70年代という時代に翻弄された藤圭子の光と影。そして“時代の歌”とは?

藤圭子さんの死を、8月22日のお昼の〈NHKニュース〉で知ったときは衝撃的だった。「なぜ?」という思いがまず走った。そして「自殺か?」と知ると、心のどこかで「やっぱりな」と思う自分がいたからである。

藤圭子は私たちの“代弁者”だった。

藤圭子さんは私たちの世代にとっては特別な存在の歌手だった。なぜかというと、演歌歌手を超えた存在だったからだ。いうならば、私たちの“代弁者”だったのだ。

1970年4月に私は東大に入学した。だが、入学して3ヵ月目からはほとんど授業には出ないで、大学近くにある喫茶店に入りびたってはマンガを見たりレコードを聴いていた。そんな頃にラジオの深夜放送で実にショッキングな歌を聴いた。吉田拓郎の「今日までそして明日から」だ。拓郎の歌との出会いで、私は拓郎のように行動を起こさなければならないと決心した。私の“青春の風”が拓郎の歌と共鳴して反応を起こし騒いだのだ。20歳のことだった。つまり、私は拓郎に刺激を受け、触発され、跳んだというわけだ。その意味で、拓郎の歌は私にとって特別だったのだ。

ちょうど同じ頃、私に衝撃を与えてくれたのが藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」だった。1969年9月25日に「新宿の女」でデビューした彼女は強烈なオーラを放っていた。〈演歌の星を背負った宿命の少女〉というキャッチコピーを持った18歳の少女は、美人を超えた“氷の能面”を付けた日本人形のようなルックスで、この世の不幸を一身に背負ったかのように歌っていた。後に作家の五木寛之さんがエッセー集「ゴキブリの歌」(角川文庫)の中で「ここにあるのは〈艶歌〉でも〈援歌〉でもない。これは正真正銘の〈怨歌〉である。」と断じたのは言い得て妙だと思う。このときはまだ高校生だった私は〈怨歌〉の真髄を理解することはできなかったが、大学に入ってデモなどに参加すると、次第に五木さんの言う〈怨歌〉の意味が身にしみてわかるようになった。

藤圭子は時代に選ばれた〈スター〉、彼女の歌は〈時代の歌〉だった!

かつて〈怒れる若者の季節〉と呼ばれる時代があった。1960年代後半から70年代にかけて、ベトナム反戦、学園紛争、安保反対闘争の嵐が全国を吹き荒れた時代である。そして70年に安保自動延長により挫折した若者たちは、それまでの学生運動に疲れ切り目標を失ってしまった。そんな不透明に沈んだ空気の中から生まれてきたのが吉田拓郎であり藤圭子さんだったのだ。あるひとつの時代が新しい歌を生み、ひとりのスターを作り出していく。歌はその時代を生きる若者たちの〈バイブル〉となり、歌い手は〈教祖〉となるのである。

70年に発売された藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」は拓郎の「今日までそして明日から」とは別の意味で私を触発した。当時私は「十五 十六 十七と 私の人生暗かった」というオリジナル曲のフレーズを「十八、 十九 二十と……」と現実の自分に置き換えて歌いながら〈心のうさ〉を晴らしていた。つまり、藤圭子さんの歌を歌うことによって、自分の心の奥深くの闇に沈殿した〈心の澱〉を開放していたのだ。紛れもなく、藤圭子さんは時代に選ばれた〈スター〉であり、彼女の歌は〈時代の歌〉だったのである。

“情念”でメッセージを放った藤圭子は時代に翻弄された!

しかし、栄光は長くは続かなかった。彼女の歌は“不幸”という看板があって成り立っていたからだ。売れて結婚して、幸せになり80年代に入ると時代はポップスに変わっていった。“不幸”という看板が外されたとき、歌手としての輝きが次第に失われていったのだ。時代に翻弄されてしまったということだろうか…。

“言葉”でメッセージを放った吉田拓郎を“表”であり“光”とするならば、“情念”でメッセージを放った藤圭子さんは“裏”であり、“影”である。つまり、吉田拓郎と藤圭子さんは表裏一体というわけだ。今の時代こそ、この2人には歌い続けて欲しかった、と願うのは私だけではないだろう。藤圭子さんのご冥福をお祈りします。