就職前の学生に贈る、「7つの言葉」

第1の言葉

プロフェッショナルへの道は、

「働く意味」と「仕事の報酬」を知ることから始まる

 これから実社会に出る皆さんが、本当にプロフェッショナルへの道を歩みたいならば、決して、スキルやテクニックを学ぶことから始めてはなりません。

 もちろん、プロであるかぎり、スキルやテクニッックは、かならず身につけなければならないものです。しかし、プロとしての修業を、スキルやテクニックなどの「技術」を学ぶことから始めると、視野が狭くなってしまい、最も大切なものを身につけることなく、日々の仕事に流されてしまいます。

 なぜなら、スキルやテクニックを学ぶことには、ある種の「魔力」があるからです。

 それを学び始めると、具体的な効果も実感でき、周りの評価も得られるため、しばらくは、自分がプロとしての力をつけたと錯覚できるからです。

 しかし、そうして歩み始めると、かならず壁に突き当たります。仕事の困難が乗り越えられない。職場の仲間とうまくやっていけない。顧客が離れていく。そうした壁に突き当たります。

 それは、なぜか。

「仕事の思想」を身につけていないからです。ただ、「仕事の技術」を身につけているだけで、その奥にある、最も大切なるものを身につけていないからです。

荒波に流されないために「仕事の思想」を定める

 では、「仕事の思想」とは何か。

 それは、本来、極めて広く、深い問いですが、これから実社会に出る皆さんは、少なくとも次の三つの問いについて、明確な思想を持っていただきたい。

 「働くとは何か」

 「なぜ、働くのか」

 「仕事の報酬とは何か」

 すなわち、「働く意味」と「仕事の報酬」についての思想です。実社会に出るときに、これらの問いを、どれほど深く問うたか。それが、そのビジネスパーソンの歩みを定めます。

 では、深い「仕事の思想」を身につけていないと、何が起こるか。

 「寂しい価値観」に染まります。

 その代表的なものが、「操作主義」です。

 例えば、いま書店に行くと「他人の心を自由に操る方法」や「相手を意のままに動かす方法」などの本が溢れています。

 これが「操作主義」です。

 目の前の一人の人間を、あたかも物を動かすように、自由に、意のままに操ろうとする発想。それが操作主義ですが、これに染まってしまうと、プロとしては、決して、一流にはなれません。なぜなら、実は、操作主義に流される人間の心の奥には、「自分は無力で小さな存在なのだ」というエゴの劣等感や卑小感があるからです。その無意識のエゴに気がつかないかぎり、プロとしての成長は、かならず壁に突き当たります。

 そして、この「操作主義」と一対のものとして存在するのが「寂しい人間観」です。「人間なんて、所詮、金で動くんだ」「褒めてやれば、喜ぶんだ」「結局、みんな、自分が可愛いんだ」といった寂しい人間観が、世の中に溢れています。しかし、こうした「寂しい人間観」に染まった瞬間に、やはり、我々のプロとしての成長は止まってしまいます。

 だから、こうした「操作主義」や「寂しい人間観に染まらないためにも、我々は深い「仕事の思想」を身につけなければならないのです。

 そして、確固とした「仕事の思想」を身につけたとき、それは、実社会の「荒波」に流されないための、重い「錨」になっていくのです。

第2の言葉

「働く」とは、「傍」を「楽」にすること

 では、「働く」とは何か。

 いま世の中に溢れる誤解は、働くとは、人材市場で自分の「労働力」を売ることだという思い込みです。いま、多くの人々が、そう思い込んでいます。

 これは、すべてを「商品」としてしまう資本主義の原理が、我々の無意識の価値観に浸透しているからです。しかし、人間は決して「商品」ではありません。それぞれが、かけがえのない人生を生きている大切な「存在」です。

 そうした「深みのある人間観」を持つか否か、それは、いつか、皆さんがマネジャーになったとき、部下に対する姿勢として現れてしまいます。

 例えば、「今度、ランチをごちそうするから残業してくれないか」「ボーナスを上げるから、がんばれ」といった言葉。

 上司の何気ない言葉ですが、無意識に、部下は、食事や給料などの報酬で動くものと思い込んでいます。実は、部下が求めているものは、「働き甲斐」や「上司との共感」なのですが、それに気がつかないのです。

