上野の赤ちゃんパンダ「シャンシャン」が中国へ帰る日

数年後には日本からサヨウナラ(写真:アフロ)

 17年9月25日、上野動物園(東京都台東区)のジャイアントパンダ「シンシン」が6月に生んだメスの赤ちゃんの名前が「シャンシャン(香香)」と決まりました。32万を超える公募のから最終選考されたそうです。誕生、命名で盛り上がり、次は「いつ一般公開されるのか」に注目が移るのでしょう。平和な日本のめでたい話ですね。

 でもこの「シャンシャン」は数年後に中国へ帰国してしまうのです。

「毒餃子事件」「レンタル1億円」で無用論もあった両親の来日

 「シンシン」と「シャンシャン」の父親「リーリー」の2頭は11年2月、中国からやってきました。上野動物園での自然繁殖は2度目ですが、同じ2頭から12年に生まれたオスは6日後に死亡し今度こそ順調に育ってくれるのを期待されているところ。なお上野では80年代に人工授精で3頭誕生しています。

 生まれて以来、祝賀ムードにあふれていますけど、忘れていたり知られていない事実がありはしないでしょうか。

 一番忘れていそうなのは他ならぬ「シンシン」「リーリー」が上野に来るのが決まった08年5月の福田康夫首相と胡錦濤中国国家主席の首脳会談後の反響です。つがいを年間1億円でレンタルすると表明した後、「高すぎる」などの抗議が相次ぎネット上でも批判があふれました。上野は都立動物園なので都税が充てられます。

 同年発生した「チベット騒乱」や前年末からのいわゆる「冷凍毒餃子事件」などへの反発が「反中」「嫌中」感情を誘発したのが背景にあったのはかたくありません。来日の前年には尖閣諸島近くで中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた事件も起きています。

「レンタル」だから数年後に上野からサヨナラ

 それでもいったん来日してしまえば可愛らしさにかき消され、こうした経緯も記憶からなくなった上に今回の赤ちゃんフィーバーというわけです。

 ただ「1億円レンタル」という条件が必ずしも中国がぼろもうけしたいがためとまでは言い難い。後述するように中国はかつてパンダを贈り物にしていたのができなくなったという側面があるからです。

 1975年発効のワシントン条約は絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関して定めていて、最も重い規制対象となる「附属書1」(絶滅のおそれのある種であって取引による影響を受けており又は受けることのあるもの)のリストに84年、ジャイアントパンダが分類され国際取引が原則禁止になったのが契機。その後繁殖・研究を目的とする場合はレンタルできるようになって今日に至ります。払われたお金は生息地保護や研究に使っているそうです。10年間が一区切りで中国籍。日本など外国で誕生した子は最終的に(2年から4年がメド)中国に返還しなければならなりません。

 つまり祝福に包まれている「シャンシャン」も通常約4年、最も早ければ約2年後に日本からいなくなってしまうのです。

「日本でパンダの赤ちゃん誕生」は珍しくない

 意外と知られていない事実として上野動物園でこそ久々の快挙であったパンダ誕生も日本では珍しくないという点。最近では和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドが実績を残してきました。

 今世紀に入ってから毎年のように生まれていて生育しては中国へどんどん帰ってもいます。レンタル料も当然発生しているはずだけどアドベンチャーワールドはなぜか金額非公表。株式会社が運営しています。

 言い換えると「パンダ誕生」ではなく「上野のパンダ誕生」がめでたいのです。おそらく歴史的背景が横たわっているのでしょう。1972年、田中角栄首相は訪中して日中国交回復を実現させました。その記念に同年、上野に来たのがオスの「カンカン」とメスの「ランラン」。当時は贈り物時代でパンダ来日は社会現象にまでなります。この時の印象は今でも強烈です。

対米反日工作に利用された「パンダ外交」

 もっともパンダは「日中友好の象徴」ばかりではありません。日中戦争のさなか中国国民党指導者の蒋介石の妻、宋美齢はアメリカへ巧みに反日親中感情を植えつけてました。その象徴が1941年に贈られた2頭をパンダ。到着が真珠湾攻撃の数日後というタイミングもあって「愛らしいパンダの中国と卑怯な日本人」という工作に結果的とはいえみごと成功したのです。