Yahoo!ニュース

マスメディアは社会運動をどのように報道・描写してきたのか?

富永京子立命館大学産業社会学部准教授
(写真:ロイター/アフロ)

 脚本家・太田愛氏が、元旦に放映された『相棒20 元日スペシャル』作中における労働運動の描写に対して、「脚本では存在しない」シーンの存在を指摘したことが話題になっている。具体的には、「右京さんと亘さんが、鉄道会社の子会社であるデイリーハピネス本社で、プラカードを掲げた人々に取り囲まれるというシーン」であり、「訴訟を起こした当事者である非正規の店舗のおばさんたちが、あのようにいきり立ったヒステリックな人々として描かれる」点が問題視されており(参考:脚本家/小説家・太田愛のブログ 相棒20元日SPについて(視聴を終えた方々へ))、TwitterをはじめとしたSNSでもこの意見を支持する人々の声が見られた。

 ドラマ『相棒』ないし今回の元日スペシャル、また今回の描写の問題性については、既にSNSなどで多くの考察や感想が見られる(筆者も放送を観た立場ではあるが、フィクション作品やドラマの専門家ではないため、ここでは当該作品と労働運動の描写に関する批評・感想は控える)。この記事では、少し角度を変えてマスメディアにおける社会運動報道や描写のあり方について考えてみたい。

 メディアにおける社会運動の描かれ方を分析するにあたっては「メディア・カバレッジ(Media Coverage)」という概念を用いた研究の蓄積がある。フィクション作品を対象としたものよりは社会運動のメディア報道を論じた研究が圧倒的に多いが、メディアが社会運動をどのように捉えてきたのか先行研究を通じて把握することは、今回の件を読み解くにあたっても何か示唆があるのではと思う。

 メディアにおける社会運動報道・描写の研究は、先進国、とりわけ北米を中心に1980年代以降に発展した領域であり、学生運動や反戦運動、労働運動から動物愛護運動に至るまでさまざまな事例を分析している。このような研究が発展した背景として、社会運動に従事する団体は多くの場合小集団・小規模組織であり、自らの問題意識を周知し、人々の支持を集めるためには、メディアの報道に依拠せざるを得ないという状況が背景にある(Baylor 1996, Gamson and Wolsfeld 1993, Amenta et al. 2017)。

 近年は運動の宣伝・周知にあたってソーシャルメディアを積極的に利用する運動団体も増えてきており、ソーシャルメディアと社会運動の関連を論じた研究も数多く見られるが、それでもなおマスメディアによる社会運動報道を論じた研究は依然として大きな位置を占めている(Rafail, McCarthy and Sullivan 2019など)。やはり、マスメディアによる報道・描写は社会運動の目的や問題意識を伝達するにあたり、重要な役割を占めていると言えるだろう。

 本題に入ると、テレビ・新聞などのマスメディアは、社会運動が掲げている政治的・社会的課題や運動の実態ではなく、その攻撃性や過激さ、また、逸脱した価値観や政治的見解を持つ存在としての側面を強調する報道・描写を行う傾向がある(Rosie and Gorringe 2009; Della Porta and Fillieule 2004; Entman and Rojecki 1993; Boykoff 2011)。また、社会運動に従事する人々の属性(人種や性別など)がマイノリティの場合、その性格をステレオタイプ化する報道が多く見られる(Baylor 1996, Wilkesetal et al. 2010)。マスメディアが社会運動に従事する人々に着目し、社会運動の目標や問題意識を、参加者個人の直面する苦難や悲劇といった「個人の物語」へと矮小化してしまう場合もある(Gitlin 1980; Sobieraj 2011)。

 このように、社会運動を「攻撃的」で「過激」だとする報道姿勢は、運動側がいくら穏健な姿勢を取ったとしてもあまり変わらないとも言われている。メディアの側が、講演会や勉強会といった活動よりも、デモや路上でのアピール活動の側を積極的に扱うためである(Sobieraj 2011; Wilkesetal et al. 2010; Myers and Caniglia 2004)。また、このような形での社会運動に対する偏った報道やイメージ付与は、運動のやり方だけでなく評価にも影響を及ぼす。具体的には、メディアが社会運動を「政治的な有効性が低い」と評価する傾向に繋がり、実際に社会運動によって変化・達成した要素があったとしても「この社会運動は失敗した」という判断に結びついてしまう(Entman and Rojecki 1993)。

 一方的に与えられる社会運動へのネガティブなイメージに対して、社会運動を行っている団体や参加者が反応することもある。例えば今回の労働運動描写においても、社会運動に関与している人や、社会問題に高い関心を持つ人々がSNS上で意見を述べているが、このように人々が発信側に対して「批判」することは少なくない。また、運動側が意図的にメディア側との対話を避けたり、沈黙を守るという「無視」も戦略の一つであるが、その有効性については疑問視されている(Rucht 2004; Rohlinger 2009)。

