最近のメディアをながめていると、ラジオになりたい活字、テレビになりたいラジオ、活字になりたいテレビ、という構図が見えてしかたがない。しかし、メディアがそのメディアの特性を忘れてしまったとしたらいかがなものだろうか?

3大メディア、それぞれの特性とは?

 

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活字媒体は、言葉で音楽を語れない、ということを知っている。だからこそ、曲の良さを語るために、その曲を作って歌っているアーティスト本人の生きざまに肉薄することで、その良さを伝える表現方法を考え出したのです。

 ラジオは歌を聴かせられる媒体です。特にFMはフルコーラスでじっくりと曲をかけられるし、アルバム紹介もできます。ところが、いつのまにかFMがAM化したことによって、曲を聴かせることよりもしゃべりの方の比重が大きくなってしまっています。

 テレビは映像で人々に訴えるメディアのはず。衝撃的な映像に言葉はいらない。それなのに、見にくいテロップが入ることによって、映像の良さが減少してしまう。このことにテレビの作り手は気づいているのだろうか?

 ラジオになりたい活字、テレビになりたいラジオ、活字になりたいテレビ、というのが今の3大メディアの相関関係だが、私はこの構図ではそれぞれのメディアの特性をなくしてしまうと危惧しています。ではメディアの特性をさらに生かすためにはどうしたらいいのか?今のメディアの相関関係を逆にいった方がいい。つまり、活字のテレビ化、テレビのラジオ化、ラジオの活字化です。具体的に言うと――。

 活字のテレビ化とは、活字ぎっしりではなくて、写真を大きく使って見やすくしてテレビ世代の“見る”欲望をとらえるということです。

 テレビのラジオ化は、テレビの“見る”という他に“聴く”という特性を最大限に生かすこと。そうすればラジオの“ながら行動”ができるようになり、テレビは見るものという規制を解放することができます。

 ラジオの活字化は、活字のように徹底的に掘り下げてしゃべった方がいいということ。しゃべって聴かせる。このラジオの特性をもっと生かしたならばラジオはこれまで以上に面白くなるはずです。

 隣りの芝生はきれいに見えるもの。まずは自分の芝生の特性を生かしたうえで、隣りの芝生の良さを取り入れること。そんなことが3大メディアには必要です。インターネットの出現で基盤が崩壊しつつある3大メディアだけに、ここは原点に戻ってメディアの“特性”を生かすべきです。