会見した名力士・松鳳山の引退で改めて焦点化した大相撲年寄名跡不足問題の根底
大相撲の元小結・松鳳山が引退を表明した際に驚きの声が挙がりました。幕内在位51場所の名力士なのに親方とならず角界を去るというからです。28日の会見で明かした心境では本人に指導者となる気がなかったとのこと。第二の人生に幸あれと願う一方で、「それはそれとしてやはり……」と好角家が気にするのが近年不足気味とされる年寄名跡について。背景を分析します。
3パターンある襲名の現役実績
引退する力士が協会の正規指導者=親方となるには105ある年寄名跡を襲名しなければなりません。定年は1961年から65歳。現在、多くの企業の定年が60歳で、公的年金の受給開始が原則65歳からというのを考え合わせると相当恵まれています。
30歳を過ぎたらベテランと呼ばれる世界での65歳までの安定した生活保障は他のメジャースポーツにはみられない仕組みです。取得条件が現役時代の成績で決められているのも大きな特長。やさしい順に列挙すると、
①現存する相撲部屋を師匠として継承できる
1)幕内在位通算12場所以上
2)十両以上の在位通算20場所以上
のいずれか。
②部屋付き親方になれる
1)小結以上を務めた
2)幕内在位通算20場所以上
3)十両以上在位通算30場所以上(※例外あり)
のいずれか。
③新しく相撲部屋を興して師匠になれる
1)横綱・大関の経験者
2)関脇・小結在位通算25場所以上
3)幕内在位通算60場所以上
のいずれか。
となっています。スタンダードなのは②。①が②よりやさしくなっているのは継承者がいなくて「部屋取り潰し」となる弊害を勘案しているからです。
松鳳山の最高位は小結で幕内在位だけで51場所を数えるので②のすべての条件をクリア。だから角界を去るという選択が意外だったのです。
「親方になりたくてなれない」から「やむを得ず就任」まで
襲名の際に特徴的なのは現役引退から継ぎ目なしとしなければならないという点。いったん引退して日を置いてから名乗るというのが許されません。例外は横綱と大関で、それぞれ5年と3年、引退から現役時のしこ名を年寄名として使用できます。現在は元横綱の鶴竜が行使している権利です。
105の名跡は引退したタイミングで空いていたり詰まっていたり。後者だと協会に残るべき逸材でも去らなければなりません。反対に「空いては困る」といった事態も。例えば部屋持ち親方が急に亡くなるなどして後継ぎの手当が不可欠となった場合、部屋所属の現役力士が、まだ余力があるにも関わらず引退を迫られて襲名するケースが過去に見受けられました。
さらにややこしくする「一門」の存在
というわけで親方になれる=年寄名跡が襲名できるかどうかは多分にタイミングです。ただし単純な「105の椅子取りゲーム」でもなく「一門」という変数が加わります。ある種の派閥で現在は5つを数えます。協会の経営陣に相当する理事のうち10人は年寄から選考され、一門の規模(ほぼイコール年寄の数)によって何人と事実上決まっているのです。ですから名跡が一門外に流出するのをどこも極端に嫌い、襲名にあたっては自身の所属した部屋の一門で空いている名跡をあてがわれるのがしきたりとなっています。
松鳳山でシミュレーションすると放駒部屋所属で二所ノ関一門。現時点で誰も襲名していない空き株は2つあるも、いずれも別の一門です。
「一時的襲名」との抜け穴にも限界が
年寄名跡の所有者が現役力士や退職者およびその遺族という場合、「一時的襲名」の名目で実質的に借りる方法もあります。現在8件。ただし既に借りている元力士がいて新たな者が借りようとすれば現在の借主は協会を去らなければいけなくなる公算が高まります。「一時的襲名」者の過去の実績や一門内での地位などとの比較で「追い出し」になりかねない変更は容易でありません。