皆さんが入社して最初に得る報酬は、給与ではない

 では、「働き甲斐」とは何か。

 実は、日本語の「働く」という言葉は、素晴らしい言葉なのです。

 なぜなら、「働く」とは、「傍」を「楽」にするという意味だからです。英語の「labor」に含まれる「苦役」という意味はありません。

 従って、「自分の働きが、誰かを楽にできる」「自分の仕事が、誰かを幸せにできる」ということの喜びが、「働き甲斐」という言葉の意味なのです。

 そして、この「働き甲斐」とは、それ自身が素晴らしい報酬です。だから、皆さんが就職して最初に得る報酬は、初めての「給与」ではありません。

 例えば、入社して、最初に配属された部署で、上司や先輩から仕事を頼まれる。皆さんが、その仕事を終えたとき、上司や先輩から「ありがとう。助かったよ」と言葉をかけられる。そう言われたとき、皆さんは、素直に「上司や先輩の役に立てた」と、喜びを感じるはずです。そして、それこそが、仕事の最初の報酬であり、働くことの原点なのです。

 そして、この「働き甲斐」は、かならず「生き甲斐」にもつながっていきます。

 なぜなら、我々人間は、心の奥深くで、「自分という存在に、果たして意味があるのだろうか」という問いを抱いているからです。我々は、この人生を自分で選んで生まれてきたわけではない。気がつけば、この人生が与えられていた。その自分の人生に、何かの意味や価値があるのだろうか。その思いを深く抱いています。

 そうした我々にとって、「自分という存在が、誰かを幸せにした」という喜びは、人間の本源的な喜びであり、我々の生き甲斐となっていくのです。

第3の言葉

「目に見える報酬」だけでなく、

「目に見えない報酬」を見つめよ

 その意味で、「仕事の報酬とは何か」という問いも、「仕事の思想」を定めていくために、大切な問いです。

 実は、仕事の報酬には、二種類の報酬があります。「目に見える報酬」と「目に見えない報酬」です。

 「目に見える報酬」とは、

(1)給料や年収

(2)役職や地位

「目に見えない報酬」とは、

(1)仕事の働き甲斐

(2)職業人としての能力

(3)人間としての成長

(4)素晴らしい人々との巡り会い

です。

 そして、皆さんが、本当のプロフェッショナルをめざすならば、この「目に見えない四つの報酬」をこそ、しっかりと見つめていただきたいのです。

第4の言葉

「働き甲斐」とは、

仲間と共に増やしていける「プラスサムの報酬」

 第一の「仕事の働き甲斐」が、なぜ報酬であるかについては、すでに述べました。もとより、プロフェッショナルの世界には、「仕事の報酬は仕事だ」という名言がありますが、「働き甲斐」とは、それ自身が素晴らしい報酬なのです。

 そして、この「働き甲斐」という報酬を求めて働くとき、この報酬は、不思議なことに、能力、成長、巡り会い、給料や年収、役職や地位など、他のすべての報酬を引き寄せるのです。

 先ほど、報酬には、

(1)「目に見える報酬」

(2)「目に見えない報酬」

の二つがあると述べましたが、実は、報酬には、もう一つの分類があります。

(1)「自ら求めるべき報酬」

(2)「結果として与えられる報酬」

という二つです。

 そして、働き甲斐、能力、成長、巡り会いは、「自ら求めるべき報酬」であり、意欲的に「この報酬を得たい」と考え、工夫し、努力して獲得すべき報酬です。

 これに対して、給料や年収、役職や地位は、「結果として与えられる報酬」であり、「自ら求めるべき報酬」を得ていると、自然に与えられるものです。逆に、この二つの報酬にこだわりすぎると、働き甲斐や、能力、成長、巡り会いという報酬は逃げていきます。そして、皮肉なことに、給料や年収、役職や地位そのものも、逃げていきます。

年収や地位は、「結果として与えられる報酬」

 そして、もう一つ。仕事の報酬には、

(1)「ゼロサムの報酬」

(2)「プラスサムの報酬」

その二つがあります。

「ゼロサムの報酬」とは、報酬の全体量が決まっていて、誰かがその報酬を得ると、誰かの報酬が減るという性質の報酬のことです。そして、給料やボーナスは、配分の全体額が決まっているため、ゼロサムの報酬であり、役職やポジションも、誰かがそれを得ると、誰かはそれを得られない、ゼロサムの報酬です。

 これに対して「プラスサムの報酬」とは、職場の仲間が力を合わせて増やしていける報酬であり、働き甲斐、能力、成長、巡り会いなどは、すべて、この「プラスサムの報酬」です。

