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世界選手権のメダルまであと0.84 板橋・荒井が10mシンクロナイズド飛込で価値ある4位

田坂友暁スポーツライター・エディター
(写真:ロイター/アフロ)

 こちらの胸が締め付けられるようだった。

 目に涙を浮かべながらも、記者たちに対して明るく話すその姿に、彼女らの努力を思うとこちらが何度も目を閉じ、深呼吸を繰り返さなければならなかった。

 ハンガリー・ブダペストで開催されている、第19回FINA世界選手権。大会13日目に行われたのが、飛込競技の女子10mシンクロナイズドだ。

 2人で息を合わせ、全部で5回の飛込の合計得点を競うこの種目。JSS宝塚で共にトレーニングに励む荒井祭里と板橋美波のふたりが出場した。

 東京五輪では、苦しい結果に終わった同種目。4回目まで3位につけていながら、5回目の最後の飛込で水しぶきを上げるミスをしてしまい6位に沈んだのである。しかも、荒井と板橋のふたりともが得意とする5253B(後ろ宙返り2回半1回半ひねりえび型)という技だっただけに、周囲も、何よりも本人たちも驚きの失敗だった。

写真:ロイター/アフロ

『もう絶対こんな思いはしたくない』

 荒井も板橋も、強く心にそう決める。荒井は得意とする水しぶきの上がらない美しい入水に磨きをかけつつ、自分に足りない空中で行う回転の力強さを出すトレーニングにも励む。

 一方板橋も、今できる努力を積み重ねる。元々回転力には定評のある板橋は、入水に課題が残っていた。そこでペアを組む荒井をそばで見て学ぶことで、自分に足りない入水のテクニックを磨きあげてきた。

 そうして迎えた、パリ五輪への第一歩となる今大会。荒井、板橋ともに女子高飛込にも出場。荒井は6位入賞を果たすも、板橋は予選落ち。悔しさをにじませながらも気持ちを切り替え、今日の10mシンクロナイズド種目に臨んだ。

 1回目を終えて3位、2回目を終えても3位。3回目も3位のまま。そして4回目も3位で終えると、2位のマレーシアとの差はたったの0.36ポイント。しかし日本と4位のアメリカとの差も3.72ポイントと、ひとつのミスが命取りとなる状態だった。

 東京五輪で逃した、悲願のメダル獲得へ。2001年に福岡で開催されたFINA世界選手権以来となる、世界大会でのメダル獲得へ。

 思い切って飛んだ最後の5回目は64.80ポイントを獲得。「練習でもいつも失敗していた種目だった」という5回目。入水時に少しだけ水しぶきが上がったが、大きなミスなく飛びきることができた。

 プールから上がって得点表示を待つまでの間に、荒井と板橋はお互いを称え合うようにして抱き合った。最後の国が演技を終えて出た結果は、4位。3位となったマレーシアとの差は、たったの0.84ポイントであった。

「去年は最後に失敗してしまったんですけど、今回はやれることをすべてやってのこの結果。僅差でしたけど、これが今の私たちの実力なんだと思います」(板橋)

写真:ロイター/アフロ

「最後に飛んだ種目は、練習でもなかなかうまくできなくて、最後まで良いイメージができない不安が大きかったです。でも、最後は力を出し切ろうと思って集中して飛ぶことができました」(荒井)

写真:ロイター/アフロ

 すがすがしさも、確かにあった。東京五輪では失敗ですべてが終わってしまった。でも、今回は失敗が続いていた種目を成功させて終えることができた。

 でも、悲願のメダルまでたったの0.84。本当に、手が届く距離にメダルがあった。自分たちが今出せる力を出し切り、荒井と板橋の小さなその手で掴んだかに思えたメダルが、最後の最後にするりと抜け落ちた。

 1ポイントにも満たないその差が、近くも、遠くにも思えた瞬間でもあった。

 荒井はパワーの不足から飛ぶ種目の難易率をなかなか上げられない。世界では高い難易率の難しくも、決めると高得点を出せる種目をたくさん飛ぶ選手が多い。そのなかで、荒井が飛ぶ種目の難易率は、ずば抜けてと言っても良いほど低い。

 だが、荒井は諦めない。自分の持ち味である水を切る技術を磨き、ほとんど水しぶきを上げない演技を身につけて、難易率が低くても世界と戦えることを証明し続けている。

 特に入水技術は基礎の部分でもあり、地味な練習を繰り返してこそ身につくものだ。荒井が積み重ねてきたその努力は、並大抵のものではない。

 板橋は高い回転力を武器に、リオデジャネイロ五輪の女子高飛込で8位入賞を果たし、世界で未だ板橋以外飛んでいない109C(前宙返り4回半抱え型)をリオデジャネイロ五輪で成功させた唯一無二の存在だ。

 だがリオデジャネイロ五輪後は故障に悩まされ、2018年には網膜剥離の手術、2019年には疲労による故障で左足を手術。左足には今もプレートが入ったままだ。

 板橋は言う。「もう全盛期のころにはどうあがいても戻れない」。でも、板橋は競技を続けている。全盛期の自分を超えることはできないかもしれない。でも、超えられるかもしれない。自分が探求する限り、努力を続ける限り、必ず光は見えるはず。そう自分を信じて努力を積み重ねてきた。

 そうやって、荒井と板橋は日本代表の座を勝ち取り、世界に再び挑戦をしにやってきたのだ。

写真:ロイター/アフロ

 私はふたりが決勝の舞台に立った姿を見ただけで、胸の奥からこみ上げるものがあった。彼女たちが1回飛ぶごとに、3位というポジションに居続けるふたりを見る度に、自分の心臓の鼓動がどんどん強くなっていく。

 そして最後の演技を終えた彼女たちを見たとき、感情をこらえることができなかった。荒井がどんな思いで技術をコツコツ積み上げてきたのか、板橋がどんな思いでまたこの世界の舞台に戻ってきたのか。考えるだけで目頭が熱くなる。

 そしてミックスゾーンで彼女たちの立ち振る舞いを見たら、声を出せなかった。聞きたいことはたくさんあった。でも、聞けなかった。何かが溢れてしまいそうだった。

「来年には福岡で世界選手権があります。それに向けて良いイメージが持てる試合だったと思います。自国開催で観客が入れば、きっと盛り上がると思います。そんななかでも、自分の演技をしたいと思います」(荒井)

「正直、今はどうやったらもっと強くなれるか分からないけど、毎日試行錯誤して、毎日ちょっとずつ頑張っていきたいと思います。そしてまた来年代表権を獲得して、世界と戦う選手になりたいと思います」(板橋)

 荒井も、板橋も、最後は笑っていた。そして、板橋は私たちに向けてひと言こう言ってミックスゾーンをあとにした。

「応援、ありがとうございました」

スポーツライター・エディター

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かして、水泳を中心に健康や栄養などの身体をテーマに、幅広く取材・執筆を行っている。

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