病床・保健所を削減しまくってきた理由と今後のあり方

余っている?足りない?(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 新型コロナウイルス感染症の再拡大が懸念されるなか、昨年まで進められてきた「病床削減」方針を見直そうという動きが出てきました。すでに削減されてきた保健所や感染症病床のあり方も問われています。もっとも一連の削減にも理はあったのです。増大する一方の医療費をどうするかという問いに新型ウイルスが示した「伝染病の脅威は去っていない」という警告を加えて我々はどうすべきでしょうか

病床が余りまくっているから減らすとの方針

 日本の病床数が多い理由として常にあげられるのが「社会的入院」と重症者用のベッドを軽症者が入院しているケースなどです。社会的入院は本当は自宅で暮らせる程度の傷病者が病院に入っている状態。一人暮らし世帯が増加して在宅だと面倒をみてくれる人がいないとか、公的医療制度のおかげで自己負担分が小さくて済むといからといった理由が考えられます。

 重症者病床の軽症者利用も「社会的入院」と密接に関係があります。余らせておくぐらいならば受け入れてしまおうという流れが指摘されてきました。

 その結果、日本の人口1000人当たりの病床数は13床を超えているのです。この値は欧州主要国(イギリス約2.5 スウェーデン約2.2)や制度こそ大きく異なるアメリカの約2.8と比較にならないほど多く、数字だけで見れば「日本は他の主要国と比べて病床がものすごく多い国」となります。

 ゆえに国は少しでも病床を削減して限りある医療費や医療資源(医師の数や負担など)を有効活用しようという方針を取り続けてきました。結果として病院の病床数は1992年の約169万床をピークに減少し、現在は14万床程度削られています。

 それでも過剰だというのが国の見方。焦りを募らせる最大の要因が第1次ベビーブーマー(1947年~49年生)全員が75歳以上になって社会保障制度の持続可能性がピンチに陥ると不安視される「2025年問題」の存在です。備えるべく16年度末までにまとめられた「地域医療構想」では「急性期」と「慢性期」のベッドが余剰でリハビリ中心の「回復期」が足りないと推定されました。

 急性期はさらに救命救急や集中治療などを要する「高度急性期機能」と急性状態を一般的な手術などで切り抜けて症状を安定化させる「急性期機能」に分かれます。「慢性期」とは長期療養が必要な患者を入院させる機能を必要とするパターン。厚生労働省は少子高齢化による人口構成を踏まえて若年層に目立つ(つまり少なくなる)「高度急性期」と「急性期」を減らし高齢者に多い(増える)手術後のリハビリなどを担う「回復期」を増やすという原則で調整し、全体像たる人口減少に対応して病床そのものを更に5万床程度少なくする方針を進めているのです。

不要と名指しされた病院がコロナ禍で活躍

 昨年9月、厚労省は思い切った判断を下しました。全国の公立・公的病院のうち診療実績が少ないとか近くに似た病院があるなど「再編・統合の検討が必要である」とした全国424病院の名前を公表したのです。結論を今年9月までに求めもしました。

 この「9月まで」の検討結果報告を延期したというのが先述の「見直し」です。まるで不要物のようにすら扱われた424病院の多くが感染症指定医療機関であり、地域における新型コロナウイルス感染症の手助けどころか「砦」の役割すら果たしているからです。赤字体質を指弾された公立病院の多くがコロナ禍のなか通常の診療を控えてまで、つまり赤字拡大を承知の上で感染症患者を引き受けている現状は経済合理性を旨とした削減の押しつけがいかに偏っていたかを如実に物語ります。

 日本の病床が多い(らしい?)理由の多くは民間病院の急増に求められます。保険診療の範囲で行う公定価格下だと民間は立地や人材確保、診療科目などで少しでも有利なポジションを取ろうとします。言い換えればそこからこぼれ落ちる方々を支えるのが公立・公的病院の主要な役割ですから赤字を努力不足と断じるような方向性の見直しが欠かせないと再認識させられた出来事でもあったのです。

 削減の方向にある機能に数えられる集中治療室(ICU)の病床が不足する可能性も日本集中治療医学会が今年4月に声明を出しました。機器が間に合ったとしても体制が追いつかない恐れが出ているようです。

簡単に区分できない「急性」と「回復」

 そもそも「地域医療構想」で示された4類型が実態を反映しているのかも疑問です。報道でも「病床」と「病棟」を同一視するような傾向があるのですが、果たしてそれでいいのでしょうか。

 一定規模以上の病院に入院した経験のある人は皆ご存じのように1つの病棟に急性期と慢性期、あるいは回復期が混在しているなど当たり前です。「再編・統合」とは主にハード面での推進です。救命救急科(高度救急機能)が置かれた病棟に回復期の病床が置かれていても何ら不自然ではありません。

 高齢者がバッタリ倒れていたとして親族などが救急車を呼んだ際、救急隊員で判断がつかなければ救命救急に直行してICU行き(高度急性)というケースは珍しくありません。診断の結果、大腿骨頸部骨折(高齢者に多い)が原因で頭を打って意識を一時的に失った、しかし脳に損傷はみられないとされれば多くは手術(急性)へと移行しましょう。

 その間にもさまざまな検査がなされ、他に問題がなければ回復期へと向かいますが、思わぬ疾病がみつかるかもしれません。そのたびごとに病棟が変わるかといえばそうでもないのです。特に急性期と回復期の境目は簡単にわかるのもではありません。

