「なごり雪」「22才の別れ」は歌を超えた“文芸作品”である!

「なごり雪」「22才の別れ」は、今でも歌い継がれ、聴き継がれているフォーク史に残る名曲だ。いや、日本が誇るスタンダート・ナンバーと言っても過言ではない。

2曲共に作詞・作曲は伊勢正三。しかも、「なごり雪」は彼が初めて作曲した曲であり、「22才の別れ」は2番目に作った曲というから驚きだ。

2曲共に優れた“短編小説”に通じる“名作”!

「なごり雪」「22才の別れ」は、実はかぐや姫の4枚目のアルバム『三階建の詩』(1974年3月5日発売)に収録されていたもの。この曲を作るきっかけを伊勢は述懐する。

「それまでかぐや姫のオリジナルとして、ぼくは作詞は何曲かしていたものの、作曲はしたことがなかったんですが、『三階建の詩』のときは、南こうせつから、正やんも曲を書いてみたらと薦められたんです。それで2曲をノルマにして書いてみたんです」

なかば強制的に作曲させられた2曲だが、かぐや姫ファンの間では「シングル・カットして欲しい」という意見が出るほど評判は高かった。しかし、その前に、かぐや姫は惜しまれながら解散して、伊勢は大久保一久と“風”というフォーク・グループを結成した。その風のデビュー曲として「22才の別れ」(75年2月5日発売)を出したら、あっという間にミリオンセラーになってしまったのだ。

一方、「なごり雪」は、同じ事務所に所属するイルカが歌ってシングル化(75年11月5日発売)したら、こちらも大ヒットしてしまった。75年に、伊勢が作詞・作曲した「22才の別れ」「なごり雪」が共に大ヒットしたということは、ほとんど“奇跡”と言っていい。なぜ2曲とも大ヒットしたのだろうか? 2曲共に優れた“短編小説”に通じる珠玉の“名作”だったからだ。紛れもなく「なごり雪」「22才の別れ」は歌を超えた“文芸作品”なのである。

「なごり雪」はただのラブソングではない!

汽車に乗って女が男のもとを去ってしまう、男が女にふられる内容。だが、ただのラブソングではない。

“ふざけすぎた季節”──これはほかでもない、今までのふたりの生活。おそらく男の方が女よりはるか年上で、女の方はさながら幼妻的であったかもしれない。男は年上らしく年下の女を扱い、始めのころは女は男を頼もしく思っていた。男にとって、自分が頼もしく思われることは本望で、女が男に頼っているのを感じて内心うれしかったに違いない。

しかし、時の移ろいとともに女は確実に成長して大人になっていく。それに伴い、女は男からひとり立ちするようになった。ひとり立ちといっても、出て行くということでは決してない。精神面でのひとり立ちだ。そうなると、女には今まで見えなかったものが見えてくる。今までは男に頼りきっていたものが、自分ひとりでできるようになる。しかし、そんなことに気づかない男は、いつまでも前のように、女を子供扱いする。別にそれは悪気があってやっているのではもちろんない。ところが、女から見ればそれは耐えられないということになる。いつの間にかふたりの間には埋めようもないギャップができてしまう。そのことに気づいたときには、ギャップがもう埋めようもなく深くなってしまっていたのだ。それで女は汽車に乗って男のもとを去って行く、というわけである。

春になって君はきれいになった。去年よりもずっときれいになった──なぜ去年よりきれいになったのか? それがわからないかぎり女は去って行くだろう。お互いが成長して大人になっていく。そのときにお互いをしっかりと見つめていなければ、必ずふたりの間にギャップが生じ破局がくる。そのことを「なごり雪」は教えているから、たくさんの人々の共感を得たのである。

「22才の別れ」は、女の弱い性と男のだらしなさを見事に表現した素晴らしい歌!

「22才の別れ」でうたわれている内容は──5年間付き合って来た男と女がいて、22才になった女はそれまで付き合った男と別れて、他の男のところへ嫁いでしまう。女が男を嫌いになって、新しく好きになった男のところへ嫁いでいくというのなら納得できる。しかし、この歌の22才の女はそうではないのだ。明日またあなたの暖かい手に触れたら、きっとさよならはいえなくなってしまう、と言っている。ということは、女は男をまだ十分に愛しているということ。だが、愛しているのに別れて他の男のところへ嫁いでいくくらいだから、女の方にもよほどの理由があるのだろう。

22才の女はできることなら、今の男と一緒になりたかったに違いない。だが、男の方はまだ時期が早すぎるとかいろいろ思っていたのだろう。必然的に答えはあやふやになってしまう。そんなあやふやな態度が女をとまどわせるのだ。この男は本当に私のことを考えていてくれるのだろうか? 初めは小さな不安が、時がたつにつれて、心の中で大きな波紋となる。そんなとき、もしも他にきちんとした形を持った男が現れれば、そちらへ行ってしまうかもしれない。そんなときだれが女を責められるだろうか?

「22才の別れ」は、女の弱い性と男のだらしなさを見事に表現した素晴らしい歌である。

天から与えられた神の啓示とは何か?

伊勢によれば、「なごり雪」は「(天から)与えられたもの」であり、「22才の別れ」は、いったん録音した曲が不満で、「売れ線を狙って」、一晩で書き上げた曲だと言う。そうした違いはあるものの、この2曲のミリオンセラーで、伊勢は“詞で勝負する男”と言われた。

「あの頃は何もない部屋に自分を閉じ込めて、詞を書くしかないところまで追いつめた。これ以上、手直しできない、どこから読んでも、誰に聞かせても大丈夫だというレベルにまで仕上げたんです」

このとき、伊勢は「天から与えられた神の啓示」を受けとめられるだけのグレードにアーティストとしていた、と言うことだろう。

音楽に対する情熱には「本当の情熱と嘘の情熱がある」と伊勢は言う。この期間は間違いなく伊勢は“本当の情熱”だったのだ。しかしながら、“本当の情熱”期間はいつも続くとはかぎらない。いや、ほんの“一瞬”と言った方が正確かもしれない。

今思えば、私は伊勢に残酷な質問を投げ続けてきたかもしれない。

「『22才の別れ』『なごり雪』のような売れ線の叙情派フォークをなぜ書かないんですか?」と。

この質問をこれまでに五度している。

伊勢の答えは毎回異なっていた。

1度目は81年2月。ソロ・セカンド・アルバム『渚ゆく』のリリース直前のときだった。

「『22才の別れ』『なごり雪』のような曲は、書こうと思えばいくらでも書けるけど、今は書きたくない」

2度目は82年6月。4枚目のソロ・アルバム『Half Shoot』の頃のこと。

「書こうと思っても、もう書けない」

3度目は83年5月。5枚目のアルバム『ORANGE』の頃。

「書こうという気がなくなってしまった」

そして4度目は87年9月。アルバム『OUT OF TOWN』発表の前後。

「もはやできないんじゃないかな」

この心の移り変わりには実に興味深いものがある。

そして最後は、06年3月のこと。久しぶりのインタビューの最後に、同じ質問をしてみた。伊勢の答えは「書きたいよね」だった。そして、付け加えた。

「ぜひ書きたい。書けるものならというカッコがあるけどね。何かできそうな時なんだ」

時が経てば人は変わる。人が変われば歌も変わるのが当然だ。伊勢はいい人生を生きてきた。そんな彼を見ていると、天から与えられた「なごり雪」のような歌がまた生まれそうな気配を感じる。

大林宣彦監督作品『なごり雪』、そして『22才の別れ』を見て、そんな“思い”を強くしている。名曲が名画を生み、また名画が新しい名曲を生み出すきっかけとなるのである。