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香港情勢が緊迫する中、台湾のジャーナリストがファクトチェックに力を入れる理由

立岩陽一郎InFact編集長
台北市内(10月7日撮影:立岩陽一郎)

台湾ではネットで拡散する情報について真偽を検証するファクトチェックが近年、盛んに行われるようになっている。その背景には、中国による台湾に向けた「情報戦争」があるという。その状況について、台湾で現地のジャーナリストらに話をきいた

台湾で開かれたファクトチェック大会

「中国による台湾への情報戦争は激しさを増しています。中国による組織的と見られる偽情報の拡散です。それが無視できない状況になっています」

台湾ファクトチェックセンターで編集長を務める陳慧敏が厳しい表情で語った。

香港で警察官が銃を高校生に向けて発砲するなど情勢が緊迫する中、10月5日、6日の二日間にわたって台湾に飛んだ。国立台湾大学で開かれたファクトチェックに関するフォーラムに参加するためだ。

ファクトチェックとは公人の発言やネット上に拡散する情報について事実検証する取り組みだ。欧米を中心に行われるようになり、最近ではアジア各国でも行われている。台湾では近年、特に取り組みが活発になっている。

会議の場で私がその理由を問うた時の答えが冒頭の陳編集長の言葉だった。2016年の総統選挙の頃から、台湾社会を混乱させるような偽情報がネットで拡散されたという。

なぜそれが中国のものと判断できるのだろうか?陳編集長は、それらには2つの共通点が有ると説明した。

「一つは海外のアカウントが使われていたこと。もう一つは、その情報をたどっていくと、簡体字が現れるということです。簡体字は我々台湾人は使いません」

漢字を簡略化した簡体字は中国で使われているものだ。陳編集長は「台湾人は使わない」と強調した。

フォーラムには陳編集長を筆頭に台湾でファクトチェックを行うジャーナリストや研究者に加えて、韓国、日本、フィリピン、インドネシア、インドのファクトチェッカーが参加。更に、グーグル、フェイスブック、ライン、ツイッターの担当者もパネリストを務めた。

グーグル、フェイスブック、ツイッターといったネットの巨人たちが揃って会議に参加してファクトチェックの重要性について語る場面は、欧米でもなかなか見られない。それが私の質問の意図するところだったわけだが、冒頭の陳編集長の発言でその答えが見えた。

台湾でファクトチェックが盛んに行われる背景には、中国による偽情報の拡散に対応するという台湾社会全体の要請があるということだ。それは既に、「情報戦争」と表現できるレベルになっているという。陳編集長とは会議の合間に食事をしながらも話したが、緊迫する香港情勢を他人事とは見ていないと話した。

「今の香港が明日の台湾どころか、今の香港は今の台湾だと話す人もいます。それは既に情報戦争が始まっているということです。偽の情報をチェックして出すという私たちの役割は益々重要になっていると感じています」

口が重い台北市民

では香港情勢を台湾の一般の人々はどう考えているのだろうか?台北市内で人々に話をきいた。通訳は、元台湾の新聞記者で現在は早稲田大学の大学院に通い、日本のファクトチェック団体であるFIJメンバーの池雅蓉さんに頼んだ。

これが予想外に難航した。

「日本のジャーナリストです。香港情勢について台湾の人々に意見を聞いています」

若く愛らしい池さんがそう尋ねても、皆、答えることを拒否した。男性、女性に差は無かった。共通するのは、少し考えて、申し訳なさそうに答えを拒否する態度だった。報道、表現の自由が認められている台湾では異例なことで、池さんも困惑していた。

それでも2人だけ答えてくれた。

30代の女性は、「香港の情勢は常には注意を払っている」と話した。女性は、「今の香港は明日の台湾だと思う」と話し、中国への警戒感を隠さなかった。

別の場所で取材に応じた30代の男性も、「勿論、日々の情勢を注視している。心配している」と話した。ただ、この男性は、「台湾は大丈夫だと思う。そう信じている」と話した。ただ、その根拠は明確ではなかった。

10人にきいて、答えてくれたのは2人だけだった。その取材を拒否する人々の姿に、香港情勢を重く受け止めている台湾の人々の意識を感じた。

著名なジャーナリストが語った台湾の今後

冒頭のファクトチェックのフォーラムを主催した良質報道発展協会の理事長で著名なジャーナリストの胡元輝は次の様に話した。

「人々の反応は理解できます。この数日の動きを見ても、我々に逆らわせないという中国政府の強い意志を感じます。それは台湾の人々に重くのしかかっています」

香港で言われる1国2制度とは、もともと台湾を併合する意図で中国が言い出した理屈だと言われる。その1国2制度が香港で破綻しかかっている。それを暴力によって抑え込もうとする動きは台湾の人々にとって極めて身近に迫った危機なのだと話した。

では、台湾はどうするべきなのか?ここで胡理事長は、次の様に話した。

「台湾の民主主義を守ることだと考えます。民主主義の台湾に外から入ってきて何かをするということは難しいでしょう」

微妙な言い方だが、民主主義の台湾を中国が侵略することはできないという意味だろう。胡理事長はさらに続けた。

「ファクトチェックはジャーナリストの取り組みですが、政府も市民もその取り組みの重要性を理解しています。これが極めて民主的な取り組みだからです。こういう取り組みを通じて、我々の民主主義を守ることが、ジャーナリストには求められています」

国のリーダ、議員を普通選挙で選ぶ台湾だが、それが実現してまだ20年余りでしかない。また巨大な中国の存在が強い政治権力を求める動きも誘発しかねない。それは駄目だと、胡氏は語った。

「台湾への中国の情報戦争が始まったのは2016年の台湾総統選挙だと思われます。それが2018年の中間選挙で更に激しさを増した印象です」

中国も台湾の選挙を意識しているということなのだという。それを放棄しては、台湾は台湾でなくなってしまうということだろう。

こうした中で、来年1月11日に台湾総統選挙が行われる。伝統的に中国との関係を良好に保とうとする国民党と中国からの独立を志向する民進党との一騎打ちとなる。一時期はリードしていた現高雄市長で国民党の韓国瑜候補だが、香港情勢が二期目を狙う民進党の蔡英文現総統に追い風となっているとも言われる。

懸念されるトランプ大統領の判断

中国の習近平国家主席は今年1月2日、台湾統一、つまり台湾を併合することについて武力行使も辞さないと語ったとされる。ここに来て発言のトーンを抑えているとの報道も有るが、先を見通すことは難しい。また、アメリカのトランプ大統領の動きも不安定な要素に更に拍車をかける格好となっている。台湾への相次ぐ武器の売却に中国は強く反発しているが、実際のところ、トランプ大統領が中台関係について戦略に基づいて判断しているのかは疑わしい。恐らく、「儲かるなら売れば良いじゃないか」程度の判断だろう。

つまり台湾の人々は極めて困難な状況の中にいると見て良い。今度の総統選挙でどのような判断が下されるか。日本にとっても無関係ではない。

胡氏は、選挙が公正に行われるために情報の検証が不可欠だと話した。そして、日本に対しては、次の様に話した。

「台湾の人々は昔から日本に親近感を感じてきました。その台湾がかつてなく大変な状況にあることを多くの日本人に知ってもらいたい」

香港情勢は台湾に既に飛び火している。当然、日本にとっても対岸の話ではない。

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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