すでに存在しない70歳まで再雇用する理由
今後若手が襲名できなくなる恐れとして最近指摘されるのが再雇用制度。2014年から始まっていて65歳定年後も希望すれば70歳まで雇われるのを可能としました。
問題は再雇用の条件が「年寄名跡を保持する」とした点。105は変わらないので事実上5年間、新陳代謝が遅れるようになったのです。
なぜ導入されたかというと理由は主に2つ。1つは指導者不足を心配した、もう1つは別段の問題が生じないと判断した、です。
1つ目は当時、モンゴル勢を中心とした外国人力士が土俵を席巻しており、名跡襲名は日本国籍が不可欠なため、将来、親方になれる母数が減ると懸念されたからです。当時の現役外国人力士のうち日本国籍を得ていたのは元関脇の旭天鵬(現大島親方)のみでした。
2つ目は当時、11もの空き株があって将来的な不足に現実味がなかったからです。
ただこの理由は今や疑わしい。現在、外国出身で日本国籍を得て親方となっているのは借株や現役名の年寄を名乗った者も含めて再雇用制度発足以降で旭天鵬も加えて7人。現役力士で国籍取得済みの外国出身力士の襲名有資格者も横綱照ノ富士を筆頭に4人。前提が崩れています。空き株の余裕がなくなったのは前述の通り。
再雇用された年寄の身分は「参与」で部屋経営はできないし役職もなし。いわば顧問のような立場です。にも関わらず名跡保持を義務化する理由があるのか再検討すべきでしょう。再雇用者の年収は約1000万円。金額の妥当性はともかく、これだけの処遇を捨てる=名跡を譲る勇気はなかなか本人から出ないでしょうし。
白鵬が親方になれたのは多分に偶然
現時点での再雇用者は6人。空き株2つおよび貸株のうち3つの所有者も再雇用申請者。14年当時の空き株の余裕を食い潰す形となっています。松鳳山が属する二所一門の再雇用者は実に6人中4人。仮に彼がその気であったとして単なる数合わせで考えると再雇用制度がなかったか、あっても名跡維持を義務としていなければ十分に継げた計算です。
似たような問題はすでにさまざまな形で表出しています。史上最多優勝記録を持つ元横綱白鵬は19年9月に国籍を取得した時点で名跡の手当がつかず、21年9月の引退時に「間垣」が襲名できました。「間垣」株は元所有者の早世などがあって偶然空いており、それがなかったら協会を去る可能性まであったのです。
白鵬の所属する部屋の宮城野親方の定年(65歳)は22年8月。仮に再雇用制度がなければ白鵬は「間垣」株の手当をせずとも横綱特権である5年間の現役名年寄となって1年後に「宮城野」襲名が可能でしたが、現宮城野が再雇用を選択したら満了以前に5年が経過してしまいます。
どうなる鶴竜親方
目下「今後どうなるのか」と心配されているのが鶴竜親方。21年3月の引退時点で名跡が継げずに横綱特権の5年間の現役名年寄となって1年経過。後4年で何とかしなければなりません。
彼は井筒部屋に入門し(引退時は陸奥部屋)、年寄「井筒」は先代の死去で遺族が所有しています。ならば継げばいいとはならないのが辛いところ。現在は元関脇の豊ノ島が借株しています。彼は幕内在位通算71場所と最も難しい「③新しく相撲部屋を興して師匠になれる」資格までクリアしており、元横綱といえども「出ていって下さい」では片付きません。
加えて所有者の遺族(元井筒親方の娘さん)が現役の志摩ノ海関と結婚したからさらにややこしくなります。
井筒は時津風一門。再雇用がなければ陸奥部屋付きの立田山親方が22年6月に定年でしたから継げたのですが再雇用となって5年延長。師匠の陸奥親方も24年定年で再雇用されればプラス5年。鶴竜親方は期限切れとなる恐れが出てきました。立田山を継ぐにしても約1年間は誰かの借株でしのぐしかなさそうです。