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年金「財政検証」の「モデル世帯」は夢物語の与太話

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
魔法使いが叫んでいるぞ(写真:アフロ)

 国民年金や厚生年金などの「将来の公的年金の財政見通し」(財政検証)が8月27日に公表されました。厚生年金保険法および国民年金法の規定によって5年に1回は行われます。結論は「モデル世帯で経済成長と労働参加が進むケースでは所得代替率50%を確保」。めでたしめでたし……なのか?

国は約束を守れると豪語するも

 検証内容をざっくり箇条書きすると以下の通り。

・「所得代替率」とはモデル世帯が現役時代に得ていた手取り給付に対して何割受け取れるかを示す指標。50%超は国が約束している。それはかなうと。

・「経済成長と労働参加が進むケース」は6種類示された推計のうち比較的楽観的な3種類。そのなかで最も厳しい実質経済成長0.4%でも50%は大丈夫

・0.4%だと2047年に65歳に届く世代(1982年生まれ)で50.8%。

 比較的現実的な数値で計算しているのは評価できましょう。ただ問題はすべての前提となっている「モデル世帯」の正体。控えめにいっても「あり得ない」のです。以下に紹介します。

女性は20歳で結婚して40年専業主婦

 モデル世帯とは「40年間会社に勤め平均的な収入を続けた夫と、40年間専業主婦の妻の世帯」です。まあこの時点で突っ込みどころ満載なのですけど、なかでも「あり得ない」のが「40年間専業主婦」でしょう。高年齢者雇用安定法で定年は「60歳を下回ることはできない」と定めるので現在たいていは60歳。とすると20歳で結婚していなければなりません。そのような方が回りにいますか?

 現在の女性の平均初婚年齢は約30歳。内閣府の統計によると最初の1908年(何と明治41年!)ですら22.9歳です。近年の晩婚化に基づくモデルの陳腐化などではなく当初から存在しない前提。うっかりとかつじつま合わせという以上の底意すら感じさせる設定といっても過言ではありません。

パートなどで1円も稼がず40年

 しかも「ずっと専業主婦であり続ける」(=決して賃金を受け取らない)という難度(?)の高さ。いわゆる第3号被保険者は夫の加入する年金保険で一括払いなので自らは保険料を納めなくても国民年金が受け取れます。年収130万円未満までだと3号が維持できるのは有名な話ですがモデル世帯の算出式に妻の収入がカウントされていないからゼロです。

 今時どころか既に1960年代後半から女性のパートタイマーという言葉が主に専業主婦を対象に用いられてきました。「夫は仕事。妻は専業主婦」というイメージが作られた高度成長期でさえ主婦層の短期労働は普遍的にみられました。というか、だからこそ「年収130万円未満」という概念が形成されたわけで。

 もし130万未満をモデル世帯で認めてしまうと夫婦の手取額は当然、夫のみの手取額より上回ります。言い換えると給付水準の算出で分母がふくらんでしまって代替率が下がる要因となるのです。だからゼロに設定しているのではないかと勘ぐられても仕方ありません。

 しかも検証の「労働参加が進む」という条件には女性が含まれているからムチャクチャです。一方で「20歳で結婚して以来いっさい賃金をもらわないで40年間専業主婦を務める」女性をモデルとしながら労働参加(ふつうは賃金をもらいますよね)も代替率維持の条件にしていますから。

男性=正社員で40年勤め上げる

 次に「40年間会社に勤め平均的な収入を続けた夫」の側です。そもそも「40年間会社に勤め」とは新卒以来一貫して同じ会社で定年まで働く正社員あたりが対象でしょう。非正規雇用が4割を占め、同一労働同一賃金が達成されていない日本で、こうした絵に描いた終身雇用がモデルたり得るとは思えません。

 もちろん転職しても継続して「平均的な収入を得」られればいいのですけど一部の高スキル保持者を除いて今のご時世なかなかそうは参りません。少なくとも「モデル」の対象ではありますまい。

 だいたい「40年間会社に勤め」たくても倒産したり大幅なリストラに踏み切ったらできません。「会社の寿命は30年」と『日経ビジネス』が主張したのが80年代。今はもっと短くなっているもようです。

男性年収は勤労者皆558万円

 もっと不可解なのは「平均的な収入」の額。今回の検証では「ボーナスを含めた平均手取り月額が35万7000円」としました。前回検証では34万8000円です。5年間で1万円ほどあがっているのはご愛敬として、今回の金額を年収に換算すると428万4000円。あくまでも手取りなので税や社会保険料もふくめた年収は約558万円となるのです。

 国税庁の民間給与実態統計調査によると2017年の男性の平均給与は532万円。……及ばない……。しかも大企業が700万円台と高水準で全体を引き上げていて、会社員の約7割を占める中小企業就業者はさらに安いのです。

 実際には新卒から定年までずっと手取り35万7000円という会社はないとしか思えないので年功序列が残っている企業ならば若いうちは抑えられて40代後半頃に充実してくるはずです。ところが今や定期昇給さえないのが当たり前で「テイショウって何」という時代。ベアなどもってのほか。年俸制が導入されてボーナスの概念も薄らいでいるご時世にもなっています。

 いろいろ述べましたが何も読んでいただかなくても「男性年収558万円がモデルであるぞ」と聞かされて「まあそんなところか」と納得する人や「月平均手取り35万7000円」を「なるほど」と得心される社員さんが圧倒的に多いとは信じられません。むしろ「違うだろ!」の方が常識的ですらありましょう。

別の国のおとぎ話

 こうなるとモデル世帯どころか悪い冗談、空想世帯、別の国のおとぎ話、架空の世界の物語と申し上げて何らおかしくありません。この世(少なくとも日本国)にほぼ存在しない設定をあろうことかモデル=標準として代替率は50%を守れそうだとか厳しいだとか議論する意味が果たしてあるでしょうか。男性=正社員ないし正職員で40年間勤め上げて月平均手取り35万円超。女性は20歳で結婚してビタ一文稼がない……。ないない。絶対に。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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