総理大臣と記者との会食はなぜ無くならないのか 新聞労連委員長に問う

参議院予算委員会で答弁する安倍総理(写真:つのだよしお/アフロ)

新聞社デスクの怒り

「あの記事を読んで、本当に腹が立った」。

そう話すのは、ある新聞社のデスクだ。記事とは、Yahoo!個人に書いた「総理大臣と記者との会食が引き起こしている問題の深刻さに気付かないメディア」(2020年1月13日)だ。主要メディアのベテラン記者ら7人が安倍総理と会食をしたことの問題点を指摘したものだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20200113-00158674/

腹を立てたのは記事を書いた私に対してではない。総理との会食に参加した記者らに対してだ。

多くの記者は取材先との緊張関係の中で、ぎりぎりのやり取りをしながら記事を書いています。それをチェックする私も日々が真剣勝負です。それが、ああいう会食が一回でも行われれば、全てがなれ合いで行われているように見られてしまう」。

そのデスクの社名も部署も名前、性別も出せない。それを明かすことでデスクが不利益を被る恐れが有るからだ。不思議な話だと思う。Yahoo!に記事を書いた後、私はNHKを含む何人ものメディアのデスク、記者とやり取りをしているが、みな、このデスクと同じ反応を示す。しかし、それが組織の上層部には届かない。届いているのかもしれないが、議論にさえならない。品の無い言い方を許して頂ければ、「蛙の面に小便」という言葉があてはまる。

記事の反響

自画自賛と批判されそうだが、記事の反響は大きかった。いろいろな意見が寄せられた。多くは、参加したジャーナリスト、それを許しているメディア各社への批判だった。特に目立ったのは毎日新聞購読者からの声だった。

毎日新聞の購読を止める」。

そうした書き込みを多く目にした。これには理由が有る。去年(2019年)、官邸キャップと安倍総理との会食が行われた際に、毎日新聞は参加しなかったことが知られている。その毎日新聞の姿勢を評価して朝日新聞の購読者だった少なからぬ人が毎日新聞に切り替えたということだ

毎日新聞よ、お前もか!」。

書き込みの行間を読むと、そうなる。裏切られたという思いなのだろう。

「呼ばれなかったから」

一方で、私の記事に対する批判も多く寄せられた。その代表的な例は、「呼ばれなかったから、その腹いせで書いている」というものだろう。

前回の記事に書いた通り、そう思う人がいることも驚くことではない。情報は権力者に集まり、取材者は情報を得るために権力者に近づこうとする。それが無批判に常態化しているのが日本のメディアであることは紛れもない事実だからだ。

検察幹部との食事会

こういう経験をしたことがある。NHKで記者をしていた時の話だ。大阪で司法キャップをしていた2009年、大阪高検検事長室で検事長にこう言われた。

「今度、本を出したんだが、それをNHKで扱ってくれないか」

どんな本か見せてもらうと、大阪高検のある中之島について絵と文章でつづった内容だった。大阪高検検事長とは東京高検検事長と並んで検事総長の次に位置する検察最高幹部の一人で、特に関西においては検察のトップとして君臨する権力者だ。出来ればその思いに沿いたいという下心は私にもあった。

仮に、その本が、検察人生を振り返り、知られていない秘話を記したものであれば扱えないわけではない。しかし、残念ながら本の内容はそういうものではない。私が本を手に取って黙っていると、検事長は次の様に言葉を続けた。

「読売(新聞)は書いてくれるそうだ」。

私は驚いた。どうやってこの本を記事にするのか、イメージがわかなかったからだ。

「この本をメディアで扱う公益性は無いでしょう」。

とは、勿論口には出さない。しかし、そう心の中でつぶやきつつ、私は、「NHKで扱うのは難しいです」と答えて検事長室を後にした。

それからしばらくしていくつかのメディアが本を記事にしていた。そして、ある日、本を記事で扱ったメディアの記者と検事長とのみで食事会が催されたと耳にした。一方、私はこれ以降、この検事長には会っていない。

根の深い問題

これがどういうことか、もう少し解説する必要が有る。官僚組織は法令順守が原則だが、当然、トップの意向も重視される。しかも、官僚組織では、トップの意向が瞬く間に下に届く。特に、検察の様な「優秀」な組織はその傾向が強い。

