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全教:小学校英語の見直しを文科省に要請「教育現場に多大な負担」

寺沢拓敬言語社会学者

全日本教職員組合(全教)から「小学校英語反対」という画期的な要請が出された。なぜこれが「画期的」と言えるのか、背景を簡単に説明する。

まず、経緯について全教のウェブサイトを参照したい。

全日本教職員組合 全教のとりくみ  改訂学習指導要領実施に伴う、小学校における中学年での「外国語活動」、高学年での「外国語科」の導入にかかわる緊急要請を実施

全教は、9月14日文部科学省に対して、改訂学習指導要領実施に伴う小学校における中学年での「外国語活動」、高学年での「外国語科」の導入にかかわる緊急要請を行いました。

…中略…

  1. 改訂学習指導要領の抜本的見直しを行い、小学校における中学年での「外国語活動」、高学年での「外国語科」の導入を見直すこと。
  2. 小学校における中学年での「外国語活動」、高学年での「外国語科」の導入の先行実施及 び移行措置を行わないこと。

 

全教は日教組と並ぶ、左派系の教職員組合である。

全教は日教組と同様に、保革イデオロギーがからむ教育問題には非常に敏感に反応してきた。たとえば、2000年代の教育基本法「改正」に関して明確に反対の立場を示していた。

一方で、教科目の内容については、イデオロギーの絡む問題(たとえば歴史)でもない限り、明確な立場を示さないのが普通である。その典型が、英語教育である。英語教育とイデオロギーの関連は必ずしも明確ではなく、たとえば、2000年代の小学校英語論争反対派はそれを端的に示していた――反対派には保守系もいれば、リベラル・左派系もいる(それと当然ノンポリも)という呉越同舟の状態だったからである。

こうしたイデオロギー的な「わかりやすさ」を欠いている英語教育は、教職員組合の争点にあがりにくいのである。たしかに、小学校英語の賛否や早期英語教育に対する意見は、個人の保革イデオロギーより、英語学習観・教育観や指導に関する信念に大きく左右されると言える。そうした場合、組織内での意見の集約・合意形成は困難だろう。

その点を踏まえると、全教の今回の声明(廃止の要請)は異例である。

今回の声明が出せたのは、小学校英語を、一教科目の内容としてではなく、労働問題として理解したからこそのものだと考えられる。その点は、要請の背景を読むとよくわかる。

冒頭に、全教から、年間35時間もの授業時数増となり子どもたちに多大な負担をおしつけるものとなっていること、多くの小学校教員は英語教員免許を取得しておらず、児童に十分な指導を行うことができないもとで負担増を押し付けられること、専門家から「母語(国語)指導との関連性があきらかでなく、いっそうの学力格差を生み出す」などの危惧が表明されていること、必要な条件整備が行われていないもとで「外国語関連の授業増加に対応するための策がないまま、現場に丸投げされていることに憤りを覚える」などの声があがっていることなどを示し、次の2点について緊急要請を行いました。

 

筆者も、小学校英語は労働問題だと再三訴えてきた。

小学校英語を廃止すべしというパブコメを提出(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース

小学校英語は労働問題(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース

2000年代の小学校英語論争は、私見では、労働面をめぐる論争ではなく、ほとんどが英語学習観をめぐる論争であった。たとえば、「早くから外国語を学ぶと国語がだめになる」「いや、ならない」とか、「訓練を受けていない小学校の先生が教えると英語の語感がだめになる」「慣れない先生が頑張って英語を使っている "姿勢" を子どもに見せるのが大事」などなど。

ひるがえって、現在は、「教員の働き方改革」という全国的な動きもあり、労働問題として理解する視角が徐々に浸透しつつあるのだろう。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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