 例えば、職場の中心にいるマネジャーが、仕事に働き甲斐を感じて、わくわくと仕事をしていると、自然に、部下も働き甲斐を感じて、生き生きと働けるようになります。働き甲斐は、「伝染」するからです。

 また、職場に、腕を磨こうと工夫をする若手がいると、隣にいる若手も刺激されて、腕を磨くようになります。

 このように、働き甲斐、能力、成長、巡り会いといった報酬は、職場の仲間で力を合わせて増やしていける報酬であり、マネジャーの裁量で、自由に部下に与えることのできる報酬なのです。

 そして、職場の仲間が心を一つにして仕事に働き甲斐を感じ、腕を磨いていく職場は、自然に仕事の成果も上がります。従って、結果として給料も上がり、役職も与えられていくでしょう。

第5の言葉

真のプロフェッショナルは、

「腕を磨く」ことそのものを、喜びとする

 では、「職業人としての能力」が、なぜ、仕事の報酬なのか。

 この問いに対して、しばしば世の中で語られるのが、「腕を磨くと商品価値が上がり、結果として年収も上がる」という言葉です。

 しかし、「自分の商品価値を上げよう」という発想だけでは、決して、本当に腕を磨くことはできません。一流のプロになることはできません。

 なぜなら、プロが腕を磨く瞬間というのは、仕事に全身全霊で没頭し、「寝食忘れて」「寝ても覚めても」「一心不乱」「無我夢中」という体験をしているときだからです。

 人間とは、そうした形で自分の能力の限界に挑戦しているときに、本当に腕が磨かれるのであり、「自分の商品価値を上げるため」という程度の覚悟では、そうした限界への挑戦はできず、決して、一流のプロフェッショナルになることはできないのです。

プロフェッショナルが腕を磨くのは、「傍」を「楽」にするため

 では、なぜプロフェッショナルは、その極限にまで挑戦して、腕を磨くのか。

 二つの理由があります。

 第一の理由は、文字通り、「傍」を「楽」にするためです。

 医者であれば、患者を治してあげたいという思い。音楽家であれば、聴衆に素晴らしい演奏を聴かせてあげたいという思い。ビジネスパーソンであれば、顧客に最高のサービスを届けたいという思い。それがあるから、腕を磨き続けるのです。そして、腕を磨いた結果、傍を楽にできたとき、プロフェッショナルは、「働き甲斐」という素晴らしい報酬を得るのです。

 第二の理由は、一流のプロフェッショナルにとっては、「腕を磨く」ことそのものが、最高の喜びであり、報酬だからです。

 かつて、大リーグのイチロー選手が262安打を達成したときのインタビューは印象的でした。「次の目標は」と聞かれて、「もっと野球がうまくなりたいですね」と答えました。また、かつて七冠を達成した将棋の羽生善治棋士も、「何を求めて」と聞かれ、「歴史に残る棋譜を求めて」と答えました。

 彼らは、「腕を磨く」ことそのものを、最高の報酬と思っているのです。

第6の言葉

「腕」を磨き続けると、

かならず、「人間」も磨かれていく

 では、「人間としての成長」という報酬は、いかにして得ることができるのか。

 実は、「腕」を磨いていくと、かならず「人間」が磨かれます。なぜなら「腕」だけを磨いていると、かならず壁に突き当るからです。いわゆる「スキル倒れ」と呼ばれる状態です。

 例えば、ある若手が顧客の前でプレゼンテーションを行う。パワーポイントも見事に使いこなし、よく通る声で、理路整然と商品の説明をすることができた。しかし、なぜか顧客の気持ちが離れていく…。

 こうしたことが、なぜ起こるのか。

 それは、この若手が「操作主義」と「無意識の傲慢」に陥っているからです。

 「このプレゼンで顧客を説得して、商品を買わせてやろう」という「操作主義」。「皆さんはご存じないでしょうが、私はプロですから…」と教えてやろうとする「無意識の傲慢」。

 顧客は、こうした操作主義や傲慢さを敏感に感じ取り、この若手から心が離れていくのです。

人間としての成長は、決して失われることのない報酬

 それゆえ、こうした壁や失敗を通じて、我々は学んでいきます。プロフェッショナルの力量とは、スキル、センス、テクニック、ノウハウなどの「技術」だけでなく、マインド、ハート、スピリット、パーソナリティなどの「心得」が大切であることを学ぶのです。