ところで、検察取材とは、その多くは検察から情報をとる作業だ。これは法令順守とは別の力学でなされる。検察側が守秘義務に違反する中で情報が記者に流れるということだ。その際、トップの覚えのめでたい記者に情報を流すのは、さほど問題にならないという認識が生まれる。従って、メディアの側からすれば、トップに取り入れば取材がしやすくなる、つまり情報を得やすくなるという利点が生まれる。そして自然と、メディアは権力に取り込まれていく。それは時にニュース判断さえ狂わす。

検察を取材するのは社会部記者だ。総理との会食は、政治部の現職、元職の記者だった。つまり、この問題は政治部だけに特有なものではないということだ。取材対象が異なるだけで、その権力者と取材者との関係という構図は変わらない。まして新聞、テレビ、通信といったメディアの違いでもない。日本のメディア全体の問題だと認識しなければいけない。

新聞労連の南委員長に問う

この問題について新聞労連の南彰委員長は次の様に話した。

「正直に言うと、ああいう取材の仕方は、今まではあたりまえだったということはあります。会食をしながらオフレコベースで情報を引き出すというのは、政治部記者の伝統芸でもあったかと思います。有力政治家は忙しいから皆で囲むという形式になってしまう。だから、あまり良いこととは思わなくても、これやらないと仕事にならない、とういう理解で続けてきたという側面は有ったと思うんです」。

シンポジウムで話す南委員長(本人の承諾を得て掲載)
シンポジウムで話す南委員長(本人の承諾を得て掲載)

南氏は朝日新聞の政治部記者であり官邸記者クラブにも在籍していた。委員長職を終えれば、朝日新聞の政治部に戻ることになる。それ故、これは自身の問題として受け止めている。そして続けた。

もうそれは考えなおさないといけない。状況が大きくかわったと思うんです。取材過程が可視化されてきているということです。総理の動静として新聞に掲載されるだけでなく、それがSNSで拡散する。それを市民がおかしいと感じ、更にSNSで表明していく」。

その結果、取材方法そのものが問い直されているのだと感じている。

「取材した内容だけでなく、取材の方法についても信頼性が問い直されていると感じます。その(取材方法への)信頼がなければ、ニュース・ビジネスも成り立たないということを新聞社はじめ、メディアは考える時期に来ているのだと思うんです」。

会食は3つのテーブルを総理が回る

南氏は、今回の会食についてできる限り情報を収集したという。

会食は、3つのテーブルに分かれて、総理がそれを回るという形で行われたようです」。

仮に、それが取材の場だったとして、総理に厳しい質問をすることは可能なのだろうか?

「詳しい内容かはわかりませんが、その場で桜を見る会についてきちんと説明するよう求めた記者はいたそうです。ただ、そうした取材の雰囲気としては、一人だけ輪を乱す質問はしにくいのも事実です。相手が怒って席を立ってしまうような厳しい質問はできないでしょう」。

私はこの問題は日本の民主主義を問い直すものと認識しているが、南氏も同じだった。

「根本的には、官邸に権限が集中する中で、官邸からどう情報を引き出すのかということをメディアは真剣に考えなければいけない。しかし、メディアはそれをしてこなかった。権限を与えるなら、公文書を残す取り組みを強く求めるなどすべきだった。それをせずに権力だけ集中させてはいけないと言わなければいけなかったが、メディアは従来のオフレコ取材で対応できると思ってきた。それが今も続いている」。

そして、本当にそれで取材ができているのかという疑問も生じていると私は思う。南氏は、この6月に予定されている新聞労連主催のシンポジウムで、この問題を取り上げる考えだ。

「一言で言うと、『原則と例外をひっくりかえす』ということかと思います。総理との会食の様な取材形式は、これまで「原則いいです」だったが、これを、「原則ダメです」としないといけない。どうしても、必要な時も有るかもしれないが、それはあくまでも『例外です。原則はダメなんですよ』としないといけないと感じています。そのための議論を始めていきたい」。

この記事のタイトルは、南氏に問うというものにしている。「『問う』はちょっと違いますか?」と尋ねたところ、「私自身も問われているのは間違いないので」このままで良いと話した。

しかしこの問題は、南氏の取り組みに期待するだけでは変わらない。メディアを変えるのは読者、視聴者だからだ。更に言えば、これはメディアだけの問題ではない。日本の民主主義が問われている問題だ。その思いを多くの人に共有して頂きたい。