日本型リーダーシップの叡智とは、何か。

それは、欧米型リーダーシップとは全く違った思想。

欧米型リーダーシップの思想の根底には、マキャベリの『君主論』を挙げるまでもなく、

「いかにしてリーダーシップを発揮するか」「いかにして優れたリーダーになるか」

という思想がある。

しかし、この日本という国においては、

「リーダーとは、自ら意図してなるべきものではない」

との思想が、永く語られてきた。

それは、一つの深みある叡智であろう。

なぜなら、現代における深刻な病の一つは、

「結果」に過ぎないものを「目的」にするということだからである。

例えば「創造性」。

現代においては、「いかにして創造性を身につけるか」「いかにして創造的な人物になるか」

が熱心に論じられるが、創造性とは、本来、「目的」とすべきものではなく、

「結果」として身につくものであろう。

例えば、ピカソは、誰もが認める「創造的な画家」であるが、

では、彼は、その生涯において、

一度でも「創造的な画家になりたい」と考えたであろうか。

答えは、否であろう。

彼の創造性は、自らを表現しようとの熱烈な創作活動の「結果」として、

そこに生まれてきたものに過ぎない。

同様に、本来、リーダーシップとは、

一人の人物が、一つの道を求めて生き、真摯にその道を歩んだとき、

結果として、そこに生まれてくるものに他ならない。

日本型リーダーシップの叡智とは、まさにその思想であろう。

そして、その叡智の思想を教えてくれる言葉は、数多くある。

そもそも、東洋思想には、

「桃李、もの言わざれども、下、自ずから蹊を成す」

との中国の言葉もあるが、

日本にも、

「千人の頭となる人物は、千人に頭を垂れることができなければならぬ」

との格言がある。

さらに、我が国の宗教的な世界においても、

親鸞は、「親鸞、弟子一人も持たず」と語り、

信者の人々を「同じ道を行く人」という意味の「御同行」と呼んだ。

しかし、ここに不思議な光景がある。

実は、欧米においても、

こうした「結果としてリーダーになる」という創発型リーダーが増えているのである。

例えば、ネットの世界で数千名のコンピュータ技術者が集まり開発された

基本ソフト「リナックス」。

このプロジェクトのリーダーであるリーナス・トーバルズは、

決して強力なカリスマ的人物ではない。

ただ、彼は、「世界中の人々が喜んでくれるソフトを作りたい」との思いを、

誰よりも深く持っていただけである。

これからの世界に求められるリーダー像は、

資金や組織や権力によって人々を強力に率いる リーダーではない。

むしろ、その高き志や深い共感によって、

自然に周りに人々が集まって くるリーダーに他ならない。

 

いま、世界は、我々日本人にとって懐かしい光景に向かっている。

されば、我々は、その彼方をこそ見つめるべきであろう。

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 2007年8月3日、PHP研究所より上梓した、

 『なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか』  

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 が、2017年10月27日に、POD書籍として復刊されました。

 この書においては、

日本という国における「リーダー」という言葉の真の意味について語り、

また、我々は、マネジャーという「重荷」を自ら背負う仕事を通して、

いかに成長の道を歩むべきかについて、語りました。

 興味のある方は、お読みください。