大断層「中央構造線」の活動が豊かな瀬戸内海を造った

(提供:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 外周が100メートル以上の島が727も浮かぶ瀬戸内海。この多島海の景観はいかにも穏やかである。またこの内海は、400種以上もの多様な魚介類が生息する豊かな海でもある。流れ込む河川が多く、窒素やリンなどの栄養塩が陸域から運び込まれることで魚介類の餌となる植物プランクトンが豊富なのだ。

「瀬戸」と「灘」が繰り返す瀬戸内海

 瀬戸内海の幸といえば、何と言っても「明石の鯛」だろう。きちんと活じめ(神経じめ)を施した上で適度に熟成された身はほんのりと飴色を呈し、見事な旨味が口いっぱいに広がる。旨味成分グルタミン酸の元となるATP(アデノシン三リン酸)が豊富で、さらに悶絶死に伴うこの成分の減少を最小限に抑え、熟成によりグルタミン酸へと変化させるからだ。ATPはいわば筋肉成分、つまり明石海峡の「川のように流れる」潮で育つ明石鯛だからこそ多く含まれるのだ。

 瀬戸内海には明石海峡と同様に潮の流れが速い「瀬戸」と呼ばれる場所がいくつもある(図)。渦潮で有名な鳴門海峡、瀬戸大橋のかかる備讃瀬戸など、いずれも旨い魚の名産地だ。瀬戸で海が狭くなるのは陸がせり出して、しかも島が点在するため、すなわちこの辺りが周囲より隆起しているからだ。一方で、瀬戸と瀬戸の間には、「灘」と呼ばれる比較的海の広がる場所がある(図)。瀬戸とは逆に沈降するために盆地状に凹んでいるのだ。こうしてみると、瀬戸内海は、瀬戸と灘、すなわち隆起域と沈降域が交互に位置する内海であることがわかる(図)。

 現在は陸となっているが、海水面の高い時期には瀬戸内海はもっと東、例えば奈良盆地まで広がっていたことが、当時の地層の分布からわかる。このことも考え合わせると、瀬戸内海の隆起域と沈降域の繰り返しは数百キロメートルに渡って認められる(図)。しかも、これらの隆起や沈降の軸はほぼ同じ北西-南東方向を向いている。

 なぜこのような規則的な構造が造られたのだろうか?

沈降域と隆起域が繰り返し配列する瀬戸内海(巽原図)
沈降域と隆起域が繰り返し配列する瀬戸内海(巽原図)

フィリピン海プレートの斜め沈み込みと中央構造線横ずれ運動

 前回述べたように、南海トラフから西日本に沈み込むフィリピン海プレートは、300万年前に太平洋プレートにぶつかったために大方向転換をした。それまではほぼ真北に運動していたのだが、300万年前以降は北西方向、つまり西日本に対して斜めに沈み込むようになったのだ。つまり、このプレートは西日本を北向きに圧縮するだけでなく、運動の西向き成分(図)が西日本を西へ引きずり始めたのだ。その結果、この西向きの引きずり力を受けた西日本では、領家帯と三波川帯と呼ばれる地質境界が弱線となって「横ずれ断層」として動き始めたのである(図)。「外帯」と呼ばれるこの構造線より南の岩盤は、1つの塊(マイクロプレート)として西向きに移動することになった(図)。

 中央構造線での地盤の変異は、当然その北側にも影響を与える。中央構造線に近い場所では断層運動に引きずられて西向きに移動しようとする。一方で巨大なユーラシアプレート内部には、全くこの影響は及ばない(図)。いわば瀬戸内海沿岸は変形ゾーンと化したのである。

 このような横ずれに伴う変形ゾーンでは、いわばシワが寄るように隆起域と沈降域が交互に形成されることが知られている(図)。つまり、現在瀬戸内海に見られる特徴的な地形は、300万年前以降の中央構造線の活動によって形成されたものなのだ。

隆起域と沈降域を境する断層

 瀬戸内海に繰り返す瀬戸と灘が中央構造線の活動に伴うシワであることはお分かりいただけただろうか? では沈降域と隆起域の境界はどうなっているのか? 地盤が緩やかに波打つように「褶曲」してもこの繰り返しを造ることができる。しかし瀬戸内海の場合は、そうではなさそうだ。その証拠に、淡路島(隆起域)と播磨灘(沈降域)の境界には、あの阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の震源断層である「野島断層」が走っているのだ。

 穏やかに見える瀬戸内海ではあるが、地下には断層が潜み、これからも活発な地殻変動と地震活動が起こると考えた方が良さそうだ。