 マスメディアとの長期的な交渉にリソースを割くことのできる社会運動団体であれば、情報や資料をメディアに提供する、メディアの発信した内容を修正するといった形で、マスコミの社会運動に関する報道・描写を修正することができる。これにより、運動の過激さや表出性だけを強調させるのではなく、運動の目的やキャンペーンの詳細などといった実質的な報道を行うように「交渉」することもできる(Amenta et al. 2017; McCurdy 2012)。一方、メディアの注目を浴び続けたほうが運動に有利だと考える団体や参加者は、敢えて自らのスタイルをメディアの描いたフレーム側に「適応」させるという選択肢を取ることもある(Gitlin 1980; Sobieraj 2011)。報道されやすい属性を持つ人々(例えば若年層など)を運動の前面に出すことで報道陣の注目を集めるといった手法はこの「適応」戦略の一環であると考えられるだろう。

 日本の社会運動を事例とした先行研究は必ずしも多くないが、マスメディアが社会運動に対してネガティブな先入観から報道・描写を行ってしまう傾向は、今回の件に限らず日本の社会運動・報道にもある程度は当てはまるものだろう。太田氏はブログを「どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います」と締めくくっているが、氏の指摘は、フィクションにおける社会的事柄の扱われ方にとどまらず、日本における社会運動へのまなざしについても大きな示唆を与えていると考えられる。

【参考文献】

Amenta, Edwin et al., 2017, “From Bias to Coverage: What Explains How  News Organizations Treat Social Movements,” Sociology Compass 11(3): 1-12.

Baylor, Tim, 1996, “Media Framing of Movement Protest: The Case of American Indian Protest,” Social Science Journal 33(3): 241-256.

Boykoff, Jules, 2006, “Framing Dissent: Mass-Media Coverage of the Global Justice Movement.” New Political Science 28: 2: 201–228.

Della Porta, Donatella and FIllieule, Oliver, 2004, “Policing Social Protest,” pp. 217–41 in The Blackwell Companion to Social Movements, edited by D. Snow, S. Soule and H. Kriesi: Blackwell.

Entman, Robert M. and Rojecki, Andrew, 1993, “Freezing Out the Public: Elite and Media Framing of the U.S. Anti-Nuclear Movement.” Political Communication 10: 155-173.

Gamson, William, A. and Wolfsfeld, Gadi, 1993, “Movements and Media as Interacting Systems,” Annals of the American Academy of Political and Social Science 528: 114-125.

Gitlin, Todd, 1980, The Whole World is Watching: Mass Media in the Making & Unmaking of the New Left, University of California Press.

McCurdy, Patrick, 2012, “Social Movements, Protest and Mainstream Media,” Sociology Compass 6(3): 244-255.

Myers, Daniel, J. and Caniglia, Beth, 2004, ‘‘National Newspaper Coverage of Civil Disorders, 1968–1969,’’ American Sociological Review 69:519–43.

Sobieraj, Sarah, 2011, Soundbitten: The Perils of Media-Centered Political Activism, New York University Press.

Rafail, Patrick, McCarthy, John D. and Sullivan, Samuel, 2019, “Local Receptivity Climates and The Dynamics of Media Attention,” Mobilization 24(1): 1-18.

Rohlinger, Deana A, 2002, “Framing the Abortion Debate: Organizational Resources, Media Strategies, and Movement-Countermovement Dynamics,” The Sociological Quarterly 43 (4): 479–507.

Rosie, Michael and Gorringe, Hugo, 2009, ‘‘The Anarchists’ World Cup’: Respectable Protest and Media Panics,’ Social Movement Studies 8: 35–53.

Rucht, Dieter, 2004, “The Quadruple ‘A’: Media Strategies of Protest Movements Since the 1960s,” pp. 29–56 in Cyberprotest: New Media, Citizens and Social Movements, edited by W. Van De Donk, B. Loader, P. Nixon and D. Rucht. London: Routledge.

Wilkesetal, Rima, Corregal-Brown, Catherine, Myers, Daniel K, 2010, “Packaging Protest: Media Coverage of Indigenous People’s Collective Action,” Canadian Review of Sociology 47(4): 327-257.

立命館大学産業社会学部准教授

1986年生まれ。社会運動論、国際社会学。著書に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房、2016年)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版、2017年)、共著として『サミット・プロテスト』(新泉社)、『奇妙なナショナリズムの時代』(岩波書店)。社会運動を中心とした政治参加が、個人の生活とどのように関連しているかを中心に研究している。

富永京子の最近の記事