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中国の超過激な受験戦争の裏の「ブラックリスト」と「親マニュアル」

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 中国では生産現場での労働者不足が深刻なのに反して、大学生の就職戦線は厳しいという状況が続いてきた。

 しかし、そんな事情もどこ吹く風。今年の中国大学統一入学試験(普通高等学校招生全国統一考試=通称「高考」)も大いに盛り上がった。試験は6月7日から3日間。受験者数は過去最多の1193万人を記録した。

今年の受験生にとっての受難は3月から上海市がロックダウンになり、北京でも直前まで感染拡大が心配されるという波乱が続いたことだ。受験生の親たちはさぞ気を揉んだことだろう。

 都会に住む受験生の母親たちは、試験期間中三色のチャイナドレスを着て――一日目が赤、二日目が青、三日目が黄色――ゲンを担ぐともいわれる。それほど熱心なのだ。

 子どもの受験は親戚中の話題を集めるため、家族にとっては一大イベントだ。6月25日には全国各地ですべての結果が出そろい、歓喜と悲嘆の声が中国全土を覆ったはずだ。

「高考は、中国において数少ない本当に公平なチャンスですから、その盛り上がりは、やはり尋常じゃないですね。25日の夜には親戚中から結果を尋ねる電話がかかってきます。試験の最終日から2週間くらいは、とくに母親は眠れない日々を過ごしたはずです」

 と語るのは今年の受験生の子を持つ元公務員の40代の男性だ。

「親戚の子どもも地方で受験し、結果は560点。これでは北京の大学に入るのは絶望的です。本人は落ち込んでしまい、部屋から出てこなくなってしまったようです」

 受験戦争の厳しさは、名作映画『少年の君』(デレク・ツァン監督)で描かれたままの状況が続いているようにも見えるが、実際には変化も確認されている。

ブラックリスト入りした超優等生たち

「順位の発表ですよ」

 と語るのは北京の教育関係者だ。

「全受験生の点数と順位が各地で公表されるなか、例えば北京市では上位20名のデータだけは完全に秘匿されたのです。ちまたで『ブラックリスト』と話題になりました。公表を避けた目的は明らかです。受験戦争が過熱することへの警告メッセージです。政府の教育改革のトレンドを反映した変化です」

 3年前ほど時間を遡れば、地方によって高考の上位者はオープンカーや馬に乗せて街を行進させられた。それを地元の警察がパトカーで先導するといった科挙顔負けの大騒ぎも見られたほどだ。それを今年は各地がトップ20人、50人という基準のなかで非公開としたのだ。今後は受験エリート称賛の祭りは消えてゆくかもしれない。

 ちなみに試験にはオリジナルの問題を用意する北京や上海のほか、数種類の試験から各省が選ぶ方法もあり、単純な点数の比較は難しいのだが、だいたい600点を超えた(満点は750点)あたりから一流大学への門が開かれるとされる。

全国的な関心を集める快挙の基準は「700点超え」からで、今年の北京では106人が700点以上をたたき出した。

 北京でのブラックリストは20人だが、そのうち14人が有名校が集中する海淀区の出身だった。中国ではここ何十年もの間、子どもの教育のために人気学区に住もうと不動産を手に入れるため親がカネとコネを総動員する現象が定着してきたが、こうした結果を見せられると、それもむべなるかな。

 ちなみに高校別では、ブラックリスト14名のうち、上位3名を含む7人が、いま中国で最も知名度の高い学校として知られる人民大学付属中学の生徒。第2位が清華大学付属中学であった。最高得点は748点だ。

受験エリートの既得権は通用しない

 受験戦争の盛り上がりといえば、事情は理解できるが、それにしても少し違和感を覚えるのは、商業目的の学習塾を一掃してしまった中国の教育改革はどこにいってしまったのか、という疑問だ。

 なかには、「学習塾をつぶしても受験戦争は何も変わらない。親たちはあの手この手で子どもを一流大学に入れようとしますから」(日本にいる中国の技術者)との意見もあり、結局、収入が高ければ家庭教師をこっそり雇うなどの抜け道があり、かえって格差と不満の温床になるとの指摘もあった。

 だが、だからといって習近平政権が改革をなおざりにするとも思えない。というのも学力で得た地位を社会に還元しようともせず、ただ「得をして当然」といった既得権化する発想が学歴エリートの間に蔓延することに現政権は厳しいからだ。事実、政界でも「このポストに就けば出世は間違いない」といわれていた従来のレールは、ほぼ消滅したといっても過言ではない。

 こうした変化への適応が最も遅れるのは、ひょっとすると子どもを持つ親かもしれない。5月27日、そんな受験離れができない親たちに警告を発するかのような記事が『人民網日本語版』に掲載された。記事のタイトルは〈「親マニュアル」がアップデート 「教育熱心」より自分磨きを〉だ。

 記事では、教育改革がいずれ骨抜きになると考える親たちに対し「政策の施行には弾力性があるだろうと都合良く考え、昔ながらの教育に超熱心な親になり、子どもが幼稚園の頃からさまざまな塾に通わせ、よい学校に入れるためにケンブリッジ英検のKETレベル、PETレベルやオリンピック国際大会出場を目指して」と手厳しい言葉が浴びせられる。続いて、政策施行の厳格さのレベルを見誤れば、「子どもが楽しいはずの子ども時代と引き換えに身につけた「さまざまな芸」は、進学には何の役にも立たない」との警告が追い打ちをかける。

 記事は変化を受け入れようとしない親たちに「必要なのは自分自身の考え方の転換だ」として、「親マニュアル」をアップデートせよ、と呼びかけているのだ。

具体的に何かといえば、「大事なのは自分自身への教育も熱心でなければならないことだ。親たちは子どもが出遅れないようにといつも言うが、親の世界観、価値観、知的レベル、世界の理解の仕方こそが、子どもにとっての「スタートライン」になるのだ」として、「実際、子どもの教育に超熱心な親は大したことはないだろう」と切り捨てている。とにかく徹底して価値観を否定する記事なのだ。

 辛辣過ぎる表現はご愛嬌だが、言いたいことは明確だろう。

 中国はこの10年間で博士号取得者を60万人、修士号取得者を650万人も育成してきたが、そうした方向だけでは今後の世界の競争には打ち勝つことができない。チャレンジの成否はさておき、中国共産党の上層部にはそうした考え方が定着しつつあるのは間違いなさそうだ。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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