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アメリカ応用言語学会で聞いた「純ジャパ」論

寺沢拓敬言語社会学者

ちょっと前のことになるが、3月19日から22日まで、トロントで開催されたアメリカ応用言語学会(American Association of Applied Linguistics)で口頭発表をしてきた。

自分たちの発表も意義があったが、他の研究者の発表からもたいへん大きな刺激を受けた。とくに、麻生卓司氏(早稲田大学)による「純ジャパ」言説に関する発表はたいへんおもしろかった。

詳細: Aso, T. (2015).“The Legitimacy of Nativeness Reproduced in an English-Medium College in Japan: A Practice-Theory Approach to Native-Speaker Effect” American Association of Applied Linguistics 2015 Conference. March 22. Toronto.

純ジャパとは

馴染みのない人に簡単に解説すると、「純ジャパ」とは「純粋なジャパニーズ」の意味。日本国内の特定の大学(古くはICUや上智、最近では早稲田の特定学部や国際教養大など)に浸透しているジャーゴンである。

「純ジャパ」などと聞くと、日本人の人種・血統の話をしているのかと思う人も多いかもしれないが、そうではない。ここでいう「純ジャパ」とは、日本人の家庭で生まれ、日本育ちで、海外居住経験なしの人々のことを指すようだ。

つまり、日本人非留学経験者が、(中高以前の)留学経験者や帰国子女と自身を差別化するために用いられる言説である。(血統とは関係ないにもかかわらず、ナイーブな「人種語り」が浸透していることは別の深刻な問題ではあるけれどここでは置いておく)。

件の麻生氏の研究は、純ジャパ/非純ジャパの境界を「純ジャパ」たちがどう定義付け、どのような意味を託しているのか彼ら彼女らの「語り」を丹念に分析することで明らかにしたものである(同時に「非純ジャパ」の語りも検討していた)。

「純ジャパ」という語の特徴・問題

興味深いのは、純ジャパ(あるいは非純ジャパ)としてのアイデンティティは必ずしも海外経験だけに規定されるわけではないという点である。海外経験の内容、「学力」への自信(難関大学に入学したという自負)、そしてジェンダーなどの要因が複雑に絡まっているのである。

たしかに、純ジャパには独特な含意があり、海外経験の有無だけを問題にした言葉ではない。たとえば国内のコリアンタウンやブラジル人集住地域では「日本人かどうか」はおおいに顕在化するが、だからといって「純ジャパ」なる言葉(あるいはそれに類する言葉)は流通していない。前述のとおり、特定の大学のみで流通しているということがとても重要である。

一見否定的なレッテルでもあるが(そして実際にはその側面はあるのだが)、「純ジャパ」たちは自虐的にそのラベルを好んで消費する(実際、私も嬉々として「純ジャパ」という用語を解説する元純ジャパを何人も見ている)。その結果、「純ジャパ/非純ジャパ」という境界は再生産されていく。

「純ジャパ」現象について素朴に「興味深い」と評価するのはためらわれるが、検討の意義のある課題であることは間違いないだろう。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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