エボラ対策は保健を超えたイシューに 空港で迎えてくれたのは

キンシャサ・ヌジリ国際空港から市内へ (c) Hiroko Taniguchi

彼は将来を嘱望される若手医師だ。ここでは、Yさんと呼ぼう。アフリカ中央部のコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)の首都キンシャサにある、キンシャサ大学医学部に勤めている。

Yさんの所属する研究室は、ファーマコビジランス(医薬品安全性監視)が研究トピックのひとつで、昨年からコンゴ東部で続くエボラウイルス病(以下、エボラ)の対策において、国立の研究機関に協力して、臨床試験のデータ管理に参加している。

エボラウイルスは感染経路が体液接触のみと感染力は決して強くはないが、発症後の死亡率は25~90%、平均50%と高く、一刻も早い治療薬の開発が待たれる病気だ。しかし、まだ承認薬がないため、現在4種類の候補薬を使った臨床試験が実施され、そのデータが収集されている。薬の使用は、必ず患者さんの同意を得て行われ、ランダムに選択された薬が投与される。

データ管理の仕事は、エボラ治療センターの薬剤師や看護師にデータ収集の研修を行い、収集プロセスのモニタリングと、収集データの精度確認・認可を行う。精度確認とひと言で言っても、臨床データ、研究用データ、医薬品データ、個人情報保護・倫理データなど、データの種類は多岐に渡る。収集データはプロトコルに則った収集がなされているかなどを確認し、精度規準に適ったたデータは、国際機関が管理するデータベースに入力していく。

現地の第一線で働く薬剤師をはじめとするスタッフは、緊張を強いられる勤務環境からローテーションや新規採用も行われるため、臨床試験の研修は定期的に行われる。

もともとYさんは、コンゴで深刻なマラリアやアフリカ睡眠病などの治療薬を担当していた。しかし、今回のエボラ流行が昨年8月から数ヵ月経っても収まらず、年末年始以降、臨床試験が本格化してからは、エボラ対策のデータ管理も主要業務となった。

コンゴ国内10回目となる今回の流行は、公式発表から、もうすぐ1年を迎える。1月末に着任した新大統領のもと国内体制の再編が準備される中、国連チームも5月下旬に新体制への移行を発表した。

キンシャサでの調査、多方面からの聞き取り

昨年来、大学院でエボラ対策の分析を担当する中、5月から6月にかけてキンシャサに入った。首都のキンシャサは、日本の7倍の面積を誇るコンゴの西部にある。現在エボラの流行が起きている東部からは、飛行機でも2時間以上かかる。対策本部があり、各方面の責任者とチームが拠点を置く東部のゴマ(感染地からはそれでもまだ距離がある)とキンシャサを行き来するスタッフ、キンシャサに常駐するスタッフと日程を調整しつつ、全体像を把握するため多方面の人からの聞き取りを目指した。

渡航前、そして調査期間中に、現地手配が必要な書類や車両などの準備、移動、また時に通訳として協力をしてくれたのが、Yさんだった。空港で荷物が出てくるまで1時間以上待ち、申し訳ない気持ちでロビーに出ると、Yさんと弟さんがさわやかな笑顔で迎えてくれた。

キンシャサ大学にいても、コンゴ保健省や国立研究所にいても、あちこちから彼に「来てたのね!」「元気?」と声が掛かる。滞在中、彼の指導教授の、師としての愛情溢れる言葉にも胸を打たれたが、短い調査期間中でも、いかにYさんが周囲の人々にかわいがられているかが伝わってきた。

図らずも人間社会の写し鏡となったエボラの流行

エボラの流行は日本ではほとんど報道されていない。2013年から2016年に西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネで猛威を振るい、感染者2万8000人以上、死者1万人以上を出した大惨事を除いては。

しかし、今回のエボラ対策で見えてきたのは、この問題がもはや保健のみの課題ではなく、歴史、政治、社会・経済の問題が複雑に絡み合ったイシューであるということだ。図らずも人間社会の写し鏡となったエボラの流行。そして、対策に関わる関係者がそれを理解しつつも、なかなか打開策を打てず、苦戦を強いられている。

事態は長期化、複雑化しているが、大学での分析とは別に、ここでは、対策に関わる人たちの経験や思いを通して、現代社会が直面する課題と、変化する取り組みをお伝えしていきたいと思う。