ミャンマーのクーデター(上)「護憲クーデター」演出で軍が守り抜きたい「タンシュエの安全装置」

抗議するミャンマー国民(写真:ロイター/アフロ)

 2月1日、ミャンマー国軍は非常事態宣言の発令を発表するとともに事実上の国政トップたるアウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領(元首)らを拘束しました。軍トップのミンアウンフライン司令官が3権を掌握。

 ところで、この政変は世にも珍しい「護憲クーデター」です。通常のそれが民政を軍の実力でつぶしてよって立つ憲法も停止するものなので。背景には「08年憲法」という11年まで最高権力に君臨していたタンシュエ氏による「安全装置」を守りたい軍と順守しつつも否定したいのが本音の民政といったねじれた関係性が浮き彫りに。2回にわけて考察します。

クーデターでなく憲政下の正当行為と主張

 現状、軍の言い分は先の総選挙で認められた不正の調査をするためとし、憲法に基づく措置だと主張しています。現憲法(本稿では「08年憲法」とする)は軍が非常事態の際は全権を握れるのです(417条・418条など)。

 しかし08年憲法でも大統領職を剥奪できる権限を軍に与えておらずスーチー氏側も「クーデター」=違憲と主張しています。

 大方の見方では軍の主張は我田引水で「クーデター」以外の何ものでもないと冷淡。ただ、そうと切って捨ててしまうと却って事態の本質を見失ってしまう恐れがあるので本稿では敢えて軍の訴えに沿うところから始めます。

 「08年憲法」とは1992年より軍政をソウマウン氏から引き継いだタンシュエ国家平和発展評議会議長のもとで制定されました。齢70を超えて次世代へ引き継ぐにあたり、軍政を続行しつつ既に民主化の旗手として名が轟いていたアウンサンスーチーさんと彼女が率いる政党「国民民主連盟(NLD)」の影響力をなるべく削ぐような形での憲法制定を実現させたのです。

スーチー封じの条文と人事および10年総選挙

 新憲法には上記のような軍関与の条文のほか、国会議員の4分の1を軍人枠とし改正に必要な4分の3以上の賛成を得るのは実質的に軍の承諾が不可欠という構成とします。家族に外国籍がいる者は大統領になれないという縛りも設けました。スーチーさんはこの時点で夫とは死別していましたが子ともがイギリス国籍で、事実上、彼女の就任を阻む条項です。

 こうした安全装置を用意した上で10年に総選挙を実施して民政へ移管すると発表しました。

 総選挙は軍政と表裏一体の「連邦団結発展党」(USDP)が圧勝。タンシュエ議長は軍序列3位のトゥラシュエマン氏と4位のテインセイン氏を軍籍離脱後に同党から立候補させ(いずれも当選)、トゥラシュエマン氏は下院議長に就任しテインセイン氏は11年、タンシュエ議長から国家元首(大統領)の地位を譲られます。

 こうして議会と行政府を抑えた上で軍の方は50代前半と若いミンアウンフライン氏を司令官に引き上げて委ねたのです。

 一方、スーチーさんらNLDは軍政主導の08年憲法下での総選挙参加は、その正統性を認めるに等しいとボイコット。しかし結果的に親軍政党に「民政」を牛耳られる仕儀となり党内から不満も噴出しました。

15年総選挙と軍が政治に送り込んだ2人の退場

 選挙後にスーチーさんは長らくの軟禁から解放され、自身は08年憲法への不信を抱きつつもNLD躍進を最優先に12年の国会議員補欠選挙で当選。そして15年の総選挙で「憲法を民主的に変える」を公約として参加。NLDを大勝に導きました。規定により大統領になれない彼女は「国家顧問」としてウィンミン大統領の上に立つ実質的な国のトップとして今年1月までミャンマーを牽引してきたのです。

 一方、15年選挙で大敗したUSDPは深刻な事態へ陥ります。総選挙のガチ勝負を容認したテインセイン大統領は不出馬のまま引退。トゥラシュエマン氏も落選。「タンシュエの安全装置」が政治面で1つ瓦解しました。

議会の軍人枠を巡る攻防

 20年3月、NLDが議会で憲法改正案を持ち出して採決。スーチーさんが願ってやまない軍人枠削減は予想通り「4分の1の壁」に阻まれ頓挫したのですが、そうなるとわかり切っていての採決は同年11月の総選挙で「民主化を目指すNLDか軍政を残したいUSDPおよび軍人枠議員か」との争点を有権者へクッキリ示す思惑があったのでしょう。

 総選挙の結果はNLDが前回をやや上回る再びの圧勝。USDPは議席を減らします。もっともこの増減は大きな変化とはいえません。15年選挙でUSDPは十分少なくなっていたので。

 しかしこれで民意がNLDにあるのが一層ハッキリしたのも事実です。このままではまた同様の改憲案をNLDが示すのは確実で防波堤になるかも危うい小勢力のUSDPが軍にとって頼れないのが鮮明となりました。軍人枠という2つ目の「タンシュエの安全装置」すら失いかねない情勢と化したのです。

 今年半ばに定年のミンアウンフライン司令官の置かれた状況も微妙な影を落とします。軍は官僚組織でもあるので大統領など政治的権限を持たなければ次世代に替われと突き上げられるのは必至。そこで彼のなかに「軍服をスーツに着替える」必然が生じクーデターに走らせたのかもしれません。

護憲を唱える軍と改憲を狙う民政

 では何で選挙の不正調査といった、言っては悪いが「小ネタ」で転覆をはかったのか。それは08年憲法擁護という口実こそが非常事態宣言発令という最後の「タンシュエの安全装置」起動のために欠かせなかったから。かくして世にも珍しい「護憲クーデター」が現出しました。宣言は1年までというのも憲法の規定通り。

 もちろんスーチーさんは黙っていないしNLDを支持した国民も抗議しています。下手すると「だから08年憲法はダメなのだ」という軍が最も恐れる方向へ突進しかねません。といって護憲の御旗を掲げるクーデター勢力がむやみな取り締まりもできない。

 背景にはやはりスーチーさんという決定的なカリスマを反対者すら否定しきれないという同国特有の歴史や事情がありそうです。次回に述べてみます。