五輪延期を奇貨としてコロナ対応や改革をはかれないか

バッハと首相と百合子さん(写真:アフロ)

 3月30日、国際オリンピック委員会(IOC)は臨時理事会を開き、今夏からの延期が決まっている東京五輪の開催を21年7月23日と決めました。新型コロナウイルスの世界的大流行のなか「それどころではないだろう」との総ツッコミが入ったニュース。ただ詳細を追っていくとコロナ禍で隠された「五輪という病」が見えてきます。

なぜ「安倍・バッハ対談」で延期の概要が決まったのか

 延期そのものは22日、バッハIOC会長と森喜朗大会組織委員長との電話会談でバッハ氏から「中止はない」との回答を得、直後の臨時理事会で「大会の延期を含めた検討を始め、4週間以内に結論を出す」で確実視されました。

 五輪憲章は「オリンピアード競技大会はオリンピアードの最初の年に開催され」る(次は2020年)と明記しています。現状が憲章に定める「相互理解、平和共存を推進する」に値する環境なのかはいうまでもなく疑わしい。だとしたら「中止」は第一に浮上しましょう。IOCと東京都との「開催都市契約」でもIOCが「大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠」があると判断すればIOCに中止する権利を認めています。

 それを阻止するべく行われた「森・バッハ会談」を有効たらしめる根拠は何か。「開催都市契約」は「予見できなかった不当な困難が生じた場合、組織委はその状況において合理的な変更を考慮するようにIOCに要求できる」とあるので「これかな」と思ったのですが、バッハ氏から森会長へ連絡が入ったところから会談に切り替わったようで、そうでもなさそう。

 一層不可解なのが24日の「安倍・バッハ対談」です。安倍晋三首相が「1年程度の延長」を要請しバッハ氏の賛同を得ました。間を置かず30日の日程決定へと至ったのです。

 何が不可解かというと開催国とはいえ首相には五輪の開催日を話し合う当事者性がどこにも記されていない点です。バッハ会長が会談に応じ、踏み込んだ理由は何だったのでしょうか。

 考えられるのは1つしかありません。日本政府の言質を取りたかったのではないでしょうか。『読売新聞』(3月25日付朝刊)は「首相は2021年夏までに開催するとバッハ氏から言質を取ることに成功した」と報じました。逆では? 言質を取られたのは日本政府のような。

巨額の延期費用のツケは国民負担?

 延期となれば当然、予定通りだと発生しなかったカネがかかります。まず使用後にマンションや商業施設に生まれ変わる選手村の扱い。「開催都市契約」で「組織委は少なくとも1万6000人分の宿泊の提供を約束」させられていて完成目前です。

 他にもいったん押さえた会場代やチケットのキャンセル代と翌年の使用料、五輪に合わせて新設した施設の維持管理、仮設施設の扱い、1万人以上の警備員など臨時に増やした雇用や組織委のオフィス代をどうするかなど数千億円とも兆単位ともうわさされる費用をどう捻出するか。

 小池百合子都知事は記者会見でIOCにも相談すると述べています。まあ相談はいいとしてもIOCがカネを出す義理も決まりもありません。

 強いて談判すればIOCは「首相の要請で延期期間を決めたのですよね」と必ず持ち出すでしょう。結局は巡り巡って国民負担となりそうです。

 大会スポンサーも「1年後」どうなっているかわかりません。未曾有の不景気が生じる蓋然性が高いので大企業すら「それどころではなくなった」と降りるかも。

仮押さえした4万6千室を療養施設に

 でもまあ悪いばかりでもありません。20年の大会がなくなったら今年使用予定の施設がコロナ対策に使えるわけで。折しも病床不足から軽症者の療養施設としてホテルなどを活用する政府方針が出されました。早くも完成目前で今年は誰も使わない選手村を活用しようというアイデアが浮上。大変よいことです。