保健所削減と所長のなり手不足

 PCR検査は保健所を通さなければできない。だから検査数も少ないという批判はかねてよりなされてきました。ただその背景には保健所もまた減っているという事実が横たわっています。

 終戦直後の保健所法を1994年に改正、97年に全面施行された地域保健法を契機に保健所の数は往時の半数程度まで落ち込んでいます。仕事の多くが市町村に譲られ、数も減らすという内容でした。乳幼児の多死や結核を代表とする感染症から市民を守る地域公衆衛生の中心的役割を担ってきた保健所も衛生環境全体が改善され民間医療機関も発展するなど仕事が次第に少なくなって「役割を終えた」という声が出るほどヒマになったという時代背景があったようです。

 加えて保健所長を典型とする行政医師が慢性的に不足しはじめました。日本医師会などが長らく医師不足そのものを認めていなかったのもあり、せっかく医師免許を取得したのに行政組織(公務員)の一員に甘んじ、かつ医療法施行令が定める診療科名(内科、外科など)にも「公衆衛生科」などなく専門性も競えません。都道府県立の保健所は主に管理業務を担うと変更されていて臨床で腕を磨くのでも、研究に没頭するでもない行政医は不人気。全国保健所長会のwebサイトが自治体の「公衆衛生医師募集」を呼びかけているというのが実情です。

感染症病床減少も一理あり

 政府は新型コロナウイルス感染症を感染症法が定める「指定感染症」(2類相当)と決めています。患者に入院を勧告できるだけでなく強制入院の対象にもでき就業制限も可能。医療費は全額公費負担です。感染症病床を持つ「感染症指定医療機関」が主に対応すると決められています。

 全患者の症状や状況把握をスピーディーに行うためにも正しい治療を施すために当初こそ必要な措置ではあったでしょうけど最初の拡大期は感染症病床がひっ迫して医療崩壊が現実味を帯びて緊急事態宣言へとつながりました。

 実は感染症病床もまた減少されてきた歴史を持つのです。もっともコロナ禍以前の利用率は3~4%。要するにガラガラでした。

 2類はWHOが根絶計画を進めるポリオ(小児マヒなど)、ジフテリア、ヒトとヒトの間に感染すれば壊滅的被害が予測されるH5N1型鳥インフルエンザなどが指定されています。比較的発症例が認められる結核も2類ですが医療法上の分類では感染症病床とは別の結核病床に入院します。

 総合すると保健所や感染症病床の減少はそれなりの理があったとわかります。死に至る感染症は突出して多い季節性インフルエンザを除くと「ほぼ克服した」と勘違いしてもおかしくない状態が続いてきたから。

 予兆がなかったわけではありません。80年代後半に日本中を震撼させたHIV感染およびエイズの発症や02年から翌年にかけての重症急性呼吸器症候群(SARS)流行、WHOがパンデミック宣言まで出した09年の新型インフルエンザなど。ただこれらは感染経路が限定的であったり、日本での患者数や死者数が結果的に少数にとどまったまま収束したので何となくやり過ごしてきた感が残ります。新型コロナウイルス感染症は日本人に「人類は我々を征服していない」という当たり前の事実を残酷なまでにあらわに突きつけたのです。

まずは厚労省の縄張り根性の「削減」を

 だとしたら「恐怖の感染症は来る」という前提で備えを改めて考えなければならないという簡単なようで難しい課題でしょう。コロナ禍は不確実性が極めて高く今後の予測は困難ですが、仮に何とか克服できたという形が実現すれば再び感染症病床はガラガラとなり、保健所もヒマになります。一方で高齢化による医療費増大は確実に訪れるリスクであり続けるわけです。

 したがって未知のウイルスに対応するためだけに感染症病床や保健所を増やしていくというのは現実的とはいえません。同様の事態が発生した際にいかに柔軟な対応が取れるかが肝となります。その点で感染症法に基づく行政検査(PCR検査など)でなければいけないという古めかしい仕組みを国(特に厚労省)が見直すのが喫緊の課題です。

 今回でも、いかに遅くともPCR検査が保険適用された3月上旬以降は自治体や民間を含む医療体制が前面に出てテストを充実させられたはず。にも関わらず厚労省は保健所ルートに固執し、委託先の医療機関のハードルを下げません。こうした硬直した態勢を改めて「平時と有事」に機動的に対応できるよう改革が求められます。

 そもそも自治体などの公立・公的病院の再編や急性期機能の縮小、保健所や感染症病床の削減といった20年以上にも及ぶ戦略は主権者・国民の合意を十分に得てきたでしょうか。なるほど「平時」であれば合理性もありましょう。だからこそ「有事」の今こそ大いに国会などで議論すべきです。

 「平時」に戻れば、いかにも「不要不急」に映る存在ですから争点にもなりにくい。感染拡大でテーマとしては「不急」かもしれない半面でヒリつくような局面だからこそ「不要」どころか最大の国家課題として意見がぶつけられる、ある意味で絶対不可欠な話のはずです。

 背景を覆う社会保障費の増大も納税者たる主権者がもっと真剣に考え直す好機です。給付費のトップである年金保険はマクロ経済スライドの導入など抑制が働き始めています。未知の感染症対応のため予算はどのくらい是認されるべきか、仮に現方針を覆して金銭的なケアを充足させる方向へ舵を切るとしたら国家予算全体で何をどう手当てするかというところまで踏み込まなければなりますまい。