし、仕事終わりやたまの休みに古くからの仲間たちとバンドを組んで曲作りやライブを行うのがルーティンでした。しかし、それがコロナ禍で一変。在宅を余儀なくされましたが転んでもただでは起きない彼らのこと。だったら在宅&リモートでブルースをやろうじゃないかと盛りあがり、新しくスタートしたのが〈在宅ブルースマン〉なのです。

 2度目の「緊急事態宣言」が解除されほっとしたのもつかの間のこと、今度は「まん延防止等重点措置」(通称まんぼう)が発令され、自粛生活を再び余儀なくされています。そんな私たちの「心からの叫び」は「俺はバイキンじゃねえ!」ではないでしょうか?

 〈在宅ブルースマン〉が放つコロナ禍時代の「歌のワクチン」がずばり「俺はバイキンじゃねえ!」。この歌でコロナをぶっ飛ばしましょう。