英語四技能入試は改革の切り札か?

雑誌『英語教育』(大修館書店)の2018年11月号「英語教育時評」に、「四技能入試は改革の切り札か?」というコラムを寄稿した。掲載から一定期間が過ぎたので下書き原稿を転載する。

なお、読者の便を考えて、リンクや参考情報を挿入している。

四技能入試は改革の切り札か?

寺沢拓敬(関西学院大学准教授)

 8月、外国語教育メディア学会(LET)のパネルディスカッション「大学入試改革は、高校英語教育での四技能統合を推進するのか?」に登壇した。今回はそこで話した内容について書きたい。

 まず、結論から。外部試験導入論議には、政策論であるという自覚が決定的に足りない。技術的・手続き的に深刻な問題点があることは既に(本誌以外の媒体で!)多くの蓄積がある(例、南風原朝和編『検証 迷走する英語入試――スピーキング導入と民間委託』岩波書店)。一方、あまり指摘されないのが、政策論的に見ても問題含みという点である。

 この改革の政策論らしさは、「四技能試験の波及効果」論法によくあらわれている。曰く、センター試験を四技能入試に置き換えれば、高校現場の英語教育が変わり、ひいては日本人の英語力がバランスよく向上するという議論である。テスト形式の変更という政策的介入によって、英語力向上という目標を達成しようという話であり、典型的な政策論である。「タバコ税を引き上げて喫煙人口を減らそう」とか「官製婚活パーティで出生率を上げよう」という公共政策と発想は全く同じである。

 「入試が良くないから英語指導が改善しないんだ」という不平不満は昔からある。一見すると、入試を変えれば四技能指導は浸透しそうな気もする。今回の導入議論では、http://terasawat.hatenablog.jp/entry/2018/07/31/153429「波及効果」(ウォッシュバック)というテスト研究の用語も用いられて、一層のもっともらしさを獲得している。しかし、政策研究者の私からすると、根本的におかしな部分が目につく。

 推進論者は「四技能試験導入→英語力向上」という因果関係について、驚くほど楽観的な見通しを持っている。だが、実際にはなかなか怪しい推論である。

 この推論は、多数の因果の連鎖から成っている。つまり、センター試験段階のテストの四技能化で、まず進学校での英語指導が変わる。結果、そこの生徒の英語力も高まる。また、進学校での取り組みが、非進学校の教員や生徒にも影響する。こうした高校での変化が、中学校にも波及し、結果として日本人の英語力が高まる。こういう理屈である。

LETパネルディスカッションで提示した図(筆者作成)
LETパネルディスカッションで提示した図(筆者作成)

 

 あらためて読みほどくと、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の理屈だとわかる。因果の連鎖が長ければ長いほど当初の効果は薄まり、したがって期待した成果もますます望み薄となる。

 英語教育に限らず公共政策一般において、ある政策的介入をすることで狙った効果を狙ったとおりに生み出すことは実はきわめて難しい。まったく効果がなかった例、かえって悪化を招いた例は枚挙にいとまがない。

 そもそも、入試改革が英語指導を変えるかどうかについても信頼に足るエビデンスはない。「いや、テスティング分野では波及効果の研究が多数なされている」と言う人もいるかもしれないが、既存の波及効果研究は、(1) 妥当性検証の一貫としてテストの影響を確認したもの、 (2) テストの影響とされる現象を事例研究として記述したもののいずれかである。つまり、因果効果の推定をしているわけではない。その点で、政策論として参考になるかと言うとかなり怪しいのが実状だ。

 では、どのような政策的介入なら良かったのか。最も理想的なのは、「入試をいじる」のように因果の遠い改革ではなく、もっと近接した部分に集中することである。たとえば、教員定数を改善してクラスサイズを縮小し、四技能指導をしやすくする。教員に長期研修の機会を与えて、四技能指導への知見を深めさせる。教職員の増員により、一人当りの仕事量を減らし、自己研鑽のための時間的・精神的余裕を作り出す、等々。

 誰が見ても効果が見込めるこのような正攻法には莫大な予算が必要であり、政府はやりたがらない。だからこそ、外部試験導入という、比較的安上がりの政策でお茶を濁したとも言える。なお、政府が節約したコストの一部は、民間テストの受験料として受験生の肩にのしかかったことをお忘れなく。

 四技能入試導入は、まるで改革の切り札かのように喧伝されることがある。しかし、実のところ、低予算で「改革っぽいこと」をなすために考案された苦肉の策に過ぎない。その意味で、切り札などとは決して思わないでほしい。