敗者が得るもの、成し遂げたこと

 東京五輪の開幕から5日が過ぎ、日ごと増えるメダルの数や、メダリスト。

 国ごとのメダル獲得数が順位づけされ、試合が続く球技の選手や、これから本番を迎える選手たちは多くの日本選手の活躍が「刺激になる」と口を揃える。

 リオから東京までの5年という時間だけでなく、競技を始めてからこの場に立つまで、途方もない時間をかけ、努力を重ねたどり着いた場所で、目指した成果を得る。それは説明の必要もないぐらい素晴らしいことで、快挙の一言に尽きる。

 だが、すべてが勝者ばかりではなく、むしろ圧倒的に敗者のほうが多い。

 同じ時間をかけ、東京五輪を集大成と臨むも目標に達することなく競技場や選手村を去る。観客のいない五輪では、すべての試合を終えた後に「ありがとう」と手を振ることもできない。連日の中継やニュースで触れられることもないまま、静かに迎える閉幕。

 確かに彼ら、彼女たちにメダルはない。

 それでも、何も成し遂げなかったか、と言えばそうではない。

 これからへとつながる大きな一歩は、きっとあちらこちらで踏み出されているはずだ。

敗れた悔しさだけでなく、団体戦で得られた成果は、これからにつながる糧となる
敗れた悔しさだけでなく、団体戦で得られた成果は、これからにつながる糧となる写真:ロイター/アフロ

「初めてサーブルの深み、面白さを知りました」

 28日に団体戦を終えた、フェンシング男子サーブル日本代表もそう。

 結果だけを見れば、1回戦で敗れ、順位は9位。明日以降行われる男女フルーレや男女エペ、女子サーブルと比べれば世界ランキングは高くなく、個人、団体とも世界で勝つのは厳しいとされる種目でもある。開幕前、選手たちも「厳しい戦いになることは覚悟している」と現状を冷静に受け止めていた。

 やはり世界の壁は厚い。結果から見れば、その言葉に尽きる。ではなぜ、1回戦で敗れてもなお、これからへつながる大きな一歩なのか。

 1人の名将が、確実に日本のサーブルの歴史を変えようとしているからだ。

 かつて韓国を率い、12年のロンドン五輪では男子サーブル団体金メダルに導いたリー・ウッチェ氏が13年にサーブル日本代表のヘッドコーチに就任。世界の名将が日本で指揮を執るようになって以後、女子サーブルの田村紀佳も「審判も含め、(ウッチェコーチがいることで)日本に対する周囲の目が明らかに変わった」と言うように、選手の意識も成績も目に見えて変わり始めた。そう証言するのはフェンシング日本代表選手の中で最年長の37歳、男子サーブル代表として東京五輪の個人、団体に出場した島村智博だ。

「僕は大学までフルーレの選手だったので、知らず知らずのうちにフルーレのクセが残っていたんですけど、それすら気づかなかった。ウッチェコーチに1つ1つ、その都度『違う!』と言われ、自分の間違いに気づいたんです。サーブルとは何か、避ける動作1つとっても、ステップをつけてどのタイミングで避けるか、フェイントを出してから避けたほうがいいか、そういう細かいところの何から何まで、こうすれば勝てる、というサーブルの基本を教えてもらって、初めて、サーブルの深み、面白さを知りました。同じ頃に少しずつ勝てるようになってきて、自信になって、ウッチェコーチも『勝てる』と毎日のように言ってくれた。その繰り返しで、自分でもできるんじゃないか、ずっと遠くにあると思っていた世界、オリンピックでも戦えるんじゃないか、と思えるようになりました」

 リオデジャネイロ五輪への出場を逃がし、一時は引退をも考えたという島村を「まだできる。続けるぞ」というウッチェコーチの言葉が、現役継続への背中を押し、37歳にして初めて五輪のピストに立った。

 リオに続いて2大会出場となった徳南堅太も団体戦で存在感を発揮し、27歳のストリーツ海飛、29歳の吉田健人も初の五輪を経験し、さらに国内へ目を向ければ昨年の全日本選手権を制したのは18歳の小久保真旺。遠い未来ではなく、近い将来を担う選手もいる。

 まさに今は、撒かれた種が芽を出したばかり。花を咲かすべく、グンと伸びるのはこれからだ。

 たとえメダルは胸になくとも。確かに歩み出された一歩は、決して小さなものではない。新たな歴史を刻むべく、この先へつながる大きな一歩であるはずだ。