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反日でも羽生結弦選手に熱狂 それでも中国で冬季五輪が盛り上がらないわけ

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 北京に暮らす40歳代の会社経営者は、かつて日本に留学した経験を持つ。そのA氏が今年、珍しく高校に通う娘から話しかけられる機会に恵まれた。ちょうど北京冬季オリンピック・パラリンピック(以下、北京オリパラ)まで1カ月を切ったころのタイミングだった。

「学校から帰ってきた娘が、唐突に『手紙を日本語に翻訳したから添削してくれないか』って頼んできたのです。なんで?と疑問がわきましたが、デリケートな年ごろなので言葉を選びながら『誰に出すのか』と尋ねてみたのです。すると、友達と一緒に羽生結弦選手に出すっていうんです。まず北京オリパラの大会組織委員会に宛てて出し、そこから本人に『手渡してほしい』と依頼すれば本人の手に届くのではないかってね。驚きましたよ」

中国にはスター選手がいない

 コミュニケーションが不足しがちな娘との会話が成り立ち気をよくしたA氏は、さらに踏み込んで訊いた。

「羽生結弦選手はそんなに人気があるのか?」

「当り前じゃない」

 とそんなことも知らないのか、とばかりに厳しい視線が飛んでくる。それでもめげずに、「中国の選手は応援しないのか?」と質問を重ねると、今度は逆に、

「えっ、誰を応援すればいいの?」と。訊き返されたA氏は言葉に詰まってしまったというのだ。

 気付かされたのは、メダル候補のスター選手がいないこと。つまり、北京のオリパラがいま一つ盛り上がらない理由には、スター不在という要素も少なからず影響したのだ。

 中国ではいまだ、オリパラの熱狂とはほど遠い空気に包まれている。

 オミクロン株の感染が広がり、多くの都市でさまざまな制限がかけられ、開催都市の北京でもついに1月17日から各学校で冬休みを前倒す措置に入ったほどだ。外国ではすでに中国の感染症対策である「ゼロコロナ」の限界を指摘する声が上がり、そのことは中国で市井の人々が話題にするほどだ。

 だが、理由はそれだけではない。

 前回の記事(「外交ボイコットよりも高級腕時計に夢中な中国のオリンピック」https://news.yahoo.co.jp/byline/tomisakasatoshi/20211212-00272379)の中でも触れたように、中国大陸には「寒くても、雪が降らない」という特徴があり、一般の中国人には雪への親しみがないこともある。中国人観光客が北海道に殺到したのは、雪景色を見られることというのはそのためだ。そんな状況であれば、ウインタースポーツが身近であるはずはないのだ。

街で目立つのはオリンピックより政治スローガン

 だが、それにしても腑に落ちないのは、中国政府の動きにさえ、「必死に旗を振って、何が何でも盛り上げよう」という強い意思が欠けているように感じられることだ。

 2008年の夏のオリンピックでは、大会の半年前くらいから、街の様子が一変した。北京を訪れる外国人は、空港を降りた瞬間からメダル候補のスター選手たちが起用されたCMに囲まれ、嫌でもそれとわかる雰囲気であったのとは対照的だ。

 実際、テレビのニュースを観ていても、オリパラの扱いはなぜか控えめだ。少なくとも大宣伝をしているという印象は受けない。

「やはり感染拡大への対応で行動を制限されている人々への配慮があるんじゃないでしょうか」

 と語るのは北京のメディア関係者だ。

「車で街を走っていても、目立つのはオリパラの宣伝ではなく、『第19期6中全会の精神を深く学び貫徹せよ』とか『第20回党大会の開幕を勝利で飾ろう』といった政治スローガンの書かれた横断幕です。浮き立った雰囲気ではありませんね」

 そんな空気のなかで、例外的に盛り上がっているのが日本の羽生結弦選手への注目。地元選手そっちのけで熱くなっているというから興味深い。それも女子高校生が中心だ。

 しかし、それにしてもこのところ中国では対日感情が良くなかったはずなのだ。

 昨年12月は南京大虐殺の起きた日に、和服を着て歩いていたという女性がネットの中で激しく攻撃された。また今年1月4日には漫画『東京リベンジャーズ』の特攻服のコスプレをして歩いていた男が、街で人々に囲まれ服を脱がされるという騒動もあった。

 人々のいら立ちの背景には、日本がいま、台湾の危機をことさら煽ることで専守防衛の政策を転換し、再び危険な動きを始めたと警戒しているためだ。

 中国ではここ数年、かつての反日のムードが戻ってきたような現象が散見されている。それなのに、羽生結弦選手には熱狂する。それはなぜなのか。

「まあ、それはそれ、これはこれってことなのでしょうね。中国では珍しいことではありません」(同前)

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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