今年の「亥年選挙」とは何? 過去どうであったか

12年前の悪夢は繰り返せない(写真:ロイター/アフロ)

 2019年は4年に1度の統一地方選挙と改選3年の参議院議員選挙が重なる12年に一度の「亥年選挙」が行われる年。よく、国政選挙(衆参両院選挙)を底支えする地方議会議員が4月の統一選で疲弊して7月の参院選に十分な支援活動ができず、自民党が苦戦するなどといわれます。本当にそうなのでしょうか。過去を振り返ってみました。

一番苦しんだのは他ならぬ12年前の安倍首相

 現行憲法下での「亥年選挙」は1947年、59年、83年、95年、2007年の5回。ただ1947年は新憲法施行にともなう初の統一選(4月5日)と参院選(20日)および新制度下での総選挙(25日)と立て続けに行われた特殊なケースで参考としにくいため除外します。

 「亥年選挙がヤバい」へ文字通り当てはまるのが2007年。他ならぬ第1次安倍晋三政権のもとでした。統一選は道府県議選と政令指定都市議選で自民堅調ながら民主党が議席を伸ばして次第に二大政党への予兆を醸し出してきたのです。

 そして参院選(改選121)。自民は37議席に止まる歴史的惨敗を食らい民主党の60議席に大差をつけられただけでなく、非改選も含めて結党以来ずっと維持していた参院第1党まで民主へ譲る羽目へと陥りました。安倍首相は内閣を改造して求心力を保とうと腐心するも自らの体調不良も相まって9月12日に辞任の記者会見を行うに至るのです。

 今回の「亥年選挙」も安倍首相本人。本来ならば最も不吉な符丁といいたいところですが、大方の見方として「再来はない」。まず安倍首相自身、12年の再登板以降、自らの1次政権の失敗をむしろ奇貨として長期政権を築いてきたからです。その間、衆参両院の選挙で計4連勝。野党党首で臨んだ12年総選挙を含めれば5連勝です。

 07年の民主党に比するような野党も存在しません。最も高い支持を得ている立憲民主党でさえ道府県議は現有でわずか。猛烈な勢いで今後擁立できたとしても07年の民主当選375に遠く及ばなさそうです。

 参院選も現時点では焦点の改選1人区での与野党一騎打ち態勢すらまだ整っていません。油断は禁物ですが、どうやら安倍首相自身が体験した12年前の亥年選挙の悪夢をもう一度見る状況にはなっていません。

今と不気味な相似形をなす1971年

 むしろ相似形を求めるならば1971年でしょう。第3次佐藤栄作内閣の時です。

 この年までの政権の経緯は、

・1969年の衆議院議員総選挙で自民圧勝。3次政権へ

・1970年の自民党総裁選で勝利して4選

となっています。ちょうど、

・2017年の衆議院議員総選挙で自民完勝。4次政権へ

・2018年の自民党総裁選で勝利して3選

の安倍政権とそっくり。「アンポ」の声が響き渡った世相も通底します。

 71年の統一選は東京都知事選挙で美濃部亮吉知事再選、大阪で社共統一候補の黒田了一候補が知事初当選など大都市に反自民の傾向がうかがえるも総じて自民は堅調でした。参院選もさしたる逆風が吹くすう勢でないとの事前予測が強かったなか、自民がまさかの63議席(改選126)に沈みます。野党第1党の日本社会党にたいしたアドバンテージがなかったにも関わらず。

 長きにわたった佐藤政権への「倦み」「飽き」が原因ではなかったかとの分析がなされました。翌72年、佐藤政権は戦後最長の在任2798日で幕を閉じたのです。

 19年の安倍政権も順調にいけば8月23日に、この佐藤氏の記録に並びます。単に日数だけで比較すればその間にある参院選で「安倍さんには飽きた」という気持ちが有権者のなかで何となくわき上がり、それを71年の時のように党もマスコミも気づかないうちに予想外の参院選敗北となりかねません。

