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木村沙織、バレーが終わった後の人生 肩書きは「自由な人生トラベラー」 

田中夕子スポーツライター、フリーライター
現役引退から3年。今の生活は「カフェが9割」という木村沙織さん(撮影:倉増崇史)

 元女子バレーボール日本代表・木村沙織(34)が現役を引退してから、約3年半が過ぎた。

「もっと長い感じがしますね。5年以上は経っている気もするし。でも前回のリオ(デジャネイロ五輪)は出ているのか。そう考えると、意外と最近のような気もします」

 現役時代は毎日バレー漬けで、生活のすべてがバレーボール。だが今は1年前に大阪で夫と共に始めたカフェが生活の9割を占める。お店に並べるおばんざいのメニューを考えたり、試作してみたり。バレーボールからは遠く離れた日々を過ごしているように見えるが、彼女は今どんな第2の人生を送っているのだろうか。

バレーの時だけ輝いていてももったいない

――2017年3月の引退会見、ご自身のバレー人生について「その時その時、悔いなく戦ってきた」と振り返りました。当時、今後については「私らしく第2の人生を楽しみたい」とも話しました。木村さんにとって私らしさとは、どんなことなのでしょうか?

いつも何かを選択する時、楽しいことのイメージが膨らむ、自然にアイディアがポンポン出てくるほうへ迷わず進むようにしています。バレーだけが人生じゃないし、終わった後の人生のほうが長い。バレーをしている時だけ輝いていてももったいないじゃないですか。人生一度きりだからやりたいことはやろう、みたいな感じですね。(今年10月に始めた)YouTubeとか、恥ずかしいですけど、旦那さんがYouTube大好きで始めたんです(笑)。とにかく、友達の輪をどんどん広げていくタイプの人なので、いろいろ一緒にできているのも楽しいです。

――バレーボールやメディアから距離を置いている、と見る人も中にはいるかもしれない。

(メディアを)遠ざけているわけではなくて、もともとそんなに出たいっていうのはないから、解説とかそういうお仕事よりは夢だったカフェ、家族の店をやりたいというのがありました。笑うのは得意だけどあまり上手にしゃべれないので、「バレー選手=勉強できない」みたいに思ってほしくないとか、現役選手に迷惑かけたくないというのもあったかもしれないです。今は、バレーボールのファン目線で、チケットを買って試合を見に行くのがすごく楽しみだし、(観戦に行く試合と)同じ日に別のお仕事の依頼もあったんですけど「試合に行くから無理です」って断っちゃったぐらいなんです。

――ファン目線でバレーを楽しむことも含め、さらにこれからやりたいことは?

キッチンカー! キッチンカーでリーグを回って、会場の前で何かつくりたいと思っていたし、今もそう思っています。いつか結婚式もしなきゃなぁ。ほどほどにお仕事をして、ほどほどに楽しんで。毎日楽しく平和であったらいいかな。

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

大会ごとに毎回辞めようと思っていた現役時代

――改めて現役時代を振り返って、木村さんはどんな気持ちでプレーしていましたか?

とにかく楽しかったです。いいイメージがある時はイメージ通りに動けるし、読みも当たる。プレーしながら『次は何しようか』と考えながらやっていたし、試合になれば自分も周りもどんなプレーが出てくるかわからない。それが意外とうまくいくこともあったので、プレーしながら常に楽しかったしワクワクしていました。

――日本代表としてオリンピック4大会連続出場。長い現役生活でしたが、木村さんの中で時期や大会での区切りはありましたか?

プツン、プツン、プツンと区切っていましたね。オリンピックまでの4年スパンとかではなくて、Vリーグ、それが終わったら全日本。また次の大会、とそれぞれ区切って考えていたし、若い頃から大会ごとに毎回辞めようと思っていました。他にやりたいこともいっぱいあったので。高校卒業の時も、バレーは辞めて美容の学校に進もうか迷っていたんです。そんな時に母から「バレーがすべてじゃないからね。他にやりたいことがあるならそっちでも良いんじゃない」と言われて、「バレーはずっとやらなきゃいけないことじゃないんだ」と思ったら気が楽になって、バレーの道に進んだんです。でも後から母に聞いたら「そう言えばバレーのほうに進むと思っていた」と言われて。駆け引きに負けていました(笑)

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

――それでも高校生から日本代表に選ばれ、30歳になった17年まで、第一線で現役選手を続けられた理由は何だと思いますか?

いつ辞めてもいいと思いつつ、必ずいつも100点がなかったんです。1つの大会で優勝しても「もっとこういう選手になりたい」「あの点を取れなくて悔しかった」というのがいつも残っていて。だから、大会が終わるごとに燃えていたのかもしれないですね。引退した今だからそう言えるのかもしれないですけど。

理想と現実のギャップに苦悩 キャプテンの4年間

――08年の北京から12年のロンドン五輪までは世界選手権で3位、ワールドカップも強豪ブラジルに勝って4位。華々しい4年間でした

ブラジル戦は3-0じゃないと絶対勝てないと思った試合です。先に2セットを取っても、フルセットに行ったら勝てないと思っていたから、最後の1点は本当に緊張しました。テンさん(竹下佳江・前姫路監督)の目線で、私に(トスが)上がってくるとわかっていたから、ラリーじゃなくて絶対1本で決めよう、とフーって深呼吸したんです。そのときに、コートの向こう側のエンド席に座っていた(元日本代表コーチ、現デンソー監督の川北)元さんも一緒にフーッと深呼吸していて。それで「スタッフもみんな同じ気持ちだ。絶対1回で取らなきゃ」と思ったのをすごく覚えています。

