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「日本文化」論を疑う

寺沢拓敬言語社会学者

大修館書店『英語教育』(2016年11月号)に、「日本文化論を疑う」と題するコラムを寄稿した。

1ヶ月が経ったので、その下書きをこちらに転載したい(下書きのため出版されたものとは細部が異なる)。

追記:その後、 この記事の中の「ハイコンテクスト文化」に関する内容をより丁寧に説明した記事を執筆しましたので、こちらも参照下さい。「日本人はハイ・コンテクスト文化、○○人はロー・コンテクスト文化」論にまつわる誤解

「日本文化」論を疑う

英語教育関係者の「文化」という用語の使い方に違和感を覚えることがある。それは、「日本人」の典型的行動・態度が日本文化の特徴として断言されている場合だ。たとえば、「日本人は集団主義だ」「日本人の考え方は同質的だ」「日本人はハイコンテクストの対話を好む」等々。こうした議論は日本文化論・日本人論(参照:ウィキペディア日本語版「日本人論」)と呼ばれる。

日本文化論を疑うべき理由

しかし、問題は、この考え方がかなり怪しい代物だという点である。奇妙な事に英語教育学者はあまり言及しないが、日本文化論の怪しさは人文社会科学ではよく知られている。というのも、80年代以降、日本人論を根本的に批判する文献の出版が相次いだからだ。その批判の要点は以下の通り。

  1. 日本人に共通の性質があるなどという話に実証的根拠はない
  2. 同質性の過度の強調は、本来対立している人々に「協調」を強いるイデオロギーである
  3. 日本民族は他民族には見られないユニークな特徴を持つという考え方は、ナショナリズムの歪んだ形の表出である
  4. 日本列島に居住するのはヤマト民族だけではないし、ヤマト民族自体が人種的に見ても北方系、南方系、渡来人など多様である

一方、英語教育において日本文化論はまだ素朴に信じられている。たとえば、「日本人はシャイな民族だから英語が話せない」とか「上下関係にとらわれ過ぎている日本人も、I/youで対等に話し合える英語文化から学ぶべきだ」という話を一度は聞いたことがあるはずだ。

しかし、シャイではない人、上下関係にとらわれない人など、周囲を少し見回せばいくらでも思い当たる。そもそも日本文化の特質なるものは、世界の色々な文化と比較してはじめてわかる。しかし、英語教育では、誰とも比較せずに主張する人が大半で、したとしてもせいぜい英米人との比較だ。

では、実際に他国民と比較した場合、日本文化論は妥当なのだろうか?実はこの問いはすでに検証されている(間淵領吾 2002 「二次分析による日本人同質論の検証」『理論と方法』17(1))。間淵は無作為抽出による国際調査を用いて各国民の態度の同質性を比較分析し、日本人の同質性は他国民よりも必ずしも高くなく、むしろ低いと結論づけている。

「ハイコンテクスト文化」論を疑う

また、「日本人はハイコンテクストなコミュニケーションを好む」という議論もたいへん根強い。ルーツは、文化人類学者エドワード・ホールの「ハイコンテクスト対ローコンテクスト」という文化類型である。彼の説明によれば、ハイコンテクスト文化は言語以外の情報(例、視覚情報、場の空気)を重視して対話をし、一方、ローコンテクスト文化はその逆になる(つまり、言語情報の重視)。ホールによれば、日本文化はハイコンテクストの典型らしい。いわゆる「察しの文化」「腹芸」である。

たしかに、英語教育の概論書にも日本を世界の中で最もハイコンテクストだとする記述が多い。各国の文化をハイからローにずらっと並べ、一番上に日本を置いた図を見たことがある人も多いだろう。

コンテクスト理論にもとづく文化類型
コンテクスト理論にもとづく文化類型

しかし、実はこの議論もなかなか怪しい。ホールのオリジナルの議論、たとえばThe Silent LanguageBeyond Cultureなどを読めばわかるが、彼は何ら実証的根拠を示していないのだ。そもそも上記の書籍はエッセイであって研究書ではない。そのため、この文化類型論も「ふんわり」と述べられたものであって、精緻な調査の結果などではない。

事実、ホールの議論は、その後の追試で概ね否定されている。信じられない人はネットで簡単に検索してみて欲しい。反証した研究が山のようにヒットする。一例が、ピーター・カードンという研究者によるメタ分析である。(Cardon, P. 2008. A critique of Hall's contexting model. Journal of Business and Technical Communication, 22(4))。「出身文化によってコンテクストに対する好みが変わるか」という問いを今までに多数の研究者が検討してきた。その結果を整理したうえで彼は、ホールのオリジナルの主張はまず支持できないと結論づけている。

英語教育界には数多の常識があるが、ネットで少し検索すればその誤びゅうが明らかになるレベルの「常識」はもう少し慎重に取り扱って欲しいものだ。

参考

以下の学会発表で、私は上記の内容をもうすこし突っ込んで説明したことがある。参考までに。

「英語教育研究における『日本文化/異文化』―理解の問題点」中部地区英語教育学会2016年大会(6月26日)

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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