 そうでなくとも今年の改選を迎える6年前の参院選は自民だけで65議席(改選121)を獲得。自民単独与党の佐藤政権と異なり今は自公連立なので公明11議席を加えた76議席を占める圧勝劇だっただけに目減りするのは仕方ないと見立てられているので。

 17年総選挙直後に小泉進次郎自民党筆頭副幹事長(当時)がNHKの番組で「全国で感じたのは(政権への)飽き」と指摘しています。さらに2年弱たっての参院選ですからね。

 両者の違いといえば佐藤政権が総裁任期を翌年に控えていたのに対して安倍総裁は21年まで残している点。「まだまだやるぞ」と新味を打ち出して「倦み」「飽き」を払拭できるかがみどころです。

 ところで統一選で71年の「黒田大阪革新府政誕生」のような驚きが野党に演出できるか。予定されている10の道県知事選は自公が推す現職や新人と野党統一候補が激突するような構図は今のところ見出せません。ただいくつかは自民内で分裂する可能性があり(これも長期政権の緩みなのかもしれません)、そこに野党がつけ込んだり漁夫の利をせしめるといった荒技が発揮できるか。北海道だけが国政に転身した現職の後継と野党候補の一騎打ちがあるかも。また大阪府知事が辞職して統一選に加わってくる可能性が出てきたものの、構図は見慣れた「維新対自民」あたりでしょう。

祖父・岸信介首相の亥年

 1959年(第2次岸信介内閣)と95年(村山富市内閣)は亥年選挙の翌年に退陣しています。亥年そのものの経緯はどうであったかみてみます。

 59年当初の自民党総裁選で再選された岸政権は統一選で目玉の知事選ではライバル社会党に競り勝つも都道府県議会議員選挙では惜敗という痛み分け。近づく60年日米安全保障条約改定の是非を争点とした参院選も自社ともに勢力を保持した格好で終わります。岸政権は翌61年、新安保条約締結と引き換えるように総裁任期を余して退陣しました。

 安保改定を憲法改正に変えれば、あるいは安倍首相は祖父がたどった「この道」を選択するかもしれません。今月召集の通常国会の前半に予算を仕上げ、天皇陛下の退位と即位を見守った後の参院選前に「憲法改正」で勝負に出るかどうかです。

村山政権と中曽根政権の場合

 95年の亥年選挙は村山政権に打撃を与えたとはいえ、政権のあり方そのものが変則的なので「亥年現象」「亥年効果」として他と比較する価値があるかどうか微妙です。

 統一選では都知事選で青島幸男候補、大阪府知事選で横山ノック候補が政党相乗り候補を破って当選した「青島・ノック現象」が話題をさらいました。村山社会党委員長を自民が支える「自社さ連立」(「さ」は新党さきがけ)は細川護煕・羽田孜非自民連立政権からの奪還をはかった自民が非自民政権から離脱した宿敵・社会党を抱き込んで誕生させたウルトラCで特に社会党の変節に非難が集中しました。「青島・ノック現象」は自民も含めた既成政党への批判を強めた無党派層が反乱を起こしたと受け止められています。

 参院選も社会党は大敗。自民は改選組の89年に宇野宗佑首相で大敗していたのも手伝い回復したため「自社さで過半数」は成し遂げました。

 一方、非自民連立の流れを汲む新党「新進党」は時間がないのも手伝って統一選こそ十分な候すら立てられなかったけれども参院選では40議席獲得と躍進したのです。

 最後に紹介する亥年選挙は1983年の第1次中曽根康弘政権下です。前年11月に発足したばかりで統一選は北海道と福岡の両知事選で野党に苦杯を喫するも総じて堅調。参院選も自民微増で乗り切りました。

亥年現象とは本当にあるのか

 こうみると「亥年選挙」といっても自民が統一選で大敗した歴史はなく、参院選での与党苦戦は1971年、95年、2007年と3回数えるも95年は「社会党敗北」というのがより正しく、自民敗北は2回です。しかも理由が統一選での地方議員疲弊と明確に示せるエビデンスはなかなかみつかりません。