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「あの」富岡八幡宮へ初詣って大丈夫か

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
初詣でにぎわう富岡八幡宮(ペイレスイメージズ/アフロ)

 何ら問題ないと思います。周辺の門前仲町商店街(東京都江東区)の方々が心配しているそうなので、むしろ参った方が功徳になるかもしれません。

宮司といえども所詮人間

 「縁起でもない」と考えるのは周知の通り、宮司の女性が元宮司の弟(事件後死亡)に殺害された事件が12月に起きたためです。しかも現場の一部は境内など神域でした。とはいえ所詮は人間の業(ごう)に過ぎないともいえます。

 「宮司」という役職は神社の代表者。仕事柄、聖職者(神事を司る)であると同時に経営の責任者でもあります。殺害された女性は何度も宗教法人「神社本庁」(統括団体)へ宮司就任を要請するも認められず2017年に脱退して就いた経緯があります。本庁の判断理由はハッキリしません。ただ宮司という重職は一般に國學院大學神道文化学部(東京都渋谷区)か皇學館大学神道学科(三重県伊勢市)で学んでいて「院派」か「館派」と俗称されています。他方、富岡八幡宮は伝統的に富岡氏が継いでいて被害女性も一族でしたが神社本庁は世襲を条件としていません。おそらくこのあたりが真相ではないかと。

 対して弟は皇學館を出ており神社本庁が定める階級も持っていて過去に宮司を務めるも元宮司の父に解任されていました。いわば骨肉の争い。激しさに息を飲むけれども、やっぱり世俗のドロドロ話に過ぎません。

 神社で大切というか唯一の存在が祭神で、神道という我が国オリジナルの宗教の神々を祀る場所でもあります。聖典は『古事記』『日本書紀』(記紀)などで天皇家と、その祖先にあたる神々の物語が描かれているのです。富岡は名前の通り「八幡様」を祀っています。八幡とは神功皇后と子の応神天皇(古墳で有名)などを指します。古くから「戦の神」として源氏や後の将軍家に崇拝されました。というのも神功皇后が朝鮮半島に出兵して多大の戦果があったと記紀に記されているから。某新聞が「日本人は古代の朝鮮侵略を肯定した神話を八幡として今も信じている」などと書き立てたら第二の靖国問題が作れるかもしれませんね。

 宮司といっても単なる祭神に仕える人間に過ぎないし神の威光が陰るわけでもありません。ご心配なく。

神社でも寺でも構わない日本人

 「初詣は神社」と決まってもいません。多くの参拝者を集める成田山新勝寺(千葉県成田市)や浅草寺(東京都台東区)は寺院、つまり仏教です。インドに起源を持つ世界的宗教でエスニックな神道と本来まったく別。ところが今でも「神様仏様」と同一視するように古代から「似たようなものだ」という感覚がこの国では発達していきます。1つの宗教が分派して争う歴史は世界中に見られるけど別の宗教を一緒くたにできるのは日本人ぐらいでしょう。1868年の神仏分離令で隔てられて以降も国民のテンションが大きく変化したとはいい難いのです。

 寺だと除夜の鐘から継ぎ目なしで初詣になだれ込める分だけお得かもしれません。

祭神なんて知らなくて平気

 神社の祭神を意識しているかどうかも甚だ疑問。初詣客ナンバーワンの明治神宮(東京都渋谷区)の祭神はいうまでもなく明治天皇および昭憲皇太后ですが例えば「明治天皇に縁結び(お守りを売っています)を願ってどうする」などと突っ込みを入れる者など皆無でしょう。関西で人気トップの住吉大社(大阪市住吉区)に至っては祭神を言い当てられる人の方が少数では。別に何かを批判しているわけではありません。むしろ日本人のいいところだと筆者は考えています。

 この良い意味でのいい加減さは新勝寺や浅草寺にも当てはまります。新勝寺は真言宗智山派に属しますが「だから何」状態だし(信心深い人はごめんなさい)、浅草寺に至っては元の天台宗から分離独立して自らを総本山とする聖観音宗なる宗派となっています。貴乃花親方みたいですね。宗教が何たるを問わず供養してくれる(キリスト教もイスラム教もOK)という幅広さを誇っています。善光寺(長野市)や靖国神社(東京都千代田区)内の鎮霊社もそうした立ち位置です。

 初詣お楽しみの「おみくじ」も神社は違えど多くは山口県の「女子道社」製。明治神宮だと「おみくじ」でなくて「大御心」です。吉も凶もなく表は明治天皇と昭憲皇太后の金言で裏は「この大御心を身につけて――明るく楽しく勤めましょう」という文章でくくられた枠内に、金言の解説が書かれています。結び先もありません。

「怨霊」に立候補はありません

 さて富岡の事件では弟が「死後においてもこの世に残り、怨霊となり、祟り続けます」などと綴った手紙が見つかっています。不吉だととらえらそうですが、弟が怨霊になどなれるはずがありません。史上に名高い4大怨霊といえば菅原道真、平将門、早良親王、崇徳上皇でしょう。崇徳上皇は元天皇で保元の乱に関わった結果、配流の憂き目に遭いました。早良親王も皇族です。道真は臣下として事実上ナンバー2の右大臣まで上り詰めたのに左遷されました。

 いずれも「大変偉い人」にも関わらず気の毒な最期を遂げたと他者が認識し、死去後に天変地異や社会不安が相次いだので「怨霊」とみなされたのです。富岡事件の弟のように自ら怨霊になると「立候補」したわけではありません。事件まで彼を知る者すら少なかったでしょうから、史上の御三方とは生前のレベルが違うし弟を誰も気の毒に思わないでしょうから怨霊にはなれません。せいぜい地縛霊。それでも八幡宮で祟ろうとしたら祭神から瞬く間に処分されそうです。何しろ名うての軍神ですからね。

 無理やり似ているといえば将門でしょうか。彼の反乱は京都の貴族の感覚では今でいう「イスラム国」のようなものでした。一方で当時虐げられてきた武士階級や東国の民にとって大いに同情される部分があったのも事実です。私怨で姉を殺したのとはスケールも大義も違いすぎて比較になりません。やっぱり。

将門より怖いものなどないのだから

 怨霊と化しても日本では「祀って鎮めてしまう」という必殺技が繰り出されます。九州で初詣といえば、の太宰府天満宮(福岡県太宰府市)の祭神は菅原道真で、富岡の「深川八幡祭り」とともに江戸三大祭りに数えられる「神田祭」を催す神田明神(東京都千代田区)の祭神は平将門。祈りの姿勢と怖い存在に襲われそうになって「助けて」と懇願するポーズが似ているのもあってか「祀ってしまえ」というわけです。

 道真に至っては祟りが心配されなくなるほど月日が経って「はて?私は誰に何を祈っているのだ?(もう怖くないし)」という疑問に答えるべく再定義がなされます。道真は古代の官僚養成機関であった「大学」の主要四科目(四道)のうち歴史や漢詩文を学ぶ文章道(紀伝道)の博士(教官)であったのを思い出されて「学問の神様」へと一転しました。

 同じく怨霊の将門の調伏を由緒とする新勝寺と神と崇める神田明神の「どっちが正しい」争いまであります。でも熱心な檀家や氏子はともかく初詣は新勝寺に行って神田祭で御輿を見たり屋台を楽しんでも平気という方もいっぱいいるでしょう。将門すら怖くないならば自称「怨霊になる」男の祟りなど全く気にしなくて結構です。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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