――ロンドンから16年のリオまでの4年間は日本代表の主将に就任されました。世界選手権、ワールドカップと苦しい戦いが続く中、ようやく木村さんらしいプレーが見られたのは五輪最終予選で日本の出場権がかかる、イタリア戦でした

キャプテン。難しかったですね。チームをまとめなきゃ、と周りに気を遣うばかりで、でもどうしたらいいかわからず、実際には何もできませんでした。眞鍋(政義・前日本代表監督)さんは、もっとプレーで引っ張るイメージで私をキャプテンにしてくれたと思うんです。でも私はプレーをしていても火がつかなくて、殻を一枚破れずに、そう(引っ張るキャプテンに)はなれなかった。やっとスイッチが入ったのがそのイタリア戦でした。迷ったら全部トスをあげていいよ、と(宮下)遥にも伝えていたし、久しぶりに「全部決まるんじゃないか」と思った試合でした。

バレーボール 女子リオ五輪 世界最終予選 (写真:アフロスポーツ)
バレーボール 女子リオ五輪 世界最終予選 (写真:アフロスポーツ)

――あの試合は、得点を決めてもいつものような笑顔はなかった

次の東京五輪に向けてチームにオリンピックを経験させてあげたかったから、リオ出場を逃がすわけにいかない、と必死でした。キャプテンになった頃から、自分よりみんながよければいい、みたいな感じで、どこか悔しさも薄れていたんです。それこそ前は負けたらボールを叩きつけたり、フェンスを蹴っ飛ばしたりしていたけど、そういう感情がなかった。でもあの試合があって、リオが終わって、最後のVリーグのシーズンは妹(美里)と同じコートでプレーして、(以前のように)ずいぶん怒ったなぁ。これも引退しているから美化できる話なのかもしれないですけどね(笑)

 巧みな技でどんな相手にもえげつないスパイクを打つ一方、得点後に見せる笑顔。圧倒的な人気を博し、木村は常にメディアからも注目の的だった。

 木村沙織は、メディアに取り上げられる自分や「サオリン二世」と呼ばれる今の選手たちを、どう見ているのか。

メディアの過剰な取り上げには違和感も

――現役時代は“サオリン”のニックネームで多くのメディアに取り上げられました。当時、注目を浴び続けることをどう思っていましたか?

注目してもらえるのはありがたかったです。でも、私は大した活躍もしていなくて、他の選手がすごく活躍して勝った試合だったのに、次の日の新聞を見たら「木村沙織、大活躍」とか書いてある。それはいつも「お~い」という感じでしたね(笑) セッターの配分とかリベロのレシーブが重なっての得点なのに、何で最後に点を獲るスパイカーだけしか取り上げられないんだろう、というのもずっと思っていました。取り上げられるのが負担だったとか、ストレスで嫌だったというのは全くないけれど、違和感でしかなかったですね。

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

――現役引退後も「木村沙織二世」と呼ばれる選手がたくさん出ていますが、どう感じますか?

名前を出してくれるのは嬉しいですけど、申し訳なさのほうが多いです。その人にはその人の名前、スタイルがあって、中には「何で一緒にされなきゃいけないの」と思う人もいるかもしれない。二世とかじゃなく、ちゃんとその人自身を見てほしいと思うことはあります。でもバレーに限らず浅田真央ちゃんが引退したら「真央ちゃん二世」と言われたり、芸能人の方も「二世」と言われる人もいますよね。あ、それは本当に二世なのか。すいません(笑)。

――来年は東京オリンピックも開催予定です

(荒木)絵里香さん、キャプテンですもんね。ちゃんと行われればいいなという祈りしかないです。アスリートにとっては1年延びるって、すごくきついと思うんです。身体もそうだけれど、精神的にガツンと来るものがある。(新鍋)理沙もスパッと引退したし、いろんな選択がある。私だったら絶対辞めますね。それぐらい1年はしんどいと思うので、頑張って来た人たちのためにも、来年ちゃんと行われればいいな、と思うしかないですね。

 気取らず、自然体。コートの中にいた頃も、離れた今も「楽しい」を追求する。

 そんな彼女に今、あえて自らの肩書をつけるなら。

「何だろうな。自由な人生トラベラー、かな(笑)」

 こうしなきゃいけないと窮屈になることなく、やりたいことを素直に楽しむ、木村沙織の “私らしい”第2の人生。

 幸せか、などと聞くだけ野暮だ。笑顔が、すべてを物語っている。

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

■木村沙織(きむら・さおり)

1986年08月19日生まれ。東京都あきる野市出身。2003年、17歳にして日本代表に初招集される。04年のアテネオリンピックで「スーパー女子高生」として注目を集める。05年東レアローズに入団し、以後主力選手として活躍。全日本でも「絶対的エース」として世界選手権、ワールドカップで主軸を担い、12年ロンドン五輪では28年ぶりとなる銅メダルを獲得。その後世界最高峰リーグであるトルコリーグに2年間在籍。13年には日本代表のキャプテンに就任し、16年のリオ五輪にも出場、女子インドアバレー選手として初となる4大会連続の五輪出場を達成した。五輪後16-17年シーズンでの引退を発表し、3月に現役を引退。現在は自身のカフェやペットブランドに注力する。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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