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ついに領土問題まで「最重要ではない」と言い始めた中国の対日政策 尖閣問題で変化か

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 今年10月の安倍総理の公式訪問、習近平国家主席との首脳会談を経て、中国の対日政策には、従来にはない「緩み」が広がっている。

 象徴的なのは、中国メディアが競って日本の対中援助に触れ、その果たした役割を強調するようになったことだ。しかも裏側に明らかな中国共産党の意図もうかがえる。

 安倍訪中のニュースを上海のテレビで見ていた現地の会社経営者は、「安倍総理を強硬に批判してきたお決まりの専門家やコメンテーターが、誰一人画面で見かけなかったことに驚かされた」という。

 この変化が偶然であるはずはない。

 そして融和ムードが広がる北京の一部で、外交当局者や専門家を騒然とさせる文章が注目を浴びている。

 『環球時報』の編集長、胡錫進氏が発表した〈中国にとって最も重要な核心的利益とは何か それは決して領土ではない〉(11月24日)である。

共産党の「観測気球」か

 これまでの中国の対外姿勢を考えれば、大胆という以上に思い切ったタイトルだ。しかも記事中の「領土」が主に「日中間の『刺さった棘』である釣魚島(尖閣諸島)を指していると受け取るべき」(国務院のOB氏)というから驚きだ。

 安倍総理の訪中を受けて対日政策が変化し始めた時期でもあり、ここ数年とくに、「領土」といった場合に、多くの中国人が思い浮かべるのが「尖閣諸島」であったからだ。

 文中の「領土」に「尖閣諸島は含まない」との記述も見当たらない。

 発言の主は、従来、政府に対し対外強硬を迫る論陣を張ってきた『環球時報』の編集長である。『環球時報』は、人民日報社の系列にあることから、日本では記事=「党の意見」と誤って引用されることが多いが、本来は『人民日報』という権威ある紙面に載せられない言論を拾い、なお商業的にも成立することを目指した媒体である。

 そのため大陸にあって最も香港メディアに近い――玉石混交という意味――存在とされ、その特性を生かし、近年では権威メディアではできない実験的な意見を発信できる媒体との地位を獲得している。

 つまり胡氏の記事にも、「観測気球」的な意味が含まれていると考えられるのだ。

記事の削除がされない理由

「現在まで、『喝茶談話』(上級機関などから聞き取りの連絡が入ること)や記事の削除といった「負」のアプローチがないことを見ても、注目すべき言論だと考えざるを得ない」(前出のOB氏)というわけだ。

 では、胡氏はなぜ領土は「最も重要な核心的利益ではない」というのか。

 文章のなかでは、〈(最も重要な核心的利益とは)中国が経済社会の発展を実現することであり、全局面での政治的安定を保ち、中国の近代化を完成させること〉で、〈すべての利益は、この重大な第一の利益の後ろに位置づけられるべき〉だと説明されている。

 領土は、〈もちろん中国の核心的利益である〉としながらも、〈高度に敏感な問題でもあり、またゼロサム的要素を強く包含する〉とし、大多数の国における最大公約数は、〈各国が現状維持の原則を維持すること〉だとの考え方だ。故に領土問題を安定させる最も有効な方法は、〈(双方が)対立をコントロールすること〉だと提案する。

 至極もっともな意見だが、従来、領土問題での合意や約束は、国内のナショナリスティックな圧力にさらされ、「破棄」のリスクを拭いきれなかった。

中国が経済発展するためには安定した国際環境が不可欠

 この点に関し胡氏は、強大になった中国は〈主導性を十分に発揮できる〉存在だとし、〈(その問題では)大きなリスクは存在していない〉と断じる。妥協的な姿勢の裏側には、経済及び軍事面で台頭した中国の自信があるということだ。日本の視点からすれば警戒心も刺激される。

 ただ実際、ここ数年の対日政策の変化は顕著だ。例えば、日本ではいま「憲法改正」の動きが慌ただしいのだが、中国から激しい反発は起きていない。これがもし胡錦濤政権末期であれば、たちまち各地で反日デモが起きたことは想像に難くない。わずか5年余りの変化だとすれば、驚くべきことだ。

 対日政策の変化は、訪日観光客の急増で直接日本に触れる機会を得た中国の人々の対日感情が緩んだことや世代の交代、日本のソフトパワーに対する評価など、さまざまな要因が指摘されているが、やはり最大の理由は中国が自信をつけたことだ。

 そして現在、中国はその自信を維持するためにも、また内政の安定を保つためにも経済発展の環境を失うことを恐れている。

 中国が提唱する「一帯一路」イニシアチブもまた対外関係が悪化している環境下で成果を残すことは難しい。

 つまり、胡氏の主張は極めて合理的で、その根本には中国経済の好悪が世界経済と連動している現実があるということだ。

 胡氏はそれを、「水漲船高」(水位が上がれば船の位置も高くなる)、と表現し、中国経済の安定のためには国際環境の安定が不可欠であり、そのためには領土問題を最重要視すべきではないと主張する。

有利なカードを握るのは中国

 記事は最後に、〈中国の手中にはいま有利なカードがある。ただ冷静さと自信を持ち、自らの態勢を自分から乱すことをせず、何が重要かという視点を見失うことさえなければ、われわれは必ず一歩一歩、確実に全面近代化という向こう岸にたどり着くことができるだろう〉と結んでいる。

 あくまで国内向けに出された「観測気球」であり、前述したように「権威」メディアの記事ではないが、十分注目に値する内容だ。

 先の日ロ首脳会談で、プーチン大統領から唐突に平和条約の締結を提案されて言葉を失った日本が、再び対中外交で後手に回ることのないよう、あらゆる可能性を検討して備えておくべきだろう。

 それほど世界の動きはいま、激しく、混とんとしている。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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