 これが、「腕」を磨き続けると、かならず「人間」も磨かれていく、ということの意味です。

 一流のプロフェッショナルは、例外なく、仕事における「心得」や「心構え」、「心の姿勢」や「心の置き所」が素晴らしい。そして、一流のプロフェッショナルは、パーソナリティが素晴らしい。だから、周りに多くの人が集まり、智恵が集まり、機会が集まってくるのです。

 そして、この「人間としての成長」とは、仕事の最高の報酬です。なぜなら、それは、生涯、決して失われることのない報酬だからです。

第7の言葉

仕事で巡り会う人々は、人生における「深い縁」を得た人々

 では、「素晴らしい人々との巡り会い」が、なぜ、仕事の報酬なのか。

 皆さんが、職業人としての道を歩み、何年もの歳月を経たとき、いつか、それが素晴らしい報酬であることに気がつかれるでしょう。

 しかし、その報酬を得るために大切な心得があります。

 仕事で巡り会う人々は、人生における「深い縁」を得た人々。

 そう思い定めることです。

 もし我々が、「操作主義」に染まってしまうと、仕事で出会う顧客は、「商品を売りつける対象」にしか見えなくなります。また、自分の部下は、「仕事の目標を達成するための道具」にしか見えなくなってしまいます。

 しかし、もし、仕事で巡り会う顧客や社外のパートナー、そして、職場を共にする仲間や部下は「深い縁を得た人々」だという覚悟を持つならば、仕事の風景がまったく違って見えてきます。

 そして、顧客と初めて巡り会ったとき、「ああ、有り難いご縁をいただいた」と心の深くで思うならば、不思議なことに、黙っていても、その思いは、顧客に伝わります。

 また、入社して職場に配属になったとき、「この部署に配属になったのは、何かのご縁だ。そこには、きっと深い意味がある」と思えるならば、それからの職場生活は、豊かなものなっていくでしょう。

 職場の仲間は、いずれ、お互いに不完全な人間同士です。互いの欠点が目につくこともあるでしょう。しかし、「だから、お互いに成長するために、巡り会ったのだ」と思えるならば、豊かな人間関係を築いていけるでしょう。

職場での巡り会いは、人生のおける「奇跡の一瞬」

 職場において、互いに一生懸命に仕事に取り組んでいると、ときに互いの心がぶつかるときがあります。しかし、そうしてぶつかったとき、互いに心を開き、歩み寄り、理解しあおうと努めるならば、なぜか、それまでよりも互いの心が深く結びついていることに気がつきます。そして、お互いに人間として成長していることに気がつきます。

 そして、その職場の仲間とは、何年もの歳月の歩みのなかで、いつか、「君とは、よくぶつかった。けれど、巡り会えて良かった」と語り合える素晴らしい仲間になっていけるのです。

 実は、そうした葛藤と格闘のなかから生まれてくる「心を一つにした職場の仲間」もまた、仕事の素晴らしい報酬なのです。

 なぜなら、我々の人生のなかで、仕事で真剣にぶつかったり、心を通わせたりできる巡り会いは、決して多くはないからです。

 いま、この瞬間に、この地球上には70億の人々が生きている。けれども、我々が、その人生において巡り会える人は、実は、ごく一握りなのです。

 そして、我々は、百年にも満たない「一瞬の人生」を駆け抜けていく。その互いの「一瞬の人生」が重なる場所、それが職場なのです。

 だから、それは、「一瞬」と「一瞬」が交わる、「奇跡の一瞬」。

 皆さんは、これから実社会に出て、様々な職場で、新たな人生をスタートするでしょう。そのとき、思い出してください。

 職場の仲間との巡り会いは、単なる偶然ではない。それは、深い意味を持った「奇跡の巡り会い」なのです。

 そして、その仲間と、ときにぶつかり、ときに喜びを分かちあいながら、何年かの歳月を歩むとき、いつか、それが「素晴らしい仲間」になっている。

 いつか、我々の人生が終わりを迎えるとき、その道を振り返り、「ああ、あの仲間と巡り会えて良かった」と思えること。それは、人生における最高の喜びなのです。

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1999年12月に上梓した著書、

『仕事の思想』では、

思想、成長、目標、顧客、共感、格闘、地位、友人、仲間、未来

という10のキーワードを取り上げ、語りました。

また、2003年2月に上梓した著書、

『仕事の報酬とは何か』では、「目に見えない三つの報酬」について、

詳しく語っています。

興味のある方は、お読みください。

『仕事の思想』

https://www.amazon.co.jp/dp/4569660150/

『仕事の報酬とは何か』

https://www.amazon.co.jp/dp/4569670660/