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英語格差(イングリッシュ・ディバイド)について

寺沢拓敬言語社会学者

先日、英語格差について分析した拙論文が出版になった 。

Has socioeconomic development reduced the English divide? A statistical analysis of access to English skills in Japan: Journal of Multilingual and Multicultural Development: Vol 38, No 8

論文の内容をそのまま紹介するのは専門的過ぎるので控えるが、英語格差については一般的な関心が高い内容だと思われるので、簡単に解説する。

帯に
帯に "「英語格差」を克服する究極の学習法” とある。

そういえば「英語格差」は、昨年のベストセラー鳥飼玖美子著『本物の英語力』のキーワードにもなっている。

たとえば、こちらの記事などを参照されたい。

鳥飼玖美子著「本物の英語力」英語格差に焦る大人が飛びつく|日経カレッジカフェ

それだけ近年は「英語が生活の質を左右し、格差を拡大させる」という意識が浸透しているからなのだろうか(筆者自身はかなり懐疑的だが)

「英語学習機会の格差」と「英語力が引き起こす格差」

英語格差は「イングリッシュ・ディバイド」とも呼ばれるが、このフレーズは明らかに「デジタル・ディバイド (Digital Divide) 」にインスパイアされたものだろう。デジタル・ディバイドは、周知のとおり、情報の重要性が増すことで、情報を持つ者・持たざる者の差が拡大するという議論である。

デジタル・ディバイドは、(1) 既存の社会格差に起因する情報へのアクセス格差と、(2) 情報の差によって引き起こされる様々な社会的不平等という、2つの異なる問題に区別できる。図式的に書くと以下の通り。

(1) 既存の不平等→情報の差

(2)        情報の差→新たな不平等

イングリッシュ・ディバイドにもまったく同じことが言える。つまり、(a) 既存の社会格差に起因する英語教育機会の格差と、(b) 英語力の差によって引き起こされる様々な社会的不平等である。以下、上と同様に図式的に書く。

(a) 既存の不平等→英語力の差

(b)        英語力の差→新たな不平等

英語の教育機会格差は簡単には消失しない

私の論文は、上記の (a) を日本を事例に検証したものである。

日本をあえて事例に選んだのは次のような理由である。

英語格差の存在はとくに旧英米植民地で長らく知られてきたことである。その一方で、近年、楽観論も浸透し始めている。たしかに世界的に英語教育が拡大し、IT教材をはじめとした効果的な英語教育が発展し、さらに、発展途上国をはじめとして多くの国で教育水準が向上していることを考えると、英語格差が縮小しているのではという「希望」に飛びつきたくなる気持ちもわからないではない。

日本は戦後の早い時点で既に高い進学率、必修の英語教育を達成している。また、高い経済水準は教育テクノロジーの高度化を促進した。上述の楽観論が正しければ、日本の英語格差は過去、数十年にわたって劇的に減少しているはずではないか。この仮説をデータで検証したというわけである。

(なお、日本を事例に選んだ最大の理由は、もちろん私が日本育ちだからだが、そんなことを国際誌に書いても So what? と言われておしまいだろう)

結果は、「ほとんど何も改善していない」である。この理由はいろいろあるだろうが、そのひとつが、「英語力に対する価値づけは、社会階層を敏感に反映し、高い階層の出身者ほど英語を重視しやすい」というものである。

もっとも、このメカニズムは教育全般に見られる。学歴アスピレーション・進学アスピレーションの格差、つまり、高い階層出身者ほど高学歴や上級学校への進学に高い価値を起きやすいことは長らく知られていた。一方、英語は学歴ほどその価値が広く認知されているわけではないため、より鋭敏にその差が現れ、教育がマス化した後でも容易に消失しないのでは、という説明である。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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