 まだあります。組織委は大会関係者の宿泊でホテルなど約4万6000室を仮押さえしているはずです。つい最近まで本気で今年7月にやるつもりだったのだから契約は生きている可能性が高い。しかも7日に出された緊急事態宣言は臨時医療施設の土地・建物を強制使用できます。組織委はこの4万6000室がどうなっているか早急に明らかとし窮地に役立てるべきです。

「スポーツの祭典」と異なるコロナ渦でのオリンピズム

 五輪は単なる運動会ではありません。「平和な社会の推進を目指す」オリンピズムの精神を根本とする「オリンピック・ムーブメント」の「頂点」として「競技大会」がなされるので(五輪憲章より)。本来は「スポーツの祭典」ではないのです。

 憲章はスポーツを「人権の1つ」とし「すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく競技機会を与えられる」と約束します。

 差別を認めず、相互理解、平和共存を推進するという思想は人間同士が分断され、憎しみ合い、果ては戦争に至るといった悲惨さへのアンチテーゼです。ところが今回のコロナ禍は1人1人が感染する危険と感染させる加害的側面を合わせ持ち学校の休業など、一定期間触れ合わないというのが「相互理解、平和共存」に必要。

 圧制下の旧東独で育ったメルケル首相でさえ強制的措置を「民主主義下で決して安易に決められない」けれど「生命を守るため、今は不可欠」と訴えているほどです。五輪と奇しくも目的は一致しても対処が正反対となります。

 人と触れ合わずに感染を避け、重症者に医療が行き渡るよう配慮し、各国首脳らが「戦争」ととらえる事態に立ち向かっている……。今こそ「人権」「相互理解」「平和」を深慮する時です。アスリートが室内や庭先、屋外のスポーツ施設などで可能なトレーニング方法をネットなどで一斉に披露し、伝染病に立ち向かう連帯のメッセージを添えるという形で「2020年東京五輪」としてもよかったのではないでしょうか。

神頼みの延期

 憲章は「政治的に中立でなければならない」し大会も「選手の競技であり、国家の競争ではない」と明記。主催するIOCなどは国別ランキングの公表を禁じられています。

 しかし、これがみごとな建前に堕しているのは周知の通り。実態としてはカネもうけの道具となっているのです。東京都五輪・パラリンピック事務局の試算だと東京大会の経済効果は「直接的」よりはるかに「レガシー(遺産)効果」が大きいとそろばんをはじいています。ただ試算は経済成長率の変動を考慮していません。

 新型コロナウイルスの大流行で全世界の経済が少なくとも病が収束するメドがみえるまで大打撃を受けるのは必至です。しかもいつ収まるのか誰にもわかりません。そんななか21年7月開催を決めていいのでしょうか。今からたった1年半もなく、現在の季節性インフルエンザと同程度にワクチンが接種できる環境が整うとは到底思えないのです。

 大会が実施されたら内外から約1千万人が東京へと集う予定。現状では悪夢とさえいっていいでしょう。

考える時間を得たレガシーコスト対策

 そうでなくても都などがはじく「レガシー効果」はコロナ禍以前から疑われていました。新設された会場の活用やイベントの盛り上がりなどを見込んでいるも、維持費年間24億円のメドが全然たっていない新国立競技場を始め、水泳の東京アクアティックスセンター、カヌースプリントの海の森水上競技場、同スラロームセンター、サッカーや野球場で親しまれていた2つの球技場をつぶして作った大井ホッケー場など軒並み赤字予測。

 スラロームセンターは人工水流です。天然の環境で主に夏場に営まれているカヌーの「遺産」になるとは信じられません。スキーブーム真っ盛りに作られた人工スキー場「ザウス」(千葉県船橋市)でさえうまくいかなかったのに。

 唯一有望視されているバレーボールの「有明アリーナ」(東京都江東区)さえ都は「大会後は民間に任せてコンサート会場に……」などと新国立と同じような「あいまいなバラ色」を唱えている始末です。本来はそんなこんなを1964年と同じく熱狂の渦と一時の好況で立ち消えさせ「わが亡き後に洪水は来たれ」戦法であったでしょう。それは消え去りました。同じレガシーでも「レガシーコスト」(しがらみから生じる負の遺産)の方ではないかとすら思えます。

 大きな不景気のさなかか後遺症さめやらぬ中で開かれるであろう21年大会に夢をもう一度を託すのは荷が重すぎるのです。この際、時間が出来たのだから見直したいところですね。

競技団体の分配金は視聴率に応じた傾斜配分

 延期とはいえ酷暑に大会が開かれる理由として数千億円の巨額独占放映権料を支払っている米テレビ局「NBCユニバーサル」の意向が大きいのは知られた話です。米4大プロスポーツのうち野球以外は秋-冬か秋-春日程。4大大会中3つがアメリカ開催のゴルフは4月から6月と視聴率が見込めるコンテンツが薄いのは真夏しかありません。唯一シーズン中の野球(メジャーリーグ・ベースボール)が五輪への選手派遣に極めて消極的で正式種目から外されたのも納得できます。

 なぜ真夏があくかというとスポーツにふさわしい環境ではないから。その期間を埋めるイベントならばカネを出しましょうというわけです。

 この放映権料こそIOCを支える基盤……否、ほとんどといっても過言ではありません。ここから入る収入が多くの各国際競技連盟(IF)を支えているという構図なのです。近年はIFへの分配金が五輪視聴率に応じた傾斜配分となっていて各団体がスポーツ本来の面白さや意義より視聴者獲得を意図したルールの変更にまで及んでいます。「アスリート・ファースト」どころか逆行しているのです。

 延長五輪がさっさと来夏へのスライドと決まったのは他に選択肢がなかったから。春はコロナ禍の余波が心配されるし秋は上記の理由で最初からあり得ません。NBCユニバーサルがほしいのは視聴率ですからIOCはもとより東京都、日本政府、組織委などがああだこうだとネゴすれば「では無観客で。うちは一向に構いませんよ」と切り替えされる恐れすら十分に考えられたのです。

個所に皆が集まる大会は時代遅れでは?

 そもそもスポーツのトップアスリートが一堂に会して短期間に本気の試合をするという現在の五輪を純粋な「スポーツの祭典」(前述のように五輪精神はそうではないが)として評価しても、そろそろ時代遅れではないかという疑念がわいてきます。

 米4大スポーツのうち夏季五輪に関わるのは野球とバスケットボールでIFと協調関係にあるといえるのはバスケのみ。そのバスケを含むいくつかのスポーツは既に五輪を最高峰とみなしていません。ゴルフ(特に男子)、サッカー(男子)、テニス(男女)など。

 他に陸上や水泳といったアメリカでも人気を博す競技は最近、単独の世界選手権の人気が高まっています。どちらも参加国・地域が五輪並みに届き視聴率も好調。世界卓球のようにテレビ局=テレビ東京が放映を始めた際には目を疑うような低視聴率(テレ東基準でさえ)を記録するも、ここにきて優良コンテンツに育ってきたケースも認められるのです。

 五輪種目の根幹は欧州(特にイギリス)やアメリカで生まれた「近代スポーツ」が占めています。柔道を「日本のお家芸」と力むのも非欧米由来が珍しいから。「メダルに最も近い種目」といいつつ五輪以外のトップ大会は観客席もガラガラ。もし五輪を必要とするならば、こうした単独開催では注目されにくい競技を集めたらいいのではないでしょうか。統一地方選挙みたいに。ないしは注目度がどうしても下がりがちな女子スポーツをフィーチャーしたらどうか?

 もっとも米テレビ局から見向きもしなくなるのでカネ勘定で頭いっぱいのIOCがのむはずありませんが。何しろ、東京開催が決まった選考会で「10月開催」を掲げたドーハ(カタール)を1次選考で落とす組織です。他方、IOCは持続可能性を重視するとも強調しているから訳がわかりません。延期を奇貨として考え直す機会となれば幸いです。