平和、反核、反原発‥‥世界が認めた反逆のロックシンガー朴保(パク・ポー)

東京でのライブ/朴保提供

ギターを片手に、平和や反体制などの歌を40年歌い続けるロックシンガーがいる。在日コリアン2世の朴保(パク・ポー)63歳だ。アメリカでは「核のない世界」をアピールし、日本では反原発を歌っている。

朴保の歌唱力とメッセージは、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーのプロデューサーであるナラダ氏も高く評価している。

東日本大震災を経験し、平成の終わりが近づく中、朴保は「今こそ流れを変える時」と訴える。

まずは動画をご覧ください。

※ドキュメンタリー映画「Pak-Poe歌いたい歌がある」(監督:田中幸夫)に追加撮影をして、再編集。

朴保との出会い

1993年、東京。「在日の戦後補償裁判」を闘っていた原告の一人・陳石一(チン・ソギル)の追悼集会でのこと。著者(田中幸夫)は、やはり原告の一人である鄭商根(チョン・サングン)を撮影するため社会党本部(当時)を訪ねた。そこで初めて朴保と出会った。

ギターを抱えた長髪の朴保(当時38)は、100人ほどの参加者に向かって言った。「陳さんのことを歌に残さないといけないと思い、この『傷痍軍人の歌』を作りました。聴いて下さい。」私はメッセージソングが好きではない。字余りで音楽性が低い曲が多い、という偏見があったのかもしれない。カメラマンに「とりあえず撮っておこうかねえ・・・」と何となく指示したことを覚えている。

♪子供の頃のお祭りだった 彼らを見たのは 白い着物に松葉杖 アコーディオンの音・・・

衝撃だった。「全部撮って!きっちり撮って!」とカメラマンに改めて指示した。音楽性の高さと歌唱力に圧倒された。

演奏後、声をかけた。「今、在日の戦後補償のドキュメンタリーを撮っています。この歌をきっと使わせてもらうことになると思う。いいですか?」朴保は「勿論、いいですよ!」その人懐っこい笑顔がとても印象的だった。

「♪傷痍軍人の歌」は、裁判経過を追った3作品全てで使うことになった。

国会請願デモ行進/西田勝利撮影
国会請願デモ行進/西田勝利撮影

「これだけの歌手を見逃していたのはメディアの責任かもしれないな・・・」

それから5年経った1998年、3作目を作り終えたとき、ふと思った。「♪傷痍軍人の歌」以外に、朴保は一体どんな歌を歌っているのだろう。連絡を取った。「来週バースディ・コンサートがあります。来ませんか?」神戸から東京へ駆けつけ再会した。

コンサートは素晴らしく、改めてメッセージシンガーとしての朴保に強い関心を抱いた。翌日、新宿駅前の喫茶店でじっくり話をした。「僕を撮りたいという話は何度もあったけど、メッセージ性が強過ぎるから、公共放送ではなかなか難しいらしくて・・・」と屈託なく笑った。そのとき、朴保のドキュメンタリーを作ろうと決めた。

NHKに企画を持ち込んだ。テレビという巨大なメディアで日本中に朴保を知らしめたかった。話はトントン拍子で進んだ。が、最後の最後で妙なチャチャが入り(詳細は書けない)、企画を断念しなければならなくなった。じゃあ映画を作ろう。仲間のカメラマンと共同製作の形を取った。

「これだけの歌手を見逃していたのはメディアの責任かもしれないな・・・」知人のマスコミ関係者が呟いた一言が忘れられない。

クランクインは静岡の実家。朴保の原点を見ておきたかったのだ。2階の部屋にはドラムセットが置かれ、窓からは雪を被った富士山がくっきり見えた。初めて作った歌は「♪富士山ブルース」だと言った。当時、国道1号線を行き交う車の排気ガスと工場からの排煙で空は淀んでいた。

♪煙突の煙モクモクで・・・富士山は怒ってるような顔して俺たちを見てた・・・

音楽を始めたときから朴保はメッセージシンガーだったのだ。10代の恋愛で経験した在日コリアンに対する差別も、言葉少なに語ってくれた。彼とは長く付き合っていける!と、感じた。

左から朴保・父・兄/朴保提供
左から朴保・父・兄/朴保提供

♪HIROSHIMA

1979年、広瀬友剛の名でメジャーデビュー。ファーストアルバムに入っていた韓国の曲「ウエブロ(なぜ呼ぶの)」が自身のルーツに目覚めるきっかけとなった。翌年、朴保に改名。すると仕事は来なくなった。

1983年、アメリカでのコンサートに招待され、そのまま10年に及ぶ滞米生活を送る。サンフランシスコを拠点に2つのバンドを結成、メッセージシンガーとしての朴保を確立していった。

1988年ネバダ原爆実験場跡での伝説のコンサートでは「♪HIROSHIMA」を歌った。

♪覚えているだろう あの暑い夏の日を 忘れてはいけない・・・大人は立ったままコンクリートの陰となった・・・ 

1998年、サンフランシスコに同行取材した。朴保を高く評価しているナラダ・マイケル・ウオールデン(ミュージシャンでありホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーのプロデューサー)を訪ねた。ゴールデンブリッジを見下ろす高台にある豪邸で音楽談義に花が咲いた。ナラダは言った。「朴保はとてもクレバーなミュージシャンだ。ストレートに反対と言わず原爆万歳と揶揄する曲も作っている。その方が伝わる場合もあると知っているんだ。」

サンフランシスコのナラダの自宅で/池田俊巳撮影
サンフランシスコのナラダの自宅で/池田俊巳撮影

♪イジェクマンヘ(もうやめにしておくれ)

韓国へ度々、同行取材した。1970年代から活躍する新村ブルースバンドのリーダー嚴仁浩(オム・イノ)は朴保の盟友だ。二人はソウルの音楽スタジオで、じっくり2年をかけ録音作業を行なった。「♪時は流れる」は、史上初の日韓共同アルバムとなった。

1998年のワンコリアフェスティバルは、初の日韓共同開催。会場は38度線に最も近い街・議政府(ウイジョンブ)。トリを務めたのは朴保だった。

♪今日はウキウキお酒も上手い 一つ歌でも歌おうか・・・ 

ソウルライブで嚴仁浩(左)と/池田俊巳撮影
ソウルライブで嚴仁浩(左)と/池田俊巳撮影

♪今こそ流れを変える時

さらに東京・大阪・神戸・・・と、同行取材した。「♪MONJU」は福井県の高速増殖原型炉「もんじゅ」の反対を呼びかけた曲だ。

そして一昨年、もんじゅは廃炉が正式決定され、今年8月には核燃料の取り出しが始まった。

朴保の歌は予見の歌なのだ。平和・反核・反原発・・・反体制を貫くメッセージシンガーは歌い続けていく。

♪今 逃げるのかよ どこへ行くのか 逃げ出せないでいる人もいるのに 咽喉を枯らし叫び続けた言葉は 今 空しくも風に舞う これでいいのか こんなはずじゃなかったと 帰る故郷はどこにもない 今こそ前に進む時 今こそ流れを変える時

映画「Pak-Poe」ポスター/風楽創作事務所提供
映画「Pak-Poe」ポスター/風楽創作事務所提供

* 朴保オフィシャルサイトhttp://www.pakpoe.com/

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】