英語教育とポスト真実・フェイクニュース

『英語教育』(大修館書店)2018年3月号の英語教育時評に「英語教育とポスト真実」というコラムを寄稿しました。1ヶ月が経過したので下書きを転載します。

なお、読者の便宜を考えて、キーワードのいくつかにリンクを挿入しています。

英語教育時評

英語教育とポスト真実

2016年、Oxford Dictionaries Word of the Year に「ポスト真実」 (post-truth)が選ばれた。英語圏発祥のこの言葉も日本で完全に市民権を得たようだ。それは、この語――そしてその類語である「フェイクニュース」――をタイトルに冠した書籍の刊行ラッシュを見ても明らかである。

「ポスト真実」と聞いてまず思い浮かぶのは政治スキャンダルである(例、2016年のアメリカ大統領選、その後のトランプ政権の発言、欧州社会統合をめぐる様々なデマ、そして各国政府の不誠実な声明・答弁など)。したがって、一見、 英語教育界から縁遠いものに思えるが、対岸の火事とも言えない例もある。それが、自称・医療情報まとめサイト「WELQ」をめぐる騒動である。

WELQは、医療情報と称して、医学的な裏付けの全くない記事や著作権違反(無断転載)の記事を多数掲載していた。批判を受けて、運営元のDeNAは謝罪し、サイトを閉鎖した(2016年12月)。

なぜWELQは、人命にも関わりかねない問題のある記事を量産し続けていたのか。その背後には、「粗製乱造こそがビジネスになる」という現代のネットメディア特有の事情がある。

どういうことか。次のような理屈である。ネットメディアでは概して閲覧数に応じて広告収入が入る。つまり、いかに多くの人をサイトに呼び込むかが至上命題である。そのためには大量の記事を低コストで掲載するのが良い。すると、一つ一つの記事を丁寧に執筆・監修するよりも、不正確な情報や無断転載をしてでも粗製乱造したほうが利益が上がる。

英語教育関係でも、WELQほどではないにせよ、似たような危ういサイトが存在する。英語学習法や子どもの英語教育などの話題は(医療ほどではないものの)注目を集めやすい。であれば、閲覧数を稼ぐべく、英語教育・英語学習に対する不安を煽る記事が量産されても不思議ではない。事実、そのような記事は容易に見つかる。

その代表格が英語の重要性を煽りたてる記事である。私が個人的に保存している記事からいくつか選んでタイトルを並べてみよう

  • 「英語力のある人の給料は、平均の2倍以上!?」
  • 「平均年収に約137万差、英語学習の開始時期が影響」
  • 「就活生、9割が英語力の必要性を実感」
  • 「『日本社会全体にとって英語が必要』社会人の7割以上」

いずれの記事も何らかの調査に言及しており、数字はまったくの出鱈目ではない。しかし、注意が必要なのは、就職情報産業や英会話学校をはじめとした語学産業など営利企業が調査を実施している点である。営利企業である以上、調査目的は通常、社会の実態の正確な解明ではなく、マーケティングだからである(ここには、プレスリリースを流すことで自社の存在感を高めることも含まれる)。そうした目的だからこそ、この手の販促型調査は通常低コストで実施できるネットアンケートを用いているが、ネットアンケートの信頼性の低さは周知の事実である。

つまり、英語の重要性を煽り立てる記事の多くは、社会調査として信頼性のほとんどない企業のプレスリリースを右から左に流すことで日々作られているのである。

英語力の世界ランキングを報じる記事も「ポスト真実」感が満載である。TOEFLスコアや、営利企業が作った独自の英語力指標をもとに、「日本の英語力はまた下がった!」などと憂いてみせる。だが、この手の指標は代表性を欠いており、国際比較に使うことができないことは統計学の初歩である--「いや、東アジアの国々は日本並みに受験者が多いから比較可能だ」と言う人もたまにいるが、端的に言って間違いである。受験者は代表性と無関係だからだ。

英語力ランキングも元はと言えば企業が自社への注目を増すためのものであり、国際的な実態とは無関係である。この手のプレスリリースを、まるで社会の実態のように記事にすることは、やはり「ポスト真実」の要件を兼ね備えていると言えよう。

繰り返すと、ネットメディアは、正確な情報提供よりも閲覧数の獲得にインセンティブが働きやすい。衆目を集める扇情的な記事が書ければベストであり、その内容が適切かどうかは考慮されない場合も多い。この点の情報リテラシーが私たちに求められるだろう。

実は、学会にも、この手のネットメディアを引用しながら発表・講演をする先生が少なからずいて、私は大きな危機感を抱いている。事実を何よりも重視する学界にポスト真実が押し寄せつつあるのかもしれない。