俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!

現在のミュージック・シーンの中にいて、私が感じていることを一言で表現するならば〈俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない〉ということである。AKB48もいい、嵐などジャニーズ系もいい、K-POP勢もいいだろう。が、しかし、だ。私には“歌”として聴こえてこないのだ。だからこそ、〈俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない〉と言わざるをえないのだ。そんなふうに思っている私と同世代の人たちはたくさんいるはずである。

〈演歌・歌謡曲〉でもない。〈Jポップ〉でもない。良質な“大人の音楽”を〈Age Free Music〉と名づけて私は提唱している。現在40歳以上64歳までの人口は4358万人。40歳以上はというとなんと7432万人。正直言って、私は61歳になるが、年齢なんて関係ないと思っている。まさにAge Free 世代だ。そんなAge Free世代が求めている大人の音楽が〈Age Free Music〉なのだ。

では私が求めている〈Age Free Music〉とは何か、ということだが、明確なイメージがある。

歌は歌であって、実は歌ではない、という時代があった。もう30年以上も前の〈フォーク時代〉のことだ。その時代、フォークは歌であって、実は既成の意味での歌ではなかった。どういうことかというと、スタイルはあくまで歌だが、それを超えてしまう“何か”があったということだ。換言すれば、歌は己れの自己表現の一手段だったということでもある。かつてフォーク時代は、歌とはそういうものだった。歌にアーティストの生きざまそのものが反映され、聴き手である私たちは歌を聴いてアーティストの〈生きざま〉に共感を覚えたのだ。ところが、年月は流れ、歌そのものが変わってしまったように思えてならない。いや、アーティストも聴き手も、歌に対する考え方が変わってしまったという方が適切だろうか? 歌のスタイルはかつてのフォーク一辺倒の時代から、ロック、ポップス、ダンス・ミュージック、ヒップホップなどと多様化したが、そんな中で歌は、一口で言うなら“たかが音楽”になってしまった。でも、それは「歌は歌としての“純粋性”を取り戻した」というパラドックスでもある。しかし、と私は考えてしまう。いくら音楽性があったとしても、内容の希薄な歌が本当に歌なのか、と。

吉田拓郎、井上陽水、南こうせつなど40年余り前に彼らの歌に初めて触れたときのあの“衝撃”を、私は今でも決して忘れてはいない。だが、あのときの〈衝撃〉が現在の歌には残念ながら感じられない。今、私たちには“共感”できる歌が少ない。私たちのために歌ってくれないからだ。いや、アーティストが彼らの心情を素直に表現してくれないからだと言った方がいいかもしれない。

私たち団塊の世代を中軸にした〈Age Free 世代〉は60歳代に突入して、人生の新しい地平を切り開こうとしているが、底に流れている心情は青春時代とそれほど変わっていないはずだ。それは、どうしたら自分らしく生きられるか、ということだ。その中で悩み、傷つきながら懸命に生きている。アーティストにしてもきっとそうだろう。今、彼らが何を考え、どう生きようとしているのか? それを私たちAge Free世代に向かって素直に歌って欲しいのだ。彼らの歌を本気で聴きたいと思っている私たちがいる。そんな私たちがいて、彼らが私たちに向かって心を開いてくれたら、30年程前のあの〈熱狂〉は再び取り戻せるはずだ。

フォーク、ニューミュージックは、私たちが作りだしここまで育ててきた〈私たちの世代の歌〉だったのではないか。変にカッコウなどつけずに、素直な気持ちで自分の胸のうちをさらけ出して現在の〈人生〉を堂々と歌って欲しいものだ。私たちはそれを待ち望んでいるのである。かつて南こうせつが私に語った言葉が胸に深く刻みこまれている。

「今ぼくがやってることが、南こうせつなんだと思う。この頃、つくづく思うことは、ぼくが生きていること、それ自体がメッセージだってこと。この年になって、まだ現役で歌っていて、全国各地でコンサートをやって。お客さん、たくさん集めて、それで頑張っている。ぼくのそんな生き方そのものがメッセージだと思う。言葉でメッセージするんじゃなくて、生き方でメッセージする。それでいいんじゃないかと思う」

まったくその通りだ、と思う。アーティストたちの生き方そのものが私たちAge Free 世代に対する〈メッセージ〉であり〈エールソング)なのだ。私たちはそれを待ち望んでいるのである。俺たちオジさん(オバさん)が歌いたい歌、聴きたい歌を早く作って欲しいものだ。これが私の今の〈本音〉である、と同時に、歌に対するポリシーである。