定期的に「日本人・日本語はハイコンテクスト文化だ。一方、○○人はローコンテクスト文化だ」という紋切り型の主張がメディアやSNSで流れてくるが、誤解に基づいていることも多いので、おかしな点を指摘したい。巷の誤解には、深刻なものから重箱の隅をつついて初めて出てくるものまで指摘し始めたらキリがないが、この記事では重要な誤解4点にフォーカスしたい。

ハイ/ロー・コンテクスト文化とは

ハイ/ロー・コンテクスト文化という概念は、もともとはエドワード・ホールという文化人類学者が1970年代に提唱したもので、いまでは提唱者の手を離れ、様々な研究者や、評論家、コンサル、セミナー講師などが使っている。

ここでいう「コンテクスト」(文脈)とは、一言で言うと、言語外の情報のことである。ハイコンテクストとは、言語以外の情報の重視度がハイ(高い)である、つまり、メッセージを伝達する際に言語以外の要素を重視するコミュニケーション・スタイルである。言語外の要素とは、たとえば、声のトーンや間のとり方、表情、身振り、沈黙などである。一方、ローコンテクストはその逆であり、言語以外の要素よりも、言語、つまり語られたことそのものに信頼を置く。

ここまでは、ほとんどの研究者に受け入れられている説明だが、問題はその先である。それは、ハイ/ローの観点による各国民の序列化である。

E. ホールは、文化比較エッセイを多数書いているが、その中でハイ/ロー・コンテクスト文化を説明する際に、具体例として特定の国民(厳密には言語話者)をあげている――「○○語話者はローコンテクスト、××語話者はハイコンテクスト」という具合に。

これはある種の国民文化類型論と読めなくもない。それが災いし、「○○人はハイ、××人はロー」といった類型論が広まってしまったのである。ただ、この文化類型は、以下の点で眉唾ものである。

本当のところ①「原典は気軽なエッセイ」

まず、ホールが著名な文化人類学者であるという権威のためか、この文化類型が「揺るぎない真実」かのように喧伝されることがあるが、それは間違いである。ホールの原典とされるもの(『文化を超えて』等)は、いずれもリラックスしたエッセイであり、実証性をそもそも狙っていない。もっとも、彼の人類学者としての鋭い着眼点が随所に散りばめられた名著であることは疑いないが、それはいわば「豊かな可能性を秘めた仮説のリスト」であり、実証済みの事実とは別次元のものである。

本当のところ②「多くの研究が実証に失敗している」

研究者にとって、ホールが提唱した「仮説」が、豊かな可能性を秘めていつつも証拠に乏しいことは周知のことだった。だからこそ、1980年代以降、この説を検証する実証研究が行われてきた。

しかし、実は、その正しさを証明したと称する研究はほとんどない。

むしろ、反証してしまった研究も多い。その手の研究は、インターネットで少し検索してみれば、容易に見つかる(もっとも、又聞きの又聞きで「再生産」しているだけの記事はその何十倍も見つかるので注意が必要だ)。

たとえば、Google Scholar で「hall "contexting model" criticism」で検索してみよう。検索結果を見ると明らかな通り、検索上位の多くがハイ/ロー・コンテクストによる民族類型に批判的な研究である。

一例だけあげると、ピーター・カードンというビジネスコミュニケーション研究者による論文がある。(Cardon, P. W. (2008). A Critique of Hall's Contexting Model: A Meta-Analysis of Literature on Intercultural Business and Technical Communication. Journal of Business and Technical Communication, 22(4), 399-428.)。

Cardon の研究は、ハイ/ロー・コンテクストに基づく文化類型を真に受けてしまった、もとい、真剣に取り扱った実証研究のメタアナリシスである。分析の結果、ホールの当初の主張はとてもじゃないが支持できないということが明らかになった。(なおメタアナリシスとは、統計学的に洗練された手続きで、多数ある研究結果を要約する手法である)。

本当のところ③ ホールの本には各文化の高低比較図はない

さらに困ったことに、SNSなどでは、まるで「文化類型論ランキング」のような図がバズることがある。

たとえば、日本を最もハイコンテクスト、スイス(ドイツ語圏)を最もローコンテクストとして、いくつかの国をずらっと並べた図である。一度は見たことがあるのではないだろうか。

グーグル画像検索の結果
グーグル画像検索の結果

ご丁寧にも、出典に『文化を超えて』等と記載されていることもある。しかし、問題は、『文化を超えて』には(原典にも日本語訳版にも)この図は記載されていない点である。

同書を読んだことがあればすぐわかると思うが、同書は文字だけがずっと(ほんとうに驚くほどずっと)続くエッセイであり、図らしきものは何もない。

たしかに、本文には、日本がハイコンテクスト文化の典型だという記述はある。スイス(ドイツ語圏)がローコンテクスト文化だという記述もある。しかし、中間の国々(たとえば、中国、アラブ、イギリス等)の序列については明示されていない。つまり、この図は「両極の国に関しては E. ホールに依拠しつつも、それ以外の国々については作者が適当に順位を割り振った、勝手に作られたグラフ」なのである。

ちなみに、この「なんちゃって文化ランキング」は日本語のインターネットだけではなく、英語圏でも流通している。以下がその例である。

英語で画像検索した結果
英語で画像検索した結果

本当のところ④ 「日本人は腹芸だ」とか「和を大事にする」という日本文化論も結構怪しい

ホールの理論(実際は「仮説」)が、日本でよく受けるのは、日本がハイコンテクスト文化の典型だと名指しされている点だろう。これは、ホール以前から日本文化論としてすでによく言われてきたことでもあり、そうした俗説とよくフィットしたからこそ受けたと考えられる。

興味深いのが、日本的コミュニケーションを愛する人にも毛嫌いする人にも、この説はよくアピールする点である。

日本文化を愛する人にとっては、「よくぞ言ってくれた!これが日本文化のあり方だ。俳句はたった17字で云々」という具合に、日本文化のユニークさの証左となる。一方、グローバル・コミュニケーションの伝道師みたいなものを(勝手に)任じる人にとっては、ホールの理論は「悪しき日本的コミュニケーション」を告発するうえで重宝する。たとえば、「日本人は言葉でコミュニケーションできない奴らだから、世界と渡り合えないんだよ!言葉を磨け!」といったふうに。

しかし、そもそも日本文化論自体が、実はかなり旗色が悪い。日本人には「論理よりも調和を大事にする(集団主義)」などといった特定の行動パタンがあって、それは他国(とくに西欧)とは一線を画すという俗流日本文化論は、学術界では大いに批判されている。

批判ポイントは、すでに以前のヤフーニュース記事で論じたので、詳細は繰り返さないが、要点としては、(1) 実証研究で再現できていないという点(→日本人の行動・態度は実際は十人十色なのに、俗流日本文化論は特定の人だけの行動・態度を「日本人らしい」と取り上げているから、その傾向が強調されて見えるだけ)、そして、(2) 日本文化を無根拠に世界的にユニークなものとする自民族中心主義の現れ(有り体にいえば「ダサい態度」)といったものである。

さいごに

前述の通り、特定の国民に特定のコミュニケーション・スタイルをマッピングする類型論は眉唾ものだが、E. ホールによるオリジナルのハイ/ロー・コンテクストの概念や、その他の文化比較の視座は、いまでも重要なものが多い。願わくは、原典を大事にし、本人が言ってもいないことは書かないでほしい。そして、孫引きの孫引きの、そのまた孫引きのような図を、まるで原典から引用したかのように書くのは本当にダサいのでやめてほしいというのが正直なところである。