<大義>なき<紅白歌合戦>は姑息な手段で沈んでしまった!

去年大みそかに行なわれた<第65回NHK紅白歌合戦>にはつい期待させられてしまいました。なぜならば、中森明菜、サザンオールスターズなど大物アーティストの出演を小出しにして上手い具合に「見てみたいな」と思わせるようなプロモーション戦略を展開したからです。正直に言って、本番3日前に明菜がアメリカからの中継で新曲を歌うと聞いたとき「まさか?そんなことが…」と思ったし、サザンオールスターズにいたっては本番前日にも出演を公表しないで当日にあおるやり方は、<紅白>恐るべしと思ったものです。「ひょっとしたら今年の紅白はいけるかもしれない」と感じた人は私だけではないでしょう。つまり、それだけ話題作りが上手かったということです。

★ 視聴率がダウンした。中森明菜の衝撃度は?

中島みゆき、長渕剛、椎名林檎などあまりテレビに出ない大物アーティストを早めにおさえたうえで、今年社会現象ともなった映画<アナと雪の女王>、同じくブームを巻き起こした<妖怪ウォッチ>もおさえ、後は目玉ともいうべき<企画コーナー>で仕上げるといった手法は見事としか言いようがありません。

しかし、現実はそんな<紅白>の手法が否定されたのです。<第65回紅白>の平均視聴率が1月2日、ビデオリサーチから発表され、第2部(午後9時~同11時45分)が関東地区で42.2%(関西地区が43.3%)と、前年13年を2.3%(関西は0.5%)と下回ってしまったからです。これはどういうことかというと、これはいけるかもしれないと思った中森明菜、サザンオールスターズなどの<企画コーナー>が思ったほどには支持されなかったということです。明菜の<企画コーナー>を興味を持って見ました。4年5カ月間というブランクを乗り越えてカムバックできるのか?という興味があったからです。いわば明菜に対するジャーナリストとしての興味、換言すればエンターテイメントというよりもドキュメントとして見ていたということです。現実は「痛々しかった」と言うしかありません。そんな想いを私は日刊ゲンダイ(2015年1月6日付)にこんなふうにコメントしました。

「精彩がまるでなく、自信のない感じが画面からありありと伝わってきました。中森明菜の実力からすれば声量、声質、リズム感ともの全盛期の5割にも満たない状態。せっかくなら完全復活した彼女を見たかった。最新の音楽機材を駆使し、ベストの状態に編集して売り出されるCDは問題ないとして、コンサートの開催に至ってはまだまだ長い道のりと言わざるを得ない。中途半端な復活劇は完璧主義者の歌姫にとって、プラスに働かないのではないでしょうか」

はっきり言って<紅白>に特別枠を作ってまで明菜に新曲を歌わせる<大義>がどこにあるのか私には理解できません。明菜を<紅白>に引っ張り出して視聴率アップを狙った姑息な手法は通用しなかったということです。姑息といえば、サザンオールスターズも同じ。今年特別枠を作ってサザンに2曲歌ってもらうという<大義>はどこにあるのか?<大義>があったとすれば、去年の紅白でしょう。東日本大震災のための鎮魂歌ともいうべき平和ソング「ピースとハイライト」を歌ってもらうなら去年しかない、と私は思います。<紅白>で1、2曲聴いてもしょうがないのでファンはサザンのコンサートにわざわざ足を運んでいるのです。その辺の心情がわからないのでしょうか。

★ 大トリの松田聖子の<大義>はあるのか?

それと松田聖子の大トリにも<大義>があるのかあやしいものです。<紅白>の大トリといえば、その年を代表する曲を、それにふさわしいアーティストが歌うべきでしょう。ところが、去年の聖子にはめだった活躍がないうえに、歌った曲が過去のヒット曲「あなたに逢いたくて~Missing you~」では、どこに大トリにふさわしい曲の<大義>があるのでしょうか。2014年を代表する曲は「アナ雪」のテーマソング「Let It Go~ありのままで~」しかありません。その意味では、<紅白>の大義はどこにあるのか?今こそ原点に返って“初心”を思い起こして欲しいものです。<紅白>の第1回は1951年です。そのときの企画意図はどこにあるのか?そこを確認することから<紅白>の再生は始まるのです。結論。<大義>なき<紅白歌合戦>は、姑息な手段で沈んでしまった、と言わざるをえません。