終戦の日に「避けられた戦争」が避けられなかった理由を考えて見える今

終戦の日に靖国神社で行進する旧軍服姿の人たち 彼らが戦場に行ったわけではない(写真:つのだよしお/アフロ)

終戦の日とは、第二次世界大戦が終わった日ではあるが、これは世界どこでもそうだというわけではない。アメリカでは9月2日が「戦勝記念日」、つまり日本の「終戦の日」にあたる。この日に戦艦ミズーリ上で降伏調印式が行われたからだ。

それでもこの「終戦の日」が意味を持つのは、多くの日本人にとってその日以前の過去をかえりみる一日となっているからだろう。この機会に戦争にいたった道を考える人も多い。

その際、一橋大学名誉教授で世界史の研究で知られる油井大三郎氏の近著「避けられた戦争」(ちくま新書)は、100年前の当時の状況を分析していて示唆に富む。当時の日本、各国の主要人物の言葉から、国際的に平和を希求した時期である1920年代から戦争に向けた動きが加速する1930年代への流れを分析している。

避けられた戦争(ちくま新書)
避けられた戦争(ちくま新書)

そこで油井氏は、「新外交」と「旧外交」が当時の各国の選択を分けたと指摘している。前者は、第一次世界大戦を終わらせたベルサイユ会議でアメリカのウイルソン大統領によって示された帝国主義からの決別。後者は帝国主義の継続。英仏は渋々ではあるが新外交を歩み始め、日本は後者を選択する。

ただ、日本が旧外交に頑なに固執したわけではなく、国内には様々な議論が有った。政治家の幣原喜重郎や財界の渋沢栄一らは新外交の推進を求めた。それでも、旧外交がやがて支配的になったのは、軍の強い意向だった。その軍の意向を支えたのは、実は世論だった。油井氏は当時のベストセラー小説などから、それを読み解いている。

その世論が軍の「暴走」に力を与えることになるが、そこで油井氏は、アメリカの状況も日本を敵視する世論という意味で変わらなかった点を指摘している。アメリカ軍は日本との戦争を想定した「オレンジ・プラン」を策定。しかし、そこで、日米の対応を大きく分けたものがあった。それは、文民統制だった。文民が軍を統制することが制度として確立されていたアメリカでは、冷静な対応ができた。文民統制が無かった日本は軍の暴走を止められず、やがて世界を巻き込んだ戦争に突入する。

もう1つ興味深いのは当時のキーワードだ。「満蒙は日本の生命線」。満州や蒙古を失うと日本は欧米に対抗できず、やがて日本の命運は尽きるというものだ。それは抗えない響きを持ち、文民統制の効かない軍の暴走の燃料となった。

今、それに似た言葉がある。「激変する東アジアの安全保障情勢」だ。この言葉は自衛隊に敵基地攻撃能力を付与する議論で必ず出る。それはあらゆる異論を許さない響きを持つ。

私は自衛隊の役割は重要だと思うが、敵基地を攻撃する能力を持つことが「東アジアの安全保障情勢」を好転させるとは思わない。逆だと思う。自衛隊にはその名称通り、日本を自衛し、加えてこの地域の安定に資する力として活動を続けて欲しい。そのための装備を揃えることは重要だと思うが、それは敵基地を攻撃するミサイルではない。

気になるのは、その議論の中で、文民統制が効いているのか疑問に感じる点だ。むしろ、文民が自衛隊の制服組より暴走している様にさえ感じる。

私はイラクで自衛隊と行動をともにした経験がある。その時、自民党参議院議員の佐藤正久氏と多くの時間を過ごした。当時の「ヒゲの隊長」だ。佐藤氏は、武装した地域の有力者らを丸腰同然の姿でまわり地域の安定と復興を粘り強く説いて回っていた。

その佐藤氏は、「海外で人道支援を行う際の装備が自衛隊は十分ではない」と嘆いていた。陸上自衛隊員が不安定な地域で安全且つ有効に活動するための十分な装備ということだ。それは自衛隊の現実を見据えた言葉だった。私は、その言葉を考えることが重要だと思う。ただし、今、佐藤氏から同じような言葉が聞かれない。佐藤氏が今どう考えているのかは是非聞いてみたい。

「避けられた戦争」は実際には避けられなかった。100年前と同じ道を歩